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42. 奪われる

 お読みいただき、ありがとうございます。評価やブクマも大変励みになります!

 しばらく暗い展開が続きますが、お付き合いいただけますと幸いです。

***




 フランスの正史において、それは取るに足らない史実かもしれない。


 革命期、ルイ十六世は「ムシュー・拒否権」というあだ名がついていた。

 その地位が名ばかりとなってはいたものの、議会の決定に対して拒否する権利は有しており、たびたび拒否権を発動しては議会と対立していた。


 それは、王政を快く思わない人々の敵意を(あお)ることに繋がった。




 一七九二年、六月。

 チュイルリーに押し寄せた暴徒は、大した抵抗もないまま建物内に侵入した。


 猛り狂う暴徒に対し、王族を守る使命をまっとうしたのは、忠誠心のある一部の人間だけ。

 守備の者は、その多くがすでに寝返っており、職務を放棄していた。


 暴徒は憎しみの声を上げながら、殺戮と破壊に明け暮れた。


「あんたが王妃ね!」

「地獄に落ちろ、敵国女!」


 暴徒の群れが突進する先にいたのは、王妃ではなく王妹だった。

 近くにいた臣下が、人違いだと言って止めに入ろうとした時、王妹はこう叫んだ。


「彼らに本当のことを言わないで!」


 それは、義姉をかばって死ぬこともいとわない覚悟だった。


 別の群れは、王妃と子供たちがいる部屋の前にやって来て、扉を打ち壊そうとした。


「出てきやがれ、あばずれが!」

「ここで愛人と寝てたんだろうが!」


 扉の向こうでは、


「すぐにお父様と合流するわよ」

「母上……」

「お母様」

「大丈夫よ、シャルル。ほらテレーズも」


 王妃が子供たちのことを抱きしめ、なだめていた。


 どうにかして、王一家五人は合流できた。

 王は、妻子と妹を別室に移すと、暴徒と対面するべく彼らの元へ向かった。


「お父様、行かないでください!」


 父が殺されてしまう。そう怖れた王女は、王を止めようとした。

 王は振り返って微笑んだ。家族のことを安心させるように。


「大丈夫だ。必ず戻ってくる」


 無事な姿で戻ってこられる保証はなかった。


 暴徒が集まる部屋に、王は姿を現した。

 人いきれと殺気、そして酒の臭いで満ちた室内。暴徒は、手にしている武器も、着ている服も血まみれ。いつなんどき王に襲いかかってきても不思議ではない。


 彼らに向かって、王は言い放った。


「力は、余に何の影響も及ぼさない。余は恐怖を凌駕している!」


 精神的にも物理的にも、王はこの時たった一人で対峙していた。



 この日の夜遅くまで、暴徒はチュイルリーを占拠し、翌朝立ち退いた。

 残されたのは、目を覆わんばかりの暴力の爪痕。

 その中でも、優先して片づけるように王妃が命じたのは、あられもない姿で息絶えた女性たちの亡骸だった。





 翌々月、十日。

 チュイルリーは再び地獄絵図と化した。


 王は家族を連れて、議会に避難場所を求めた。


 その処遇について議会が決定を下すまで、王一家には仮の寝床が与えられた。最初の晩は議場の控え室、その次は、近くの修道院の独房。


 やがて、五人の行く先が決まった。




■■■




 テレーズたち家族は、タンプル塔に収容された。


 少数の臣下や女官が一緒だったのは、最初の一週間だけ。その後、仕える者たちは立ち退くよう命令された。


 命令。

 平民が、テレーズたちに命令したのだ。


 塔に残ることが許されたのは、かねてから仕えていた従僕が一人。


 生活は、日増しに不自由になる。

 ただでさえ少なかった所持品は、理由を付けて没収された。

 紙や筆記用具は、外部と連絡をとることを禁じるため。ハサミや裁縫道具の針は、自殺防止のため。


 テレーズたちは四六時中、敵意と隣り合わせだった。

 家族がひとつの部屋につどう時間になると、看守たちはよく新聞を持ってきた。


「ほら、見てみろよ」


 にやついた顔をしながら、父にそれを見せる。


 新聞記事の見出しに、父がどういった反応を見せるか。

 頼む、もう止めてくれ、などと言って懇願する姿を、看守は期待しているのだろう。


(卑しい人間は考えることも下劣なのね)


 心の中で、テレーズは看守に言い返した。


 もちろん父は、そんな態度は見せない。

 無言のまま、看守のことを一瞥するのみ。


 父の目が物語っているものが、テレーズには分かる。

 相手に対する軽蔑だ。


 これまでを振り返れば、テレーズたち家族の周りにいたのは、心が卑しい人間ばかりだった。

 連盟祭の時、わざわざパリまで戻ってきたオルレアン公。サン・クルーを発つ前日、父に向かって暴言をわめき散らしたプロヴァンス伯。悪口を止めなかった女官たち。


 どれだけ多くの卑しい人間から嘲りを受けようとも、感情のままに取り乱さない。王政が廃され、自分たちが王族でなくなっても。カペーという祖先の名字で呼ばれようとも。

 それが、王族としての誇り。


 こうした姿は父だけではない。母と叔母も同じだ。


 両親と叔母の姿が、テレーズの手本となった。

 もうチュイルリーにいた頃とは違う。家族の存在は大きな心の支えだった。


 しかし、テレーズの気持ちを嘲笑うかのように、自分たちを取り巻く環境は悪くなる。


 塔の庭に出ることが禁じられ、建物の内部でさえ移動の制約がかけられた。


 年の終わりが近づく頃には、父と会うこと自体が許されなくなった。父だけがすぐ下の階に移され、他の家族から隔離されてしまった。




 …………。




 テレーズは父に抱きかかえられ、窓の外を眺めていた。

 見慣れたプチ・トリアノンの風景も、父と同じ目の高さから見ると、違う世界だった。


『ティニの家は、この方角だ』


 父が指さす方。テレーズは目を凝らすが、


『見えません』

『庭園は広くて、柵の向こうまでは見えないからな。だがティニも、きっとテレーズに会いたいと思っている。だからランブリケ夫人の具合が良くなるまでの辛抱だ』


 親友は今日ここに来ていない。ジョゼフは寝込んでおり、母と養育係が付き添っている。

 テレーズのそばには父がいる。だから寂しくない。


『どっちが、お父さまのおうちなのですか?』

『どっち、とは?』

『あっちと、ここです』


 あっちと言ってテレーズが指さしたのは、ヴェルサイユ宮殿のある方角。

 ここ、というのは、自分たちが今いるプチ・トリアノン。


 父はプチ・トリアノンに来ても、必ずあっちへ帰ってしまう。

 テレーズは、ここにずっといてほしいと思っている。


『両方だな』


 父はそう答え、あっちの方へ顔を向けた。


『ルイ十六世にとって、ヴェルサイユ宮殿は仕事をする場所。だからとても大事な場所だ。そして、それと同じくらいプチ・トリアノンも大事な場所だ。ここにはテレーズたち家族がいる』


 目を細めた父は、テレーズに笑いかける。


『だから、どちらが自分の家なのかと聞かれても、片方だけは選べないな』


 プチ・トリアノンと答えてくれない。そのことがテレーズは少し寂しい。

 だが、わがままは言わない。


 代わりに、父の首に腕を回した。

 そうすれば、父も抱きしめ返してくれた。


 テレーズが物心ついた頃から、自分のことを抱き上げる大人は父だけだった。

 まだ産着にくるまれていた頃は、母や養育係にも抱き上げてもらったそうだが、あまりにも幼い頃のことで記憶にない。


 マダム・ロワイヤルを前にして、うやうやしくひざまずく宮廷人はごまんといた。

 笑顔でテレーズのことを抱き上げるのは、父ただ一人だった。




 それは、これから先の未来を何ひとつ知らなかった、幼き日の情景……。




 この冬はとりわけ寒い。タンプル塔という場所のせいなのか、今年が特に冷え込むからか。

 塔から一歩も出られなくなった状況では、外との違いを確かめようもない。


 こんな場所で、テレーズは十四歳の誕生日を迎えた。

 贈り物は何ひとつ望まない。

 十二月十九日、この日だけでも、一目でいいから父に会いたかった。


 願いが叶わないまま、ひと月が過ぎた頃。

 父が処刑されることを知らされた。


 母と弟、叔母と四人で集まっていた部屋。そこに唯一ある小さい窓。鉄格子の向こうから、新聞の売り子の張り上げる声が聞こえた。


 ルイ・カペーの死刑執行は明日だ、と。




【42. 奪われる】


≪補足≫

 九月虐殺については触れていません。

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