第61話 罠にかかった名探偵
夕食後、俺は愛猫と戯れていた。
「ファシアちゃん! そんなにおねだりしてもダメ! オヤツはさっき食べたでしょ!」
「ニャン!」
否認を繰り返す。容疑猫ファシア。
ファシアは最近、綾辻先輩と俺に交互におねだりすれば、オヤツを倍もらえると学習してしまっていた。
減り続けるチュールに疑問を抱いた名探偵ヒノが、ついに真実を突き止めたわけだ。
俺がファシアの頭を撫でていると、取調べに口を挟むように先輩が声をかけてきた。
「ねぇ、今週の土曜日って、14時くらい空いてる?」
なんだろう。デートのお誘いだろうか。
……いや、俺のカレンダーは綾辻先輩に共有させられている。空いてるのは知ってるはずだ。
「朝は球団で打ち合わせが入ってますけど、それ以外はフリーですよ」
今週末は一軍も二軍も遠征に出ている。だから結構暇だ。
「打ち合わせの後は治療とかないの?」
「いや、本来なら鍼灸師を呼ぶ必要がない打ち合わせですしね」
一応、とある故障者の治療方針についての打ち合わせには出ることになっている。でも、あんまりやる気は出ない。
骨を折ったばかりの選手の治療の話だからだ。
球団の皆様は知らないかもしれないが、鍼治療で骨は繋がらない。
骨を繋げてから俺を呼んでくれ、と内心では思ってる。
先輩は、なぜか少しだけ言いよどむように視線を泳がせた。
「あのね、大阪市内でクラシックのコンサートを聞きに行きたいんだけど……一緒にいいかな?」
「コンサート? いいですよ。当日は一緒に家から行きます?」
なんかオシャレなデート先だな。
先輩の趣味なんだろうか。知らない一面を見られるなら、それも悪くない。
「ちょっと、その前に予定があるんだよねー! 20分前に駅で待ち合わせしようか」
「はーい!」
返事をした瞬間、スマホが短く震えた。
なんとなく画面を開くと、いつのまにか俺のカレンダーに土曜日のコンサート予定が追加されていた。
ITに詳しくない俺には、どういう理屈で先輩が俺のスマホに予定を入れられるのか、よく分からない。
謎の技術だ。ハッキングとかだろうか。
「ニャッ!」
鳴き声につられて下を見ると、ファシアが俺の腹に体当たりしてきていた。
オヤツが貰えないと悟ったのか、激おこだ。
どんどんわがままになってきているな、この姫は。
「ニャ……」
力づくが通じないと悟ったのか、次は泣き落としに切り替えてきた。
『この飼い主からは夜のオヤツを貰っていない』。そう確信しているんだろう。
愛猫の目は澄んでいて、一片の曇りもない。
もう、仕方がないなぁ。本当は一日二本までにした方が健康にはいいんだけど。
「夜に二本あげるのは、今日で最後だからね」
そう言って俺はオヤツを台所に取りに行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
大阪環状線の福島駅。
雑多な看板、人の流れ、飲み屋の匂い。下町情緒が溢れすぎている駅前に、俺は立っていた。
こんなところでクラシックのコンサートをやるって、本当だろうか。
綾辻先輩は探すまでもなかった。ものすごく目立っていたからだ。
黒っぽいドレスに白いショール。とてもフォーマルな装いだ。
遠目にも、彼女の周りだけ空気が違う。
通り過ぎる男たちが、思わず振り返っていく。
俺もなぜか立ち止まって見つめてしまう。
スマホをいじっていた先輩が、ふっと顔を上げて周りを見回す。
目が合った瞬間、迷いなく俺の方へ歩いてきた。
「あっ、ヒノくん!」
多分、GPSで俺の位置を見ていたから、着いたのが分かったんだろうな。
俺を監視するその趣味は、本当にやめてほしい。
手を繋いでくる先輩。周囲の男たちの目が、俺に突き刺さる。
「先輩、お待たせしました。じゃあ行きましょうか!」
先導されて少し歩くと、突然世界が変わったように見えた。
雑多な街並みの奥に、いきなり洋風の大きなコンサートホールが立っている。
「福島って飲み屋街だと思ってたんですが……こんな建物もあるんですね」
「実はね! ここ、けっこう市内では有名なところなのよ」
建物の中へ、いろんな人が吸い込まれていく。
フォーマルな人も多いが、ジャージにサンダルみたいな人もいる。格好はなんでもいいらしい。
……それでも俺は、先輩に言われた通りスーツを着てきて正解だったと思った。
この人の横で普段着のままだったら、さすがに見劣りする。
ところで、今日はなんでわざわざ呼ばれたんだろう。
そう思っていると、先輩が答えをくれた。
「私の従姉妹がね、このコンサートに出ることになってるの。だから招待されたんだ!」
なるほど。だからコンサートでデートなのか。
「でね、終わった後にその従姉妹を診てほしいの。腱鞘炎がひどいらしくて」
あ、やっぱり治療はあるんだな。
鍼灸出張セットを持ってきて、って言われてたし、そこは分かっていた。
「……でも、なんでそれ、最初に言わなかったんですか?」
「今日は親戚が集まってるから、ヒノくんを紹介しようと思ってね! お父さんが日野くんに会いたいんだって! 前もって言ったら逃げちゃうでしょ?」
その言葉に肩を落とす俺。帰ってもいいですか?
背を向けようとした俺は、笑顔の先輩にあっさり阻止された。
久々のデートだと思っていたのに、罠だった。
まぁ、いいか。同棲しているんだ。そろそろ挨拶はしないといけないとも思っていた。
俺はトボトボとホールの入り口に向かうのであった。




