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84. 婚礼の日

 六月十日。

 ジョゼフィーヌは、窓の外を見上げた。

 忌々しいほどの晴天。

 どしゃ降りの雨ならよかったのにと思いながら、窓に背を向けた。


 ここは新婦の控え部屋。

 姪は花嫁衣装を身にまとい、すでに準備を終えている。


「あなたも可哀相ね。こんなヨーロッパの端っこにある、みずぼらしい宮殿。しかも間に合わせの祭壇で、結婚式をするだなんて」


 返事はない。沈んだ面持ちで黙り込む姪は、こちらと目を合わせもしない。

 今朝から、姪はずっとこうだった。

 式を控えて緊張している様子とも違う。昨日までの愛想のよさは、どこへ行ったのか。


「さっきからどうしたの。そんな顔でいたら、アングレーム公はあなたに幻滅して、初夜を放棄するかもしれないわよ」


 そうなったらなったで滑稽だ。


 姪がようやく顔を上げた。


「……お気遣い、ありがとうございます」


 暗い声で答えると、うつむいた。

 やはり様子がおかしい。


 もっとも、あの憎き義姉の娘。結婚式という人生の晴れ舞台がどうなろうと、ジョゼフィーヌの知ったことではない。



 それから、大広間に移動した。

 結婚式が執り行われるのは、ミタウ宮殿の礼拝堂ではない。そこは十分な広さではないそうで、大広間に急きょ祭壇が設けられた。


 宮廷司祭と向かい合う、甥と姪。

 二人の背中を見守る参列者。最前列に、王と王妃の席がある。


 ジョゼフィーヌが隣に視線を移せば、そこにいるのは、得意げな顔で椅子にふんぞり返る夫。

 その横顔が、二十八年前の姿と重なった。


 ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂で執り行われた、自分たち夫婦の結婚式。

 その結婚に、神の恩寵(おんちょう)はなかった。

 何ひとつ実りのない、無意味な結びつきに終わった。


(今祭壇の前にいる二人も、私たちと同じように、不幸な結婚になればいいんだわ)


 式は滞りなく進み、次は指輪の交換。

 甥と姪が体の向きを変え、互いに向かい合う。

 それぞれが指輪を手にしたところで、おかしなことが起こった。


 姪が下を向いたまま、固まった。

 緊張して指輪がはめられず、苦戦しているふうでもない。


 すると、ジョゼフィーヌの視界の端で、夫が身じろいだ。

 ダヴァレー伯の助けを借りて、その肥満ではこれが精一杯という速さで、椅子から立ち上がる。

 そのまま祭壇の方へ歩いていく。


 他の参列者が何事かとざわめく中、夫は周囲に構う様子も見せず、甥と姪の前に立った。


「テレーズよ。その指輪が何か、分かるか」


 うさんくさいほどに優しい声で語りかける。


「母の、名前……」


 しゃがれた声は泣いていた。


「そうだ。不幸にして亡くなった、そなたの親の形見だ」


 形見とは一体。

 夫は、のそりと体の向きを変えるなり、


「そなたたち、よく聞くがいい。今ここにいる者たちは、またと見出しがたい瞬間に立ち会えた果報者だ!」


 演説でもするかのように話し始めた。


 姪が手にした指輪は、ルイ十六世の形見。彼が断頭台に上がる間際、その薬指から外し、付き添いの者に託した結婚指輪。

 それが、めぐりめぐってルイ十八世の元へとたどり着き、たった今新郎から新婦へ渡された。

 指輪に刻まれているのは、マリー・アントワネットの名前の頭文字。そして、姪の両親の結婚式が執り行われた日付だと。


 話の内容は、大体こんなもの。

 一聴すると良い話だが、昔日(せきじつ)のフランス王家の内情を知る者からすれば、皮肉という他ない。

 元の持ち主が処刑される前、他の人間に託したまではいいとして。それが何をどうしたら、元の持ち主のことを心底嫌っていた男の元にたどり着くのだろう。


 とはいえ、哀れな運命をたどった指輪は、元の持ち主の娘が今受け取った。

 かつてのプロヴァンス伯の手から解放されたなら、多少は報われるのだろう。


 それにしても、


(一体誰のための結婚式なのかしら)


 こう思わずにはいられない。


 甥と姪の結婚式という舞台上で、見栄っ張りの王が主役(づら)をしている。これでは、王がお膳立てした、王のための結婚式である。


 だが考えてみれば、王のための結婚となるのは何らおかしくない。むしろ当たり前のことだと、ジョゼフィーヌは気づいた。


 王族の結婚とは、国の政治の一環。夫婦となった当事者二人がどれだけ不仲であろうと、跡継ぎが生まれて、なおかつ両国間の関係が保たれさえすればそれでいい。

 その目的が果たされず、失敗した最大の例が、姪の両親でもあるわけだが。


 政治の一環としての結婚。それが良きものになれば、結果として一番得をするのは、当事者たる夫婦ではない。

 国の政治を行う君主だ。

 現に義姉の実家は、婚姻政策でどれだけ領土を広げたことか。今となっては過去の栄光だが。


「よいよい、好きなだけ泣くがいい。ほらアングレーム、そなたの妻だぞ。抱きしめてやりなさい」


 甥は言われるがまま、ぎこちない様子で、姪の背中に腕を回す。

 対する姪は、形見の指輪が登場するという演出によほど感動したのか、泣き続けている。


 式は中断したまま、先に進まない。

 誰が指示を出したのか、参列者は拍手をし始めた。


「……とんだ茶番だわ」


 ジョゼフィーヌがこぼした言葉は、鳴り止まない拍手にかき消されたのだった。




【84. 婚礼の日】


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