89. 中途半端な夫婦 前編
テレーズにとって、訪問客をもてなすことは憂鬱な務めだ。
何故なら、訪問客を前にすると、王は話し好きになる。
ただ多弁になるだけならいいが、その口から出てくる話は、テレーズにとって耳ざわりなものばかりだからだ。
この日の訪問客は地元貴族。夜には、王族の食卓に彼らも同席した。
王の長々とした語りが始まった。
「即位したばかりの兄王は、こう思ったのだ。多くの人に愛されたい、人気者になりたいと。兄は生来の遅鈍で臆病な性格がたたり、両親はおろか養育係や傅育官といった身近な大人からないがしろにされ、愛情を与えられてこなかった。その結果、哀れな子供のような欲求を持ち、それを満たさんとした。祖父の治世で削がれていた高等法院の権限を、事もあろうに復活させてしまったのだ。この愚策の代償はあまりに大きかった。こののち改革を行おうにも、法服貴族の反対に遭い、すべて上手くいかなかった。即位当初の愚かしい決断が、その治世の何もかもをだめにしてしまったのだ」
何を思い、どんな考えを持とうが、それは個人の勝手。好きに言わせておけばいいと思う。
勘弁してほしいのは、テレーズがいる前でこんな話を延々と続けることだ。
おまけに、
「よいか、テレーズ。そなたにとっては耳が痛い話であろうが、過去の事実を知らなければ、今現実で起こっていることは見えてこない」
話の折々でテレーズに声をかける。ちゃんと聞いているかと確認するように。
「だがまあ、余が早くに即位していれば、決してそなたの父のようにはならなかった。革命などというものも起こらず、ブルボン王家もフランス王国も幸せなままでいられたのだ」
「……そうですね、陛下」
対するテレーズは、口にできない反論を心の中で吐き出す。
(こう思った、だなんて言うけど、お父様の心がどうしてプロヴァンス伯に分かったのかしらね)
大変親しい間柄だったなら、相手の気持ちを読むことが出来たのかもしれない。
けれども生前の父とこの叔父は、テレーズが知る限り、決して仲のいい兄弟ではなかった。
そういえば、こんな話を聞いたことがある。
世の中には、相手の言葉や表情、身ぶりといったものが一切なくても人の心を読むことが出来る、特殊な力を持った人間もいるのだと。
まさかルイ十八世は、若い頃からそんな特殊能力を持っていたのだろうか。だとするなら、テレーズが常日頃考えていることは、とっくに知られているはずだ。
でなければ、
(自分の憶測を、過去の事実だと思い込んでいるだけじゃない)
王の話すことは、プロヴァンス伯がルイ十五世の跡を継いでいればよかったという結論で、いつも終わる。
要するに、テレーズの父は早くに亡くなればよかったと、暗に言っている。
テレーズの両親が結婚していなければ、テレーズは、この世に生を受けなかった。
ルイ十六世がいなければよかったと言われることは、すなわちテレーズにとって「お前は生まれてこなくてよかった」と言われるのも同然なのだ。
姪の気持ちをよそに、王はしゃべりながらも食べる速度を落とさない。
食事が進むと、給仕された料理を王自ら切り分け、客に差し出すことまでし始める。
自分の主張を聞かせるだけ聞かせて、すっかりご機嫌になっているようだ。
テレーズはというと、まったく食欲が湧かない。
こんな話を聞かされながらの食事が美味しくなるはずがない。どんなに腕のいい料理人が作ったものも、不味くなるばかりだ。
ところで、同じ食卓に着くアングレーム公はというと、相変わらず黙りこくったままだ。
王が話し好きの大食漢であるなら、従兄はその真逆。無口で少食すぎる。
彼が話し下手だと王も知っているからか、話の折々で彼に声をかけることはない。さながらテレーズ一人が集中砲火を浴びている状態だ。
とはいえ、従兄がどんな気持ちで王の話を聞いているかは、容易く想像できる。
(クソデブの主張に同意しながら、内心でほくそ笑んで、お父様のことを嘲っているに違いないわ)
ルイ十八世を君主にいただく宮廷とは、あいにく、そうした世界なのだ。
王の精神攻撃は、これだけに留まらない。
「回顧録には、そなたの証言が必要不可欠だ」
タンプル塔に収容されていた頃のことを、話せと命じてきた。
言葉にするということは、何があったかを思い出さないといけない。脳裏をよぎるだけでも苦痛を伴う記憶を、話して聞かせろというのだ。
王家の歴史を残しておくためだと王は言うが、お涙ちょうだいで世間の同情を集めたいだけであろう。
不快な話を聞かせてくることにしろ、回顧録のことにしろ、王はテレーズに対して嫌がらせをしているに違いない。
ルイ十六世とマリー・アントワネットのことを、今もなお嫌っているルイ十八世は、その娘のことも腹の底では嫌っている。テレーズを精神的にいたぶることで憂さ晴らしをしているのだ。
テレーズの心が休まる貴重な時間は、王が執務室にこもっているときくらい。
なんでも、王は執務室で、日々膨大な量の手紙や書類をしたためている。ヨーロッパ各地にいるエミグレや、ブルボン王家の支持者と連絡をとり合っているのだと、ダヴァレー伯が話していた。
この話を、初めテレーズは信じていなかった。なにせ発言者は王の寵臣にして、おべっか使いの男である。
暇を持て余している王なのだとテレーズに思わせないよう、見栄を張って忙しさを装っているのだろうと。
ところが、単なる見せかけでもないようだった。
それは、テレーズが所用で、王の執務室に赴いた時のこと。
物書き机を見れば、手紙や書類とおぼしきものが何枚も積み上げられていた。王のペンを動かす手元を見れば、ウィーンで受け取っていた手紙と同じ筆跡だった。
王は、ペンを手にしている間は静かになる。
元より口数が多くなるのは、もてなしの場に限ってのこと。普段は物静かなのだ。
(もうずっと執務室にこもってなさいよ)
近頃こう願ってやまない。
だが現実問題、執務室から出てくるな、テレーズの前に現れるなと王に頼むのは無理。
嫌いな相手のことを避けるため、こちらの方が部屋にこもるようになった。
引きこもりと化したテレーズの元に、従兄が顔を見せに来ることはない。
もちろん、自分たちは今もって完全な夫婦になっていない。寝所以外で互いが顔を合わせるのは、毎朝のミサのとき、そして食事のとき。
ただひとつ、従兄について不思議に思うことがあった。
ココが、彼に懐いているらしいのだ。
もっともショワジー嬢やユー男爵の証言なので、単なる勘違いではないかと、テレーズは思っている。
何はともあれ、こうして結婚一年目の夏が過ぎていく。自分自身で決めた人生の選択に、後悔する毎日であった。
【89. 中途半端な夫婦 前編】




