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81. 叔父と姪の思惑 前編

 馬車に揺られながら、テレーズは考え事をしていた。


「また難しい顔をされていますよ」


 ショワジー嬢の声。

 テレーズは、とっさに笑顔を作った。こちらの重たい気持ちを悟られないように。


「緊張しているの。今日到着なんだと思うと」

「私もです! テレーズ様のご夫君となられるお方がどんな殿方なのか、この目で確かめたくて仕方ありません!」


 テレーズが言い終わるか終わらないうちに、ショワジー嬢の明るい声が被さった。


 ウィーンを発って一ヶ月。道中に大きな町はほとんどない。

 帝都での暮らしが長かったショワジー嬢にとっても退屈な旅であろうに、彼女は嫌な顔ひとつ見せない。

 彼女自身が結婚するわけでもないのに、アングレーム公との対面をよほど楽しみにしているようだ。


「ああ、なんて素敵なのかしら。幼なじみの王子様と十年ぶりに再会。そして、そのまま結婚だなんて」


 うっとりした表情で言う。

 何ら事実と反していないが、何故だろう、いくぶんか美化しているように聞こえる。


「そういえば、あなたはフランスの王族を見たことがないのよね」

「はい。私は、子供の頃に家族とフランスを離れて、以来ずっと亡命生活でした。テレーズ様以外とは、まだ誰にもお目にかかったことがありません」

「なら、故郷にいた頃のことはあまり覚えてないんじゃない?」

「実はそのことを、ずっと口惜しく思っていました。私には兄や姉が何人かいるのですが、私だけ歳が離れているせいで、鏡の間を見たことがないのは、家族の中で私だけなんですよ」

「まあ、そうなの」


 とりとめのない話をしていると、窓の外に人家が増えてきた。

 予定では、今日にはミタウに到着する。


 あの叔父と顔を合わせる時が、いよいよ来る。




■■■




 ルイ十八世は、頭を抱えたくなった。

 妻は、ミタウ宮殿にある酒という酒を私室に運び込ませ、そのまま閉じこもった。

 情婦を同行させただけにとどまらず、到着早々なんという醜態。とんだ恥さらしだ。


 そもそも、王は好き好んで、あんな古女房をここへ招いたのではない。


 今こそ一族の結束を見せる時。あの愚兄が家長であった時代と、ルイ十八世が家長となったブルボン王家は違う。そう誇示する絶好の機会。


 だのに弟一家、新郎の家族ときたら。

 さすがに新郎本人はいるが、あとは誰も来ない。全員欠席。

 そのため、やむなく妻を呼んだ。


 妻が宮殿に到着した時、折悪しく王は自分の部屋から出られなかった。持病である痛風の発作が起こり、身動きがとれなかったのだ。

 発作はしばらくして治まったので、部屋から出て、妻に会いに行こうとした。

 ところが妻の姿はない。

 ばつが悪そうにする臣下から、妻が到着早々しでかしたことを報告された。



 そして、一夜明けた今日。

 昼頃、妻がいけしゃあしゃあと部屋から出てきた。酒の臭いをまとわりつかせながら。


「どうりで昨日あなたの姿を見なかったわけだわ。狩猟に出ていたのね」

「はい」

「この雑木林の中で狩りをするの?」

「いいえ」

「まあ、それもそうよね。小さそうな島だし、何かを獲るといっても、獲物は野草かキノコしかなさそう」


 王から少し離れた所で、妻は甥と話をしている。

 ただ口下手な甥が相手ゆえ、妻がほとんど一方的にしゃべっている状態だ。


「運動のためには馬に乗るのもいいのでしょうけど、あなたはもう少し太った方がいいわよ。服の上からでも痩せすぎなのが分かるもの」

「はあ」

「ああでも、向こうにいる脂肪の塊みたいになったらだめよ」


 王のいる方を指さす妻。肩越しに振り向き、横目でこちらを見る甥。

 君主に対する無作法は、この伯母にして、この甥。


「そういえば、私たちが最後に会ったのは、あなたとベリー公がトリノにいた時よね」


 妻が話を続けると、甥は正面を向く。


「確か、私が実家に戻ってきて、入れ違いであなたたち兄弟がコブレンツへ行って……あれから何年経つのかしら」

「七年です」

「あら、そんなに。七年も経てば、あなたも大人になるはずだわ」


 甥が大人びたというなら、妻は最後に会った時より一層老け込んだ。

 とうに若さを失っても、太い眉毛は今でも健在。どこまでも美しさとは無縁な女。

 それが今のフランス王妃。

 ルイ十八世が、自分の隣に座らせなければならない女。


「ところで、あなたの家族は?」

「来ておりません」

「遅れているの?」

「来る予定がないので」

「まさか、誰も来ないの?」

「はい」

「まあまあ!」


 いやに大きな反応。

 これは純粋に驚いているのではない。他人の醜態を喜び、ほくそ笑んでいるのだ。


「おめでたい日だっていうのに、そろいもそろって薄情な家族だこと」


 妻の視線が、またこちらを向く。さもこう言うかのように。


『ふうん。これが今のフランス王の求心力なの』


 一人の子供も残せなかった石女(うまずめ)の分際で、夫君に対するこの態度である。


「王妃様、こちらで生活するうえで不都合があれば、遠慮なくおっしゃってください」


 甥が珍しく長い言葉を口にした。前もって考えていたせりふであろう。


「気を遣わなくていいわよ。ぞんざいに扱われるのには慣れているし、式が終わったらすぐ帰らせてもらうから」

「終わったら帰る?」

「そうよ」

「ここにお住まいになるのでは?」

「住まないわよ。いつそんなことを言ったかしら」


 今度は、甥がこちらを向く。レンズ越しの目はこう言いたそうだ。


『伺っていた話と違うのですが』


 妻本人に確認してはいないが、式が終わったら早々に帰ることくらいは予想していた。それを甥に伝えず、この宮殿に住まわせると話していた。


 一族の結束を誇示する絶好の機会。良く見せて、何が悪いというのだ。


 そこへ、臣下の一人がやって来た。

 彼はダヴァレー伯。

 不遇な王弟だったプロヴァンス伯を支え続け、亡命先でも苦楽を分かち合ってきた唯一無二の友である。


「陛下、マダム・ロワイヤルの馬車が近くまで来ています」


 王の心を輝かんばかりに照らす報告。待ち焦がれていた時の到来だ。


「分かった。出迎えに行く」


 それから、妻と甥に命じた。早く支度をしろと。


「私も行くの?」

「当然だ」

「アングレーム公だけでいいじゃない」

「そなたは王妃なのだ。同行しないでどうする」

「……分かったわよ。行けばいいんでしょう」


 不服そうな妻、無言で席を立つ甥、そしてダヴァレー伯と共に、王はミタウ宮殿を出発した。




 六月初旬の日差しが、街道沿いの木々を照らす。

 停車した、双方の馬車。

 向こうの馬車から降りてきたのは、小ぎれいな身なりをした若い女。

 子供の頃の面影がある。あれが姪だ。


 こちらも馬車から降り、数歩先にいる姪に向き直った。


 よく見ると、姪は泣いている。

 一族の者と再会できたことが、それほどまでに嬉しいのだろう。


 感動しているのは、王もまた同じだ。


(ついに、駒がそろった)


 姪マリー・テレーズは、ルイ十八世が名実ともに王位に就くための、最も重要な駒。


 王の元に駆け寄ってきた姪は、地面にひざまずくなり服従の意を示した。ここが公衆の面前であることを、本人が気にする様子はない。


「国王陛下、やっとお目にかかれました」

「よくぞここまで来た、テレーズ」


 話に聞いていたとおり、声がしゃがれている。

 暗君の父親と敵国人の母親のせいで辛酸をなめ尽くした人生。その末に女らしい声まで失ってしまった。なんと哀れな娘であろう。


「あなたの娘が、ここにいます。どうか、私の父親になってください」


 涙ながらの姪の言葉は、王の琴線に触れた。

 ルイ十六世の娘として生まれたのが運の尽きだった。プロヴァンス伯もといルイ十八世の娘として生まれたかったという意思表示。


 姪を地面から起こし、きつく抱擁した。


「もちろんだとも。そなたは今までもこれからも、余の娘だ」

「陛下……」


 健康そうな体つきだ。

 この体は世継ぎを産むためのもの。病弱であったり、甥のような棒切れ体型では困る。

 体を離すと、姪の涙は止まっていた。


 実に八年ぶりの再会。パリにいた頃はまだ少女だった姪は、当時の面影を残しつつも、そこそこ美人に育っている。エリザベートを彷彿(ほうふつ)とさせる顔だと聞いていたが、確かにそのとおりだ。


 そういえば、家族の紹介をまだしていなかった。


「余の妻、王妃マリー・ジョゼフィーヌ。そなたの新たな母だ」

「お久しぶりです、王妃様。またお会いできる時を待ちわびていました」

「ええ、ごきげんよう」


 にわかに低くなった妻の声。不機嫌そうな表情といい、甥と話していた時と態度が違い過ぎる。

 もっとも、数日後にはミタウを離れる妻のことを、そう気にかける必要はない。


「そして、彼がアングレーム公。そなたの夫だ」


 肝心の甥は、その場にぼさっと突っ立ったまま。


 姪が片手を差し出したことで、甥は気づいたように手を取り、口づける。

 だがその動作は、ずいぶんとぎこちない。

 二十三歳にもなって、ちゃんとした挨拶も出来ないのか。


「会うのは十年ぶりね」

「ああ」

「こうして話ができて、とても嬉しいわ」

「そうだな」

「ウィーンで受け取るあなたからの手紙を、いつも読んでいたのよ」

「……そ、そうか」


 話しかけられても返事は短く、しかも口ごもる。なんというお粗末な受け答え。

 先ほど妻と話していた時の方が、まだまともな返答が出来ていたというのに。相手が若い女だから緊張しているのだろうか。


 甥の姿に呆れつつ、王は何気なく視線を投げた。


 目に留まったのは、少し離れたところにいた若い娘。先ほど、姪と一緒に馬車から降りてきた。


「そなたはウィーンから随行してきた者か」


 こちらが声をかけると、彼女は緊張した様子で名を名乗る。

 ショワジー侯爵の娘と言われ、王にはすぐピンときた。


「遠路はるばる大儀であった。ここミタウでも、テレーズのことをよろしく頼む」

「もったいなきお言葉です」


 この宮廷に仕える者は、ほとんどが王と同年代かそれ以上。姪からすれば年寄りばかり。

 話し相手でもいれば退屈しのぎになるだろうと思い、若い女官を見つくろった。


 もっとも、姪が退屈を持て余すのは、せいぜい最初の一年だけ。すぐにでも世継ぎを産ませるのだから。


 王は改めて、若い二人に目を向けた。

 会話が弾んでいるようには見えない。甥の調子に引きずられてか、姪の言葉数も減っている。

 その隣では、妻が退屈そうにしている。甥と姪の邪魔をしないように、というよりは、二人のことに興味を示していない様子だった。




【81. 叔父と姪の思惑 前編】


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