44. ゴミクズ
母と引き離された後、テレーズと叔母は監禁状態になった。
使える部屋は、たった一部屋。
入ってくるのは、水と薪の運搬人くらい。
ただし捜索という名目で、看守が毎日のように部屋をあさりに来る。早朝であろうと夜中であろうと。
そうした中でも、テレーズと叔母は、毎日の日課を変わらず続けた。
決まった時間に起床し、寝間着から喪服に着替え、自分で髪を結わう。寝具を整え、部屋を掃除する。
これらすべてを自分一人で出来るように、母と叔母から教わっていた。
部屋の隅に、子供用の祈祷台が置いてある。弟が使っていたものだ。
それは座面がクッション素材の椅子に見えるが、脚の高さが極端に低くなっている。本来の用途は椅子ではない。
祈祷台の座面に膝を乗せ、背もたれ部分に腕を乗せて両手を組み、祈る。そうした使い方をする。
これを弟がまたいつでも使えるように、乾拭きしておくのも、テレーズたちの日課だ。
弟は無事でいるか。
母の裁判はどうなったのか。
乾拭きしながら、テレーズがいつも思うこと。
しばし不安に苛まれていたが、気を取り直して立ち上がった。
「裾が短くなったわね」
声をかけられて、振り返る。
叔母がテレーズの前まで来て身を屈め、喪服の裾を軽く引っ張った。
父亡き後、今も着ている喪服。
テレーズの分にと渡されたものは、サイズが合っておらず、着始めた当初から少しきつかった。
こんな状況下で新調は望めないだろうと思い、母にも叔母にも黙っていた。
残されていた母の平服。それを試しに着てみる。
「まあ、お義姉様を思い出すわ」
久しぶりに見た、叔母の明るい表情。
「パリに来た頃は、私より背が小さかったのに、今はほとんど変わらないわね。ああでも、この辺りがまだゆったりしてるかしら」
子供の頃と比べれば、テレーズの胸はふくらんでいるものの、母ほど大きくはない。
「裁縫道具があれば、直してあげられるけど」
針やハサミは、昨年のうちに没収されている。
「分かってるわ。もう、ここにはないものね」
こちらの言いたいことが伝わったのか、叔母は苦笑した。
改めて見ると、母ほどではないが、叔母の顔にも皺が目立つ。二十九歳という年齢より老けている。
じっと見ていたら、どうしたのかと尋ねられた。
テレーズは焦った。叔母のことを老け顔だと思っていたとは、正直に言えない。
「私の顔は、叔母様に似ているかと思って」
適当に嘘を吐いた。
「そういえば、昔からよく言われていたわね。私とあなたは顔が似てるって」
今度は、叔母がテレーズの顔をまじまじと見る。
「お義姉様とお兄様に尋ねてみたいわ」
聞き間違いではない。叔母は今、母だけでなく、父のことも話題に出した。
それだけのことに、テレーズの目頭は熱くなる。
どうしたの、と心配する叔母の声。
何でもないとテレーズは言い張り、こぼれかけた涙をぬぐった。
夏が過ぎ、肌寒くなる頃。
数人の役人と看守がやって来るなり、テレーズだけ部屋から出るように命じた。
「用事が済んだら、ここに戻す」
タンプル塔から出られると思いきや、ぬか喜びだった。
自分も一緒に行くと叔母は言ったが、すげなく拒絶された。
「安心しろ、マリー・カペーはちゃんと返してやる。俺たち市民は嘘を吐かない。ヴェルサイユの人間とは違ってな」
そんな言葉が信用できるわけない。だが抵抗することも出来ない。
今から連れて行かれる先には、男しかいないだろう。
自分が何をされてしまうか。女として生まれた我が身に、今この時ほど絶望したことはなかった。
部屋から連れ出され、すぐ下の階に移動する。
そこで弟と会うことが叶った。顔を合わせるのは三ヶ月ぶり。
もっとも、感動の対面と言い表すにはほど遠かった。
部屋の隅にある、やけに小さく粗末な寝台。そこに体を丸くして横たわっている弟。
着ているのは喪服ではなく、色物の服。弟にも喪服を着させ続けてほしいと、母が頼んでいたにもかかわらず。
テレーズは言葉を失ったが、すぐ我に返り、駆け寄った。
床にひざまずき、弟を抱きしめる。
弟は抱きしめ返してくれない。その腕が動く気配もない。周りにはハエがたかっている。
「シャルル、どうして、こんな……」
「あね、うえ……」
耳元で聞こえた声に、テレーズは少し体を離す。
うつろな目は、こう訴えていた。
姉上、助けて。
「弟を助けたければ、大人しく付いてこい」
看守がテレーズの腕を掴む。
無情にも姉弟は引き離され、テレーズは別室へ連れて行かれた。
そこには、粗末なテーブルと何脚かの椅子があった。
テレーズは、役人たちと向かい合って座るように命じられる。看守は役人の後ろに並んだ。
「今から尋ねることについて、事実を話すんだ」
事実を話せと言われたとおり、役人からの質問に対し、テレーズは正直に答えた。
そのたびに別の役人が、
「嘘を吐け!」
だの、
「しらばっくれるな!」
だの声を荒げる。
後ろに立つ看守たちも、黙ってはいるが、険しい顔でこちらをにらみ付けている。
テレーズには分かった。
男たちは、母に関する悪い話をテレーズの口から言わせようとしている。それが出来ないからといって、むきになっているのだと。
まるで駄々っ子。
これなら、元気だった頃の弟の方がまだ大人だ。
しかし駄々をこねる子供とは違い、この男たちは非道だった。
「お前は知っているはずだ、マリー・カペー。自分の母親が淫らな魔女だということを」
役人が話し始めたことが、テレーズには理解できない。理解したくもない。
「……あなたたちは、どこまでも母を悪者にしたいのね」
「いいから答えろ」
母と叔母が、弟に卑猥な行為をしていた。それを弟本人が証言したなどと。
知りたくもなかったことを知ってしまった。
幼い子供を相手に性的なことを強いて、慰み者にする。そんな悪魔のような人間が、この世に存在するのだと。
テレーズを前にして、役人は恥ずかしげもなく、こんな話をする。
今この場にいる他の男たちにしても、話を聞きながら顔をしかめている者は一人もいない。
それどころか、テレーズと目が合うなり口角を上げる看守までいる。こちらの反応を面白がるように。
きっとこの男たちは、子供相手に同様のことをしている外道に違いない。
そういえば以前、気が触れた女官がわめいていた。父のことをゴミクズだの何だのと。
テレーズから言わせるなら、十四歳の少女を相手に性的なことを具体的に説明し、その反応を面白がる大人の方がゴミクズだ。
幼い子供を慰み者にする大人の方が、何百倍も何千倍もゴミクズだ。
「泣いても続けるぞ」
休ませてもらえることは期待していない。止まらない涙を何度もぬぐった。
タンプル塔に収容されて以来、両親と叔母の姿を見て、テレーズは学んだ。どんなにつらくても、どんな侮辱にさらされようとも、取り乱してはいけないことを。
(勇気を持って)
心の中で、母の言葉を繰り返した。
チュイルリーから逃げ出そうとした時のことも尋問された。ヴァレンヌという地名を繰り返し聞かされた。
悪夢のような記憶がよみがえり、頭がおかしくなるかと思った。
それでも耐えた。
一時間二時間経っても終わらない尋問に、気力と体力を奪われても。
「こちらの言うことに『ウィ』と答えれば、今すぐ塔から出してやる」
何を言われようと、役人の話すことを認めはしない。どんな脅しを受けようと、母の立場が悪くなるようなことは言わない。
母のために、テレーズは男たちと闘った。
尋問は三時間にも及び、ようやく終わった。
叔母の元へ戻る前に、もう一度弟に会いたかったが、それは許されなかった。
テレーズと入れ替わりで、叔母が連れて行かれた。二人が話をする時間は与えられない。
今度は、テレーズが一人残された。
叔母も尋問されているのだろう。男たちに手荒な真似をされませんように、無事に戻ってきますようにと祈った。
目をつむると、まぶたの裏に浮かぶのは、先ほど見た弟の姿。
引き離されてからたった三ヶ月で、あんなにも痛ましい姿になったのは、虐待されたからに違いない。
弟が引き離されて日が浅い頃、下の階からよく弟の声が聞こえてきた。普通の話し声ではなく、泣き声や悲鳴だった。
また野太い怒鳴り声も。
八歳の弟が家族から引き離され、一人で苦しんでいる。同じ建物の中にいながら、テレーズたちは何も出来ない。
家族として、これほど苦しいことはなかった。
弟の声は段々と聞こえなくなった。
それは待遇が改善されたのではなく、
(暴力をふるわれても、声を出せなかったんだわ)
ああまで衰弱した弟のことを、母は知っているのだろうか。
知らないでいた方が、きっと幸せだ。
叔母がテレーズの元に戻ってきたのは、一時間ほど後のこと。
互いにきつく抱き合う。
部屋には自分たち二人だけ。思いきり泣くことが出来る。
「シャルルに会いました」
「ええ、私もよ」
「私は、分かってます……叔母様も、お母様も」
「もういいわよ、テレーズ」
叔母も涙声だった。
「誰が、何と言おうと、私が証人です」
姪のことを抱き締める力が強くなる。それ以上は言わなくていいと言うように。
***
祖国の敵を憎む人々は、ルイ十六世とマリー・アントワネットを、ただ断頭台に送るだけでは気が済まない。
彼ら夫妻にまつわる多く虚構を作り、人間としての自尊心をもズタズタにする。
そうやって思う存分痛めつけてから、殺す。
人々は、それが正しいことだと信じて疑わない。この状況に疑問を呈する声や、温情を求める声は、大衆の熱狂にかき消されている。
【44. ゴミクズ】




