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45. 国賊 前編

 テレーズと叔母がいる部屋には、鉄格子の小さい窓がある。あのたった一ヶ所が、外の世界へ繋がっている。


 室内の掃除は出来ても、窓は高い位置にあって掃除が出来ない。

 鉄格子に蜘蛛が巣を作り、見苦しくなってきたので、近頃は窓の方を見ないようにしている。


 外から聞こえる音は、テレーズたちにとって、ほぼすべての情報源。もっとも、何が起こっているのか、正確なことは分からない。

 時々新聞の売り子の声も届く。父が処刑されることも、そうして知った。


 テレーズと叔母は、相変わらず部屋から出られない。

 弟とは一度会ったきり。

 母の消息は分からないままだ。




 

 十一月のある日、新聞の売り子の声が聞こえた。

 フィリップ・エガリテが処刑された、と。


「分家の無礼者が死んだのね。自業自得だわ」


 テレーズがつぶやいたことに、叔母は返事をしない。黙々と部屋の片づけをしている。


 オルレアン公が処刑された理由は分からないが、死んだところで同情に値しない。

 彼はフィリップ・エガリテと改名していた。

 エガリテとは平等という意味。民衆にこびへつらうための名だ。


「テレーズ、マットレスを戻すわよ。あなたは反対側を持って」


 叔母に声をかけられ、不敬な分家のことは頭から追いやった。


 言われたとおり、マットレスの反対側を持つ。

 二人で協力して、薄っぺらい寝具を寝台の上に戻した。


 今は部屋の片づけをしている。

 捜索という名目で、看守が毎日のように部屋をあさりに来る。

 散らかすだけ散らかして、片づけもせずに出ていくのだ。


 本や編み物の道具など、テレーズたちの数少ない私物は、床に放り投げられる。引き出しの箱や、粗末な寝台のマットレスはひっくり返される。


 そんなことをしても、何も出てこないのに。


 彼らが言うには、テレーズたちは外部と密書のやり取りをしたり、偽の紙幣を作っているという。

 とんだ言いがかりだ。


 思いどおりにならないからといって、声を荒げる。

 自分が言いたいことだけ言って、相手の話を嘘だなんだと決めつける。

 散らかした物を片づけもしない。


 していることは、まるで子供。


 そのうえ、看守には酔っぱらいが多かった。

 先ほど部屋を散らかしていった男たちも、赤ら顔で酒の匂いをまとわりつかせていた。


(パリの人間と酔っぱらいは、大っ嫌い)


 心の中で悪態を吐いていると、叔母に名前を呼ばれた。


 叔母は本を手にしている。大切なものを扱うように両手で持ち、こちらに差し出した。

 床に放られていた祈祷書。


「神様の教えは、どんな時でも心の支えになるわ。そのためにも片づけを済ませましょう」


 優しく微笑む叔母。こちらの苛立ちにつられることも、顔をしかめることもない。

 その笑顔に、テレーズはどれだけ慰められ、そして励まされたか分からない。



 まだ家族全員がここにいて、裁縫道具が手元にあった頃。


 家族が寝静まった夜中、叔母は一人で起き出しては、父と弟の服を修繕していた。

 二人に気づかれないように、下の階から服を持ってきてほしいと、従僕に頼んでいたのだ。


 叔母と同じ部屋で寝ていたテレーズは、自分も修繕を手伝うと申し出たが、断られた。


『私は家族みんなにとって、良い叔母様にもなれなかったし、良い妹にもなれなかったわ。だからせめて、これくらいのことは一人でやらせてちょうだい』


 そんなことはないと言ってテレーズは食い下がるも、叔母にたしなめられた。


 話し声が看守に聞かれれば、夜中に起きて不審な行動をしていると怪しまれる。そうなっては元も子もないと。


 結局テレーズは手伝うことを諦めた。

 ただそれでも、遅くまで起きている叔母を尻目に、自分だけ眠ることは出来なかった。



 母も叔母も、父に対する不満や、好きになれない部分はあったのだろう。

 かといって、父のことを嫌ってはいなかったはずだ。


 もし嫌っていたとしたら、服を修繕するために睡眠時間を削らない。

 永遠の別れの前夜に、ああまで涙を流すことはない。


 チュイルリーにいた頃、テレーズは叔母のことが怖かった。叔母は優しさを失ってしまったのだと思っていた。

 だがそれは違う。

 失っていたのではなく、少しの間だけ、忘れていただけなのだ。





 年が改まり、寒い日が続く。


 薪は運ばれてこなくなった。

 粗末な身なりでは暖も取れない。

 かじかむ手足を温めながら、暖かくなる日を待った。


 毎日のように思った。

 この先、死ぬまで閉じ込められたままなのだろうかと。


 それでも、テレーズには叔母がいる。

 自分一人ではないと思えるからこそ、生き続けていられた。





 五月のある夜。

 扉が壊れるのではないかと思うほど、乱暴に叩かれた。昼夜問わず、これはいつものこと。


 テレーズと叔母は、寝間着に着替えていたところだった。


 少し待ってほしいと叔母が答えると、ぐずぐずするなノロマ女ども、と荒げた声が返ってきて、また強く扉が叩かれる。


 二人とも急いで着替え、叔母が扉を開けた。


 入ってきた看守は、開口一番に言い放った。


「エリザベート・カペー、ここから出る支度をしろ。マリー・カペーは残れ」


 ここから出る支度。

 尋問のために部屋から連れ出された時、こんなことは言われなかった。


 テレーズは悟った。弟や母と同じように、叔母も連れて行かれるのだと。


「テレーズ」


 こちらに向き直り、微笑む叔母。

 怖くない、覚悟は出来ていると言うかのような表情。


 テレーズは覚悟など出来ない。

 恐ろしくてたまらない。

 足がすくみ、体が動かない。


「お兄様とお義姉様に言われたことを守るのよ」


 叔母の両手が、肩に乗せられる。

 こわばっていたテレーズの体が動いた。叔母の胸に飛び込み、すがるように抱きついた。


「叔母様……」

「あなたなら、大丈夫」


 抱きしめ返される腕。

 耳元で聞こえる優しい声。


 だが、ほどなくして離れてしまう。


 看守に向き直った叔母は、毅然とした態度で言った。

 姪が着替えている間は決して部屋に入らないことを、約束してほしいと。



 扉が閉められた、その瞬間。

 十五歳になって半年たらずの少女は、たった一人この牢獄に残された。




【45. 国賊 前編】


≪エリザベートについて≫

 参考文献で挙げた『Madame Elizabeth de France, 1764-1794』を元にしました。

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