第65話 常連
「痛たたた、痛い……だめ! そこ押さないで!」
「だいぶ体を酷使しましたね……肩がカチカチですよ」
いつもの決まり文句を返しながら、マッサージを続ける。
「ヒノくんの鬼、鬼畜……痛い痛い痛い!」
今日は変態……じゃなくて、常連の莉子さんの相手をしていた。
『やめろやめろ』って言うわりに、痛くない施術にするとあとで文句を言われるんだよなぁ。
「じゃあ、深いところいきますね」
俺はツボ押し棒を取り出した。硬い金属製の棒だ。
これを使うのは初めてだ。一昨日、通販サイトで買ったばかりで――莉子さんが喜ぶかな、と思って。
ここからが本丸だ。
狙うのは僧帽筋の上部だ。さっきほぐしたとはいえ、触られたら痛むだろう。
その筋肉を押しのけて、さらに下の筋肉にアクセスする。
金属の棒で、肩甲挙筋を強く押し込んだ。
「――ッ」
莉子さんは声も出ない。肩だけがバタバタと跳ねる。
……ちょっと笑いそうになる。
「どうですか? 新兵器の威力は」
「いい……硬い棒が……!(筋肉の隙間に)入ってくる……!」
莉子さんが叫んだ。その声に反応するみたいに、奥に続くドアがすごい勢いで開いた。
無表情の美人――俺の彼女の綾辻先輩だ。
先輩は何か言いかけて口を開いたが、肩に金属の棒を当てている俺を見て固まった。
「どうしたんですか? 先輩」
「あ、ごめん。ちょっと大きな声がしたから、びっくりして」
先輩は気まずそうにドアを閉めようとした。
けれど、その足元を小さな影が走った。
「ニャッ!」
「あぁ、ファシアちゃん。先輩、急にドア開けるから来ちゃったじゃないですか、もう」
俺の目の前のちょうどいい足場――つまり、莉子さんの背中に乗って、オヤツをねだってきた。
足場が不安定なのが気に入らないのか、爪を立てたまま前足でふみふみしている。
痛そうだ。でも莉子さんは、まんざらでもなさそうだ。
「あぁ……猫様……」
患者に無礼を働く飼い猫に、先輩がアワアワしている。
オヤツを求めて鳴き続けるファシアちゃん。
爪を立てられて、なぜか恍惚としている莉子さん。
ポケットからチュールを取り出す俺。
……あぁもう、めちゃくちゃだよ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ファシアちゃん、施術室に入っちゃダメって、いつも言ってるでしょ」
施術室の奥にある事務スペースに戻って、俺は愛猫への説教をしていた。
「ニャッ」
ファシアちゃんはオヤツをもらえてご満悦だ。
毛づくろいしながら、適当な返事みたいに鳴いて返す。かわいい。
施術室から綾辻先輩が戻ってきた。
「ヒノくん、猫が乱入した迷惑料ってことで、今日は半額にしておいたからね」
「あ、はい」
莉子さんは常連だから、かなり安いメニューにしている。そもそも、マッサージなんて表には掲げてないメニューだし。
次の患者さんは……山本さんか。久しぶりだ。
プロのテニスプレーヤーで、犬飼コーチを紹介してくれた恩人でもある。
猫と遊んでいると、チャイムが鳴った。
俺は先輩に一言言ってドアを開けに行く。
「先輩、次はちゃんとファシアちゃんをケージに入れてから、施術室に入ってきてくださいね」
「うん……」
どこか不満そうな先輩だ。今まで忘れたこと、ほとんどなかったのに、どうしたんだろう。
「こんばんは。調子はいかがですか?」
玄関のドアを開け、山本さんを迎え入れた。
「おう、久しぶり。まぁまぁ順調なんだけど、一度見てほしくてね」
山本さんは、肩のインピンジメント症候群を持病としている。
前回も含めて、根本原因にはまだ踏み込んでいない。
基本的に彼の場合、骨の形に問題がある。
彼は残りのキャリアも考えて、手術をしない選択をした。
リハビリに年単位でかかることもある。だから、その選択は正解だろう。
「今日は経過観察もお願いしたいんだけど、報告もあってね」
最近の大会で、かなりいい成績を残したらしい。
チャレンジャーというクラスの大会で、ベスト4まで行ったんだとか。
有望な選手を倒してのベスト4で、大会関係者にもかなり驚かれた――と、嬉しそうに語った。
彼は32歳。引退もちらつく年齢だ。
テニスだけでは生活が厳しく、コーチ業もやって生計を立てている。
「肩の炎症はまだ許容範囲で、いい感じですね」
少し間隔が空いたが、大きく悪化はしていないようだ。
ちなみに、俺が忙しすぎて予約を受けられなかっただけだ。山本さんが治療をサボってたわけじゃない。
どうしても平日夜と土日は、彼のコーチの仕事がある。だから予定が合いにくい。
「君に教えてもらったストレッチ、毎日してるよ」
効果的なストレッチは、確かに効く。
まぁ、もちろん効果は限定的だ。
損傷部位そのものを治すことはできない。
だけど、再発を防ぐことはできる。
ひと通り触診してから、損傷部位をほぐした。
心配していた石灰化も、今のところ出ていない。
「これなら、問題なく現役を続けられそうですね!」
「ありがとう、君にそう言ってもらえると嬉しいよ」
彼はニコニコしながら帰っていった。
急性期の患者を診るのも大事だが、常連さんを定期的に診るのも気楽でいいな。
ファシアの尻を揉みながら、そんなことを思った。




