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41. チュイルリーという牢獄 後編

 ルイ十六世は思う。

 祖父がそうであったように政治を宰相任せにし、自分はほとんど()()()()()()()、フランスは今頃こんなことにはなっていなかったと。


 妻は革命の主犯と見なされているが、それは違う。

 彼女はパンドラではない。箱を開けたのは、他ならぬルイ十六世だ。


 箱から出てきた諸悪に対処しようと試みた。だがすべて失敗に終わり、もう元に戻らなくなった。


 パンドラの箱は、ふたを閉めた時、最後に希望だけが残ったという。

 ルイ十六世の場合は違う。箱のふたは、どこかに消えてしまった。





 チュイルリーで迎えた三度目の冬。

 この日の夜、王の部屋に姿を見せたのは、フェルセンその人だった。

 露見すれば、ただごとでは済まない。こうして対面している現実が、王自身、にわかには信じがたい。


‘妻が君に惹かれた理由が、私にも分かった。己の危険も顧みず、素性を隠してここまでやって来た。君を好きにならない女性がいたら、それこそどうかしている’


 筆談での会話。

 こちらがつづった言葉は、寝取られ夫が妻の情夫に向けた皮肉に見えるのだろうか。

 何と思われてもいい。どうせ紙は燃やしてしまうのだ。


‘同性に言われても嬉しくありません’


 フェルセンの答えに、王の口元は思わず緩んだ。

 頬の筋肉を動かしたのは久しぶりだ。


‘私が君のことを、妻の相手に選んだ理由を覚えているか?’


 彼は、この国の人間ではない。フランスとスウェーデンは遠く離れた国同士。

 妻と彼が関係を持ったことで、万が一彼の立場が危うくなれば、ヴェルサイユから距離を置くことは容易だ。ルイ十六世からグスタフ三世への口添えも出来る。


‘たまにしか会えない関係は刺激的だから’


 確かにそうした理由もあったが、今それを答えるのか。


‘私からも質問があります。私が適任だと、いつからお考えでしたか?’

‘初めて会った時から。私なりに君の願望を現実にしたつもりだ’


 フェルセンが顔を上げ、まじまじと王を見る。

 それからまた下を向き、


‘あなたは’


 と書くが、途中で止めて横線で消し、そのすぐ下にこうつづった。


‘あの道中で命令に従った私が、あれからどれほど後悔したか。あなたには分からない’


 責めなら甘んじて受けよう。

 娘が彼のことをどれだけ嫌っていようと、道中でどれだけわがままを言おうと、それらは無視すればよかった。

 彼の先導を解いたのは、他でもない王の意思。王が命じたことだ。


‘もうここに来るな。二度目の逃亡はない’


 フェルセンが再び顔を上げる。

 彼の視線に構うことなく、王は続きを書く。


‘君は、本来の君の務めをまっとうしなさい。私たちのために働くこと以外で’


 フェルセンは長男。父親はまだ存命中だが、いずれ彼が家督を継ぐ。

 そうなると跡継ぎが必要になるが、フェルセンには身を固める意思がない。本人が言うには、次の世代は、弟に任せるつもりだと。


 他人の家の問題に、よその人間が口を挟む権利はない。

 たとえ彼にそこまでの決意をさせた理由が、他でもないルイ十六世にあるのだとしても。


‘考えさせてください’


 フェルセンは鉛筆を置き、両手で顔を覆ってうなだれる。

 王がその肩を軽く叩くと、彼はゆっくりと顔を上げた。


 泣くことを耐えている表情だった。




■■■




 秋が過ぎて冬になる。季節が変わっても、テレーズを取り巻く環境は良くならない。


 窓を閉めていても聞こえてくる。

 大声の野次。

 罵倒する声。

 石か何かを、窓に勢いよくぶつける音。


 建物の中に侵入者でも入らない限り、室内にいれば直接危害を加えられることはない。

 そう考えれば、テレーズは、まだましだった。

 外へ出なければならないのは、公式行事で外出を強いられるときくらい。

 仮病を使って欠席しても、それこそ一日じゅう自分の部屋にこもっていても、ほとんど文句を言われない。


 父は違う。議会へ赴くため、テレーズよりも頻繁に外出しなくてはならない。

 王権が形ばかりのものになっても、それが父の務めなのだ。


 テレーズは、父に対してやきもきしていた。この国の王でありながら、現状を何ひとつ変えられていないのだから。


 それでも、父が外出すると聞くたび、不安に駆られた。


 チュイルリーを発ったら最後、父はもう二度と戻ってこないかもしれない。暗殺者に襲われたり拉致されたり、身の危険はいくらでも潜んでいる。


 テレーズは祈った。父が無事に戻ってきますようにと。


 けれども、父の身を案じているのは、チュイルリーにいる人々の中でもテレーズくらいだ。

 母や叔母、弟にしろ、誰もテレーズの味方になってくれるとは思えない。親友はずっと帰ってこないまま。


 父までもがいなくなってしまったら、テレーズは本当に、この牢獄に独りぼっちだ。





 寒さが和らいできた、ある日、テレーズは父の部屋に呼ばれた。

 部屋に入ると、父と母がいた。

 母はこちらに顔を向けたが、父はうつむいたままだ。


「シャルルとエリザベートも呼んでいるわ」


 テレーズは自分の部屋に戻りたくなった。家族がそろえば険悪な空気になる。


「嫌そうな顔をしないで。大事な話があるの」


 父だけでなく、母の面持ちも暗い。

 テレーズは、しぶしぶソファに腰を下ろした。何の話かは知らないが、明るい内容でないのは確かだ。


 ほどなくして弟と叔母が来て、みなが座った。


「テレーズ、シャルル、今から話すことを落ち着いて聞きなさい」


 重い口を開くように母は話し始めた。


「グスタフ三世がお亡くなりになったわ」


 どうして、というのが、テレーズが真っ先に思ったこと。


 母の話は、こう続いた。


 今から半月ほど前、グスタフ三世は暗殺者の銃弾に倒れた。

 彼は即位以来、スウェーデンの王権を強化するため、改革を推し進めていた。それは旧来の貴族の力を削ぐもので、貴族たちは君主に不満を持った。

 暗殺の首謀者は、そうした不満分子だった。


 グスタフ三世は、怪我を負った直後に絶命とはならなかったが、半月ほど病床に伏した末、天に召されたという。


「テレーズとシャルルには、心配をさせないようにと黙っていたの……でも崩御されたとなれば、話をしないままでは、いけないわ……」


 母の声は涙まじりになる。

 途中で叔母が、自分が代わりに話そうかと申し出たものの、母は断った。


 グスタフ三世の話をしながら、母が誰のことを思い浮かべているかは、テレーズにも容易く予想できる。

 かといって、今ばかりはそのことで嫌な気持ちにはならない。グスタフ三世の死が純粋に悲しかった。


 テレーズは幼い頃、彼と会ったことがある。おぼろげな記憶ではあるが、テレーズにも気さくに話しかけてくれた男性だったことを覚えている。


「あちらの王太子もお可哀相に。確か、テレーズとそう変わらない歳だったわね」

「もう王太子ではなく、グスタフ四世よ。彼はテレーズより数週間早く生まれたから、まだ十三歳。自分で政務を行うには早いから、摂政が置かれるのでしょうね」 


 叔母の言うことに、母が答える。


「私より数週間早く?」


 テレーズが思わず聞き返すと、母の皺だらけの目元が和らいだ。


「あなたが私のお腹にいた頃、ちょうどスウェーデン王妃も懐妊されていたの。あなたが生まれる前月に、あちらに男の子が生まれたのよ」


 話しながら、母は父の方を見る。

 母が話している間も、父はずっと下を向いていた。


「その知らせを聞いたあなたのお父様は、こう言ったの。王家の世継ぎが、同じ年に二人も生まれるとは考えづらい。私たち夫婦の元に生まれてくるのは女の子、マダム・ロワイヤルに違いないって」


 母は穏やかに語るが、その話に、テレーズの胸はちくりと痛んだ。


「女の子が生まれて、がっかりしましたよね?」


 大人たちの顔を見るに忍びなく、目を伏せて尋ねた。


 これまで何度考えたことだろう。

 もしも自分が男に生まれていれば、一番上の子供が王太子だったらと。


「そんなわけがあるか」


 父の声に、テレーズは驚いて顔を上げた。

 最近の父は、話しかけられても、小声で短い返事をするだけだった。

 それが今、聞き取れるほどの言葉を発した。


 まっすぐと娘のことを見つめる父。

 ソファから立ち上がり、テレーズの前に来て、ひざまずく。

 母だけでなく父もまた、年齢以上に老け込んでしまった。頬の垂れた顔は皺だらけだ。


 こちらに伸ばされた両手が、テレーズの頬を優しく包んだ。


「ずっと不安にさせていたか?」


 テレーズは否と答えようとするも、声が喉でつかえた。


 忘れていたことを思い出した。

 ムードンで父に言われたこと。失ってもいい子供など一人もいないという言葉を。


「こんなこと……二度と、考えません」


 父の顔が、涙でにじむ。

 テレーズは座ったまま前屈みになり、大きな肩に頭を(もた)せた。それに答えるように、父の腕が背中に回された。




***




 一七九二年春、フランス革命戦争が始まった。

 パリを目指して西へ出発した軍隊は、革命をすぐに鎮圧できると楽観していた。


『秋には自分たちの勝利で終わる。パリへの散歩みたいなものだ』


 それがとんでもない見当違いだったことは、史実が示すとおりである。


 この時から二十三年間。一八一五年にナポレオンの命運が絶たれるまで、何度かの短期間の平和を挟んで、ヨーロッパ大陸は、いたる場所が戦場になった。


 戦火はヨーロッパを超えて広がり、史上最初の世界大戦といっても過言ではない規模となった。



 この戦争は、自由と民主主義を勝ち取った革命を抑え込むために、他の君主国が仕掛けたものだったのか。

 もしくは。

 外国からの侵略を恐れた革命の指導者たちが、愛国の炎をかきたてることで、国内の危機から人心をそらすために始めたものだったのか。


 それを明らかにするのは、本作の主旨ではない。




【41. チュイルリーという牢獄 後編】


≪パパ王の頼み事≫

 内容については第25話でも書いています。


 また本作のフェルセンは、以下のページを主な参考にしています。

https://sok.riksarkivet.se/sbl/Presentation.aspx?id=15292

(スウェーデン人伝記辞典、スウェーデン国立公文書館ウェブサイトより)※翻訳サイトを利用して読みました。


 こちらのページには、フェルセンがママ王妃と二股をかけていた女性の話も載っていますが、この点は本作で触れていません。


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