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74. 望まれぬ人

 フランス王ルイ十八世は、亡命先でも不遇の身だった。


 ヴェルサイユで生を受けた王族でありながら、無能な兄と敵国女によって王位から遠ざけられてきた王弟プロヴァンス伯。


 その悲運は、故国から無事脱した後も終わらなかった。


 母方の叔父を頼って、コブレンツに腰を落ち着けた。

 今振り返れば、本来の身分にふさわしい暮らしを享受できたのは、同地で過ごした日々が最後だった。


 コブレンツを離れた後、各地を転々とした。

 姪をオーストリアに奪われたうえ、王自身はヴェローナを追い出され、コンデ軍の駐屯地に向かうも、今度は皇帝フランツの命令で立ち退かざるを得なくなった。


 ドイツを放浪中、銃殺されそうになったこともある。

 幸いにして軽傷で済んだものの、フランス王の命を狙った卑劣な暗殺者は逃走。相手の正体も分からずじまいだった。


 その後、王はブランケンブルクに腰を落ち着けた。

 エジンバラにいたアングレーム公を同地に呼び寄せたが、この陰気な甥では、まったくもって王の慰めにならない。

 むしろ存在そのものが、王を不愉快にさせるばかりだった。


 王の暮らしぶりは、住まいが変わるにつれて、みずぼらしくなった。

 だが神は、不遇な王を見捨てはしなかった。


 次なる住まいはロシア帝国。バルト海に近い都市ミタウ。

 甥と少数の従者を従えて雪の田舎道を進み、今年三月、同地にたどり着いた。


 最終目的地ミタウの市門をくぐった時、王を乗せた馬車は、ファンファーレに迎えられた。

 制服姿の衛兵たちが、乱れなき動作で武器を掲げて敬礼する姿。

 まさしく君主にふさわしい歓待。

 王は思わず涙ぐんだ。各地で冷遇され続けてきた、その苦労が報われたのだと。


 ところが感動したのも束の間、現実を思い知らされた。


 案内された住まいは、市壁の外にあった。

 川の中にある小島。辺りに広がるのは、庭園ではなく雑木林。


 そこに建てられていたのが、ミタウ宮殿。

 (あるじ)を失って数年のうちに荒れ果ててしまった、宮殿とは名ばかりの建物。


 外観のみならず、内部の荒廃ぶりはひどいものだった。


 どの部屋も、内装がところどころ剥がれ落ち、壁の下地はむき出し。

 雨が降ろうものなら、傷んだ天井から雨漏りがする。

 残されていた家具は、まともに使用できるものがほとんどなく、食器類やリネン類も不足しているというありさま。


 さりとて、失意の底に沈んでいるわけにはいかない。建物を修繕しつつ、家具や調度品を新たにそろえた。

 姪がやって来るまでに、この廃墟を、然るべき君主の住まいにするためだ。

 結果、膨大な借金を作ったものの、それは必要経費。ルイ十八世が名実ともに王位に就けば、返済できる。


 そうこうするうちに春夏と過ぎ、秋になった。

 冬の訪れは早い。

 聞くところによると、一年の半分近くが冬という土地だ。


 ところで、甥の骨折はすでに完治している。

 聞けば、落馬の原因は単なる不注意。つくづく嘆かわしい甥である。





 ある日。

 ミタウ宮殿の一室、書庫に行くと、本棚の前に小柄な男が立っていた。


「ここにいたのか、アングレーム」


 その頭が動き、こちらを向いたのは、王が声をかけてから数秒後。

 王が部屋に入っても気づく様子を見せない。話しかけてもすぐに反応しない。なんと鈍重なことか。


「何かご用ですか」


 抑揚(よくよう)のない甥の声。


「用がないと、来たらいけなかったか」

「いいえ……」


 甥はあいまいな返事をして、口をつぐむ。


「何の本を読んでいるのだ」

「小説です」

「どのような内容だ」

「……えっと、ですね」


 言いよどみながらページをめくるも、


「こういう本です」


 内容を説明せず、こちらに表紙を見せるだけ。


「えっとですね、こういう本です、だけで何が分かる。そなたは本を開いたまま、別の考え事でもしていたのか」


 分厚いレンズの眼鏡。その向こうにある甥の目は、気まずそうに泳ぐ。


 背丈は人並みより低く、ひょろっとした体には筋肉もない。

 眉目秀麗とはほど遠い容姿。


 最近の若者の例にもれず、この甥もかつらを付けていない。革命家の真似事は止めろと王から注意しているにもかかわらず、一向に改めない。

 それでいて、常時露出する地毛を整えている様子もない。すなわち外見を良く見せようとする意欲は皆無。


 さらには、話しかけても今のような態度。


「本の虫になって知識を広げるのは素晴らしいことだが、そなたはもう少し人前に出て、社交性を示せ。ここミタウは、曲がりなりにも一国の首都だった場所。人が集まるところへ行けば、人脈を広げられるぞ」

「はあ」

「もっとも、そなたにとって、見ず知らずの人間と交流するなど無理難題もいいところだな。臣下はおろか実の伯父を前にしても、そのような振る舞い方では」

「……」

「相手が何かを言ったら、口ごもらず即座に答えろ。そして、もっとはきはきと物を言え。そのような調子では、家族にも臣下にも嘲られ、見捨てられるぞ。あの愚兄のようにな」


 いつもと同じ忠告をして、王は書庫を後にした。


(何故あのような男を、テレーズの婿にしてしまったのだ)


 王は後悔していた。

 甥二人のうち、姪の結婚相手にアングレーム公を選んだことを。


 姪の生存が明かになった時、アングレーム公もベリー公も結婚が決まっていなかった。順当に長男だろうと思い、アングレーム公にと決めた。


 今にして思えば、我ながら浅はかな決断だった。


 次男ベリー公は父親(アルトワ)に似て、陽気で社交的、人前に出ても物怖じしない性格。

 兄の方ではなく弟の方を結婚相手に選んでいれば、こんな後悔はしていなかったはずだ。


 実の親子でもないのに、アングレーム公はどういうわけだかルイ十六世に似ている。

 これでは、愚兄夫婦の(てつ)を踏みかねない。

 なにせ姪の母親は、あのマリー・アントワネットである。


 かといって、今になって結婚相手をベリー公に変更できない。

 姪の生存が分かった時から、アングレーム公に娶らせると公言してきた。

 何より当の姪も、アングレーム公と結婚するつもりでいるのだから。


 甥と、血統が極めて怪しい姪。

 この二人を結び合わせるためなら、王は労を惜しまない。タンプル塔の孤児という政治的価値を持つ駒を、手中に収めるためにも。


 そういえば、タンプル塔の孤児はもう一人いた。

 君主らしいことなど何ひとつしなかった幼子、ルイ十七世。

 タンプル塔からひそかに脱した、本人はまだ生きていると、今もなお噂されているそうだ。


 ルイ十八世の中では、あの甥は、すでに死んでいる。この世にいない存在だった。




■■■




 昼下がり、テレーズは物書き机に向かっていた。

 今書いているのは、ミタウにいる王とアングレーム公への返事だ。


 従兄は、昨年から王と同居を始めて、ミタウでも一緒に暮らしている。そのため、彼と王の手紙は、同封された形でウィーンに届くようになった。


 送る手間や郵送費が省けるのは良いのだろうが、テレーズから送る手紙が、男二人の間で筒抜けになっているのは確実だろう。


 従兄の怪我は完治したようで、また手紙が届くようになった。

 ただ、少し気がかりなことがある。

 彼の書く手紙の内容が、以前に比べて、他人行儀になっているのだ。


 初めて受け取ったものは、友人に宛てたような文面で、それから一気に恋文めいたものに変わるも、怪我が完治した頃から、また友人宛ての文面になった。

 他人行儀になったというより、元に戻ったというべきか。


 それはそうと、王と従兄がいるミタウ。地名は聞いたことがあるものの、どんな場所なのか想像がつかない。

 ロシア領になったのは、今から三年前。それまでは公国の首都だったという。ならば多少なりとも栄えてはいるのだろう。


 ただそれでも、ヨーロッパの端っこ、僻地(へきち)へ追いやられたという印象は否めない。


 砂糖水で書く文は、テレーズの近況報告や王政復古に向けた志し。

 黒いインクの文には、皇帝フランツへの感謝や賛辞を散りばめる。検閲されても問題ないように。


 今日書いた分は、王と従兄の他にも、亡命先にいる人々に宛てた手紙が何通か。


 呼び鈴を鳴らし、部屋に来た女官に渡した。


「これらを届けてもらえるかしら」

「かしこまりました」


 女官が退室した後、テレーズは筆記用具を片づけ、机の引き出しを開けた。


「あら、いけない。渡しそびれたわ」


 引き出しの中に一通だけ残っていた。

 昨日の夕方に書いた分。書き終えた頃には室内が暗くなっており、物書きを続けるには不便だったので、これだけ机にしまっていた。


 追加で届けてほしいと頼もう。


 また呼び鈴を鳴らした。

 何度か鳴らすが、誰も来ない。


 少し時間を置いて、また鳴らす。だが誰も来ない。

 呼んでも来ないなら、こちらから行くしかない。


 物書き机がある部屋を出て、応接間を抜ける。ここを出ると、もうテレーズの部屋ではない。

 自分の部屋から出る際には、女官の付き添いが必要。しかし呼び鈴を鳴らしても人が来ないとなれば、仕える側の職務怠慢である。テレーズに落ち度はない。


 応接間を出て、少し歩いたところで、話し声が聞こえた。

 見れば、女官が二人、こちらに背を向けて立ち話をしている。うち片方は、先ほど手紙を渡した彼女だ。


「他国の代表もいる前で、そんなことを言ったの?」

「ええ、もっぱらの噂よ」

「いやだわ。これだから泥臭いコルシカ人は」


 雑談に夢中で、後ろに人がいることにも気づいていない様子。

 勤めを怠けている女官たちに呆れつつも、テレーズは声をかけようとした。

 ところが、


「フェルセン伯もとんだ災難ね。面と向かって『あんた王妃と寝たんだろう』だなんて言われて」

「でも、アントニア様と彼のことは、そもそも原因を作ったのがルイ十六世じゃない。王族といい共和主義者といい、フランスには嘆かわしい殿方しかいないのかしら」

「ああほら、ここはテレーズ様がお住まいの宮殿よ。そういうことは言わない方がいいわ」

「そうね。もし聞かれでもしたら……」

「……」


 破廉恥な内容の雑談で盛り上がっていた二人は、振り向くと同時に口をつぐんだ。打って変わって畏縮した様子になり、申し訳ございません、と声をそろえて謝る。


 テレーズはというと、何も言う気になれない。


 ひとまず、持ってきた手紙を差し出した。先ほど渡したものと一緒に届けてほしいと頼んだ。

 そして、すぐ自分の部屋に戻る。

 ばたんと勢いよく扉を閉め、背中をもたせ掛けた。


 さらし台に乗せられた。

 間男と連座で、さらし台に乗せられた。


 恥辱と怒りで、顔はおろか体までが熱くなる。爪を立てて、全身をかきむしりたい。

 やり場のないこの感情を、一体どうすればいいのだろう。


 室内を見回し、あるものを目に留めた。

 ソファの上にあるクッション。

 クッションに罪はないが、あれにぶつけよう。


 ルドヴィカの気持ちが、今のテレーズには痛いほど分かる。




【74. 望まれぬ人】


≪ミタウとは≫

 現在のラトビア共和国にあります。

 ただし、ミタウとはドイツ語やロシア語の呼称。

 ラトビア語の地名は Jelgava(エルガワ)

 実際の発音に近づけるならイェルガワですが、ただでさえマイナーな地名。とっつきづらさを減らすため、解説では「エルガワ」と書きます。

 ちなみに現在のラトビアの首都はまた別の場所。エルガワより少し北にある Riga(リガ) という都市です。



≪今から三年前≫

 ロシア領になったのは一七九五年。第三次ポーランド分割の時。



≪亡命先でのブルボン家≫

 プロヴァンス伯を「フランス王」とする亡命宮廷は、一時期ドイツ西部のコブレンツにありました。

 ここには他のフランス王族や宮廷人(オルレアン家はまた別)が集まったものの、当時の彼らはパリの情勢を楽観視していました。


 もっとも情勢を楽観視していたという点では、神聖ローマ皇帝の戴冠式をやっていたオーストリアも似たようなものですが。


 亡命宮廷がコブレンツにあった期間は、実のところ長くありません。革命戦争が始まった年の暮れ、同地から撤退。

 作中でいう流浪の民は、おのおのがヨーロッパ各地を転々とする生活になります。


 ブルボン家のために色々な国が協力してくれたというより、どこの国からも厄介払いされていたようです。


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