この時代は
「ここ……ドイツ?」
「実は」
情報共有の順序がおかしい。が、この際そんなことはどうでもよかった。国以前に時代が違うのだから、例えドイツでも日本でも、バベルの状況はさほど変わらない。
それよりも気になるのは――
「え、だとしたらなんで言葉通じてんの? なぜ日本語を?」
当然の疑問だった。ここがドイツだと気づけなかった一番の原因でもある。
彼らとは出会ってから今に至るまで、なんの問題もなく言葉を交わせているのだ。本来であれば最初の交流で躓くはず。
だが、彼らは最初から日本語を使っていた。身内同士の会話であってもだ。
タイムスリップした先はドイツ、そこでたまたま日本語を普段使いしている集団と出会えた。
――なんて偶然あるだろうか。おかげで苦労はしなかったが、あまりにもバベルにとって都合が良すぎる。
しかし、困惑しながら疑問を投げかけるバベルに対して、ルークとファルナは同じく困惑した様子で答えた。
「日本語? ……日本語を知らないけど?」
「え……?」
「……俺たちが使ってるのはアーリムス語だ。世界で唯一の言語……、ドイツだけじゃなく全世界で使われてる、もちろん日本でも。そもそもこれ以外が存在するなんて聞いたことが無い……」
予想外の答えだった。
「アーリ……、何? なんだ? ほんとに? てか、唯一って……世界共通? どの国行っても言葉通じるの?」
ルークが言ったことを正しく解釈できているのであれば、この世界の言語は統一されていることになる。よりにもよってなぜ日本語が選ばれたのだろうか、正確には日本語と同じ発音の言語、『アーリムス語』と呼ばれる物らしいが。
「国によって違うとかあったらめんどくさそう」
「絶対ややこしいよな」
「その発想が出てくるのか」
彼らの反応を見るに、そういうことでいいのだろう。この世界では言語の統一が成されている。
「あ、なら――」
今のところ、アーリムスという名前以外は、バベルの知るものと差異はない。音声言語だけなら問題なく行えている。
だが文字はどうだろうか、
「なら、文字は? この時代の文字が書いてあるもの無い? 見てみたい」
ルークはバベルの膨らんだポケットを指さした。
「はっ……!」
そういえばと思い出し、バベルは捨て時を悩んでいたペットボトルをポケットから取り出す。
受け取った時に気づけなかったのは、コレを模様か何かと認識したからかもしれない。
巻かれたラベルを確認してみると、そこにはひらがな、カタカナ、漢字、3つのどれとも異なる文字が羅列されていた。
バベルの知る限り、日本どころかどの国、どの文明にもなかったであろう未知の文字だ。
成分表らしき欄、消費期限や電話番号と思われる並び、バーコードなどを確認するも結果は同じ。どうやら数字すら異なるようだ。
「よ、読めない……」
「文字はダメなのか」
やはりタイムスリップよりも、パラレルワールド等の別世界である可能性の方が高いのではないだろうか。
天蓋、クローラー、モジュール。バベルの居た時代がいくら変わっても、あれらが発生する未来が来るとは思えない。
言語に関しては、変化という次元を超えている。
日本語で世界が統一され、呼び名が『アーリムス』に変わる。その際、新しく文字も作られる。――ここまではわかる、あり得ないことだが、何が起こっているのかは理解できる。
だが、例えそうなったとしても、元が日本語であったという歴史や、日本語以外の言語、文字などが全て消えてしまうなんてことあり得ない。
「ん……? 待てよ……?」
ここでふと、バベルは思った。
「どうした?」
「いや、ちょっと……。そういえばなんだけどさ――」
文字といえばでよぎったとある疑問。
前提として、バベルはたった今初めて文字を見た。この世界の、という意味ではなく、この世界に来てから初めてという意味で。
あの廃墟地帯で、いくらでも見る機会はあったはずだ。日本語やその他既知の言語、知らない言語でも、記号でも。
――しかし、今思い返してみれば、それらをあの場所で見た覚えが無い。
「……いや、いいや。この辺りって安全?」
「ん? えーと、半径1キロ以内なら確実に」
「――わかった。ちょっと待ってて!」
バベルは聞くより自分の目で見に行こうと、たった今来たばかりのアジトを飛び出し、再び廃墟地帯へと繰り出して行った。
「え、バベ……、おーい!」
「なんか落としたのかな?」
「あいつ落とすような物持ってるのか? ちゃんと安全かどうか確認してた辺り大丈夫そうだが……。一応後で追いかけるか……」
「私は洗濯を回す」
そうして二人がアジトに残り、荷を下ろしている頃。アジトから出て束の間のバベルは、抱いた疑問をすでに晴らしかけていた。
「な、無い!」
街を駆け、見慣れつつあるこの荒廃した景色の中から必死になって探す。
道路、標識、ナンバープレート、看板、信号機、マンホール、自販機。その他の文字や記号が刻まれているはずのものを。
だが、いくら探しても見当たらなかった。
どこもかしこも、そこだけねじ切られ、ちぎり取られたかのように消失していたのだ。中には原型は残っているものの、まるで消しゴムで消されたかのように文字や記号だけが消えている物すらあった。
ただの荒廃じゃこうはならない、明らかに不自然で奇妙だ。
無事なのは、道路に書かれた一部の白線のみ、ただし進行方向を示す矢印などは見つけられない。
この場所に来てからずっと感じていた違和感はこれだと、今更ながらにバベルは気づく。
「まさか……!?」
思わず声を漏らし、彼は自身の服についているタグを確認した。
――親近感、それに似通ったものを感じていたのだ。この街の異常が、自分にも及んでいるのではないかと、この場所は自分と同じなのではないかと。
それは杞憂で終わってくれなかった。確認したタグには、何も書かれていない――
――なんてことはなく
「……!? ……? ……?? ……あ、違うこれ滲んでるだけだ」
それなりに着ていたためか、服のタグは滲んで読めなくなっているだけだった。
ズボンの方を確認すると、そこにはしっかりと日本語、英語、そしていくつかの数字が書かれている。
冷静になって考えれば、靴にデザインされたメーカーロゴなどは最初から健在だ。情報の消失はこの場所に限ったものらしい。
「俺に影響は無いのか。元々はあったけど、見つけ次第回収されてるとか? いや……超常現象だろうな、無くなり方不自然すぎるし。ふーむ……わっかんない」
結果的にまた一つ謎を増やしただけ、わざわざ確認しに来たことを後悔する。
これもまた考えても仕方のない事の一つだと、バベルは早々に思考を放棄。他の向き合うべき問題と共に頭の片隅へと追いやった。
「普通に考えてルーク達現地人に聞いた方がいいな。もういいや、戻ろ。疲れたし」
元居た世界の文字は存在していたものの、その内容は服を洗う際の注意事項。
そもそも内容が何であれ、これでできるのはせいぜいバベルが別の世界から来たという証明くらいだ。
あまり必要が無い。現時点でなぜかそこまで疑われていないのも相まって、余計に必要がない。
なんにせよ、今はもうこれ以上この件について調べる理由は無くなったため、今日はここでひと段落をつけようと、バベルは来た道を引き返して行った。
一体いつになったら帰れるのか。――残念ながら、その答えを知るのは当分先のことになるだろう。
「――戻りました!」
アジトに戻ると、先程まで着けていた半面ガスマスクを外し、一般人の佇まいとなったルークが立っていた。ちょうどバベルを探しに出ようとしていたタイミングだったらしい。
「あれ――、思ったより早かったな。どうしたんだ? 急に飛び出していって……」
「文字探しに行ってたんだよ、一個も見当たらなかったけど……。でも――見て欲しいものがある」
「……?」
バベルは早速ハサミを借りて衣類についていたタグを全て切り取り、リビングのテーブルに並べた。廊下の奥から出てきたファルナも巻き込んで、日本語と英語、その断片を彼らに見せる。
「一応、これが俺の知ってる文字。こっちが日本語、使ってたやつ。こっちが英語、使ってなかったやつ、あんまり読めない」
「これがそうか」
「なんて書いてあるの?」
「服のタグだから……、服のタグに書かれてるようなことが書いてある。まぁ、内容はいいんだよ。天蓋の中でこういう……未知の文字が見つかることってあるの? この際、別に未知じゃなくてもいいんだけどさ。見てきた感じ、本当に何にも無かったから」
ダメ元で聞いてみるも、予想通りの返答が間を置かず返ってきた。
「……今のところ、どの天蓋でも共通して確認されてないな。アーリムス語で書かれた物はたまに見かけるが、それらはどれも現代の人間達が残した物だ。元からあった物じゃない」
「未知の文字に関しては天蓋の外でも見つかったことないんじゃない?」
「ゼロ? そっかぁ……。俺もタグも異物でしかないってことね……」
例え存在していたとしても、それが読めたとしても、バベルの状況はきっと変わらず八方ふさがりのままだろう。時空なのか世界なのか、ただでさえその隔たりを超える必要がある。
タイムマシンや異次元に繋がるポータルなどで来たのであれば、それを求めるだけで楽だった。が、ここに来た方法は全くもって不明。
『寝て起きたら元に戻っている』残念ながらこれが現状一番あり得る可能性であり、同時に唯一残された手段でもある。
「てか、今さらだけど文字読めないのきついな。覚え……おぼ……、お――。うん……、明日に全部賭けるか。全部後々……、今日はもう寝ようかな」
前向きに今を諦め、残された可能性を信じることにした。それほどまでに今日一日で積み上げられた疲労は大きく、これ以上頑張る気力は湧いてこない。
「寝るのか? シャワーあるぞ、浴びるか?」
厚意には甘える。
「浴びる。うれしい。着替えって――」
「ちょうどいいサイズは無いかもしれないな……。一応いくつか用意しておく。こっちだ」
「わーい」
案内された部屋には、洗面台と洗濯機、そして高級感ある造りのシャワーブースが設置されていた。不透明なガラスで仕切られているためプライバシーもばっちり。
中には、読めない字で書かれたボトルがいくつか置いてある。どれがシャンプーなのかボディソープなのかわからない。文字が読めない弊害がこんなに早く出るとは思わなかった。
「どれがどれだろ……、一か八かだな。――そうだ、レヴィも洗っとく? 水やばいか」
半分冗談のつもりでバベルは聞いた。
しかし、レヴィはその言葉を真に受けたのか、カーディガンを連れてバベルから離れ、その場に留まる。洗われ待ちになったのだ。
「……入るんだ。もう完全に言葉理解してるね。暴れて水飛び散らせないでよー?」
未知の場所で出会った未知の何か、達。未知の場所で出会った人間達。
その他、この未知の場所で出会った数多の未知と、この先出会うことになるであろうさらなる未知、達。
きっと明日は、見慣れた天井で目を覚ますことはできない。寝て起きたら別の世界にいるなんてこと、普通に考えて起きるわけがない。
しかしその当たり前が覆されるようなことが――、なぜ一度は起きたのだろうか。
「待って、水絞ってから、絞ってからだから。ステイ、ステイ、オワー!!」
彼はなぜ、この世界に来てしまったのだろうか。




