72. 敵将ブオナパルテ 前編
「つぎは、わたしのへやに来て」
この一言で、テレーズはルドヴィカの部屋に招待された。
もっとも、
「ちゃんとココもつれてきてね、お姉さん」
こう念押しされた。誕生パーティーの時と同様、ルドヴィカのお目当ては、あくまでココなのだ。
ルドヴィカの部屋に行く当日、折悪しくアマーリアが体調を崩した。
せっかくなら一緒に行きたい。日をずらそうかと思い、テレーズは彼女の元へ相談に行った。
アマーリアはふせっている間、人と会うのを嫌がる。身づくろいをしていない姿を見られたくない、切実な乙女心なのだという。
だが今回だけは無理を言い、見舞いに行った。
「私のことは気にせず、行ってきて」
寝台で横になるアマーリアは、目がうつろで、声は普段より弱々しい。
「ルドヴィカは今日を楽しみにしてたはずよ。それを私たちの都合で取り止めたら、きっとすごく残念がるわ」
確かに、アマーリアさんの言うとおりだ。
「あとね、テレーズさん」
「何?」
「ルドヴィカはあなたに対して素直じゃないけど、ココのことだけじゃなくて、本当はあなたのことも大好きなのよ」
「そんなまさか。ルドヴィカさんにとっての私は、ココのおまけだもの」
アマーリアは小さく笑みを浮かべ、枕の上で首を左右に振った。
回復したら、次は一緒に行こう。そう約束して、テレーズは寝所を後にした。
それからシャンクロ夫人と共に、ルドヴィカの部屋に向かった。もちろんココも一緒だ。
「ようこそ、ココとお姉さん」
扉を開けると、ルドヴィカとヨハナに迎えられた。
いつもより改まった様子のルドヴィカは、どこかソワソワしている。テレーズたちを初めて招き入れるからだろう。
ルドヴィカは、すでに自分の部屋を持っている。
続き部屋の手前には、勉強机やソファが置かれてある。その奥が寝所。
二部屋とも内装は薄ピンク、綺麗な花柄模様で統一されている。女の子らしい部屋だ。
ココにとっても初めて来る場所。興味深そうに辺りを見回しては、床や家具のにおいを嗅いでいる。そのすぐ横にルドヴィカが寄り添う。
大人たちはソファに移動した。テレーズだけが座るのではなく、ヨハナとシャンクロ夫人にも座ってもらった。
三人で話す話題は、もちろんルドヴィカについて。
ヨハナとじっくり語らうのは、テレーズにとって初めてだ。
ルドヴィカのことを楽しそうに話すヨハナ。ルドヴィカが彼女に懐いているのと同じように、彼女もまたルドヴィカを慈しんでいるのだと、その話しぶりから伝わってくる。
ただ彼女が言うに、ルドヴィカには同年代の遊び友達がいない。歳が近い貴族の子供と接する機会もないという。
「妹さんたちとは遊ばないの?」
確か、ルドヴィカには妹が三人いる。
「あいにく、どの姫君もご幼少でして」
ヨハナの表情が陰りを帯びる。
あまり触れてはいけない事柄かもしれない。テレーズからも、それ以上の質問は控えた。
(一人っ子でもないのに、きょうだいと遊ぶ機会がないだなんて)
ルドヴィカは思いのほか、寂しい境遇で育っているのかもしれない。
「なら皇帝陛下や皇妃様が、この部屋にお越しくださるのかしら」
「お二人は、ちっとも来てくださらないわ!」
テレーズの言葉に答えたのは、ヨハナでもシャンクロ夫人でもない。
突然声を荒らげたルドヴィカだった。
「どうしたの、ルドヴィカさん。急に大きな声を出して」
ルドヴィカは返事をしない。その場に立ったままうつむいている。
足元にいるココも不思議がっているようで、ルドヴィカの顔をのぞき込むように見上げている。
すると、ルドヴィカは奥の部屋へと駆け込んだ。テレーズたちが呼び止める声も無視して。
ルドヴィカが消えた先、寝所へ続く扉は半開きにされたままだ。
「何があったのかしら、ルドヴィカさん」
テレーズは、ヨハナとシャンクロ夫人に尋ねた。
ところが、彼女たちの様子も何やらおかしい。
ヨハナは青ざめた顔で視線を泳がせ、シャンクロ夫人は険しい面持ちのまま、扉の方を見ている。
不可解な状況、重苦しい沈黙。
それを破ったのは、
「こいつめ! こいつめ!」
ルドヴィカの声と、何かをぶつけるような音。
今の今まで、ルドヴィカはフランス語を話していた。
だが、向こうから聞こえてくるのはドイツ語。聞き間違いでなければ、テレーズでも知っている罵り文句。間違っても、高貴な生まれの姫君が口にするドイツ語ではない。
それに、何かを勢いよくぶつけるような音もしている。
向こうで、ルドヴィカは一体何をしているのか。
テレーズは居ても立っても居られず、ルドヴィカの後を追った。
扉を開けた先にあったのは、信じがたい光景だった。
「こいつめ! このっ、ブオナパルテ!」
ルドヴィカは何かを手に持ち、壁に叩きつけている。あの敵将の名前を口にしながら、何度も何度も。まるで何かに憑りつかれているかのように。
あまりのことにテレーズは絶句し、扉の前で立ち尽くした。
ほどなくして、ルドヴィカは手を止め、大人しくなった。
手に持っているのは人形であろうか。腕と胴の繋ぎ目がもげそうになっている。今のような扱い方をすれば、こうなって当然だ。
ルドヴィカは無言のまま、こちらを振り向いた。
その顔は、怒っているというより、無表情。今の場面をテレーズに見られても、動じる様子を見せない。
手にしていた人形を放るようにして床に投げる。そのまま寝台へ行き、ふて寝でもするように倒れ込んだ。
テレーズは、シャンクロ夫人とココを連れて、ルドヴィカの部屋を後にした。
今までのルドヴィカは、つんけんした態度のときでさえ可愛げがあった。それなのに、何故あんなふうになってしまったのだろう。
「シャンクロ夫人、何か事情を知っているんでしょう?」
自分の部屋に戻る途中、テレーズは足を止めて、尋ねた。
本当はヨハナから事情を聞きたい。だが彼女は、今ルドヴィカをなだめているだろうから、代わりにシャンクロ夫人から話を聞く。
「テレーズ様のお部屋にて、お話し申し上げます」
神妙な面持ちで、シャンクロ夫人は答えた。
【72. 敵将ブオナパルテ 前編】




