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40. チュイルリーという牢獄 前編

 体調が回復してから、テレーズはすぐに気がついた。家族が変わってしまったことに。


 かねてから口数が減っていた父は、一層無口になった。

 父ほどではないが、母の言葉数も減った。


 そして叔母は、怖くなった。


 チュイルリーを離れようとした、あの夜の振る舞いについて、テレーズは自分に非があったと自覚している。

 そのことを謝るため、叔母の部屋に行った。


 叔母の返事は、


「もういいわよ。気にしていないわ」


 言葉のわりに冷淡な口調。

 テレーズの顔など見たくないというように、こちらに背を向けた。


 ヴェルサイユからチュイルリーに来たばかりの頃、大好きな叔母と同じ宮殿で暮らせることが、数少ない喜びだった。

 今では、その距離の近さが心をわずらわせる。


 同じ苦しみは、姉弟で共有できない。

 弟は一日のほとんどの時間を、議会が遣わせた者たちと過ごしている。家族と会えるのは、わずかな間だけ。

 新制フランスに弟を順応させるためだと言われているが、それは家族から引き離す口実だ。



 変わってしまったのは家族だけではない。女官たちも。

 彼女たちは今や、父に対する悪感情をむき出しにしている。


 テレーズが身づくろいや寝支度をするとき、女官たちが部屋に来る。そこで彼女たちは、毎日のように父への非難や恨み言を吐き出す。

 悪態を吐くなら、せめてテレーズのいない場所でしてほしい。


「そういう話は止して。聞きたくないわ」


 と頼んでも、詫びや反省の言葉は返ってこない。

 それどころか、彼女たちはむきになって反論し、テレーズを言いくるめようとするのだった。





 ある時、父が寝込んでいると話に聞いた。

 テレーズは、父の元に行こうとしたが、養育係に阻まれた。


「お父様が心配なの。お見舞いに行かせて」

「なりません!」


 養育係はぴしゃりと言い放ち、鋭い目でテレーズをにらみ付けた。


「あのような方のことなど放っておけばいいのです。あなたがたご家族を、ここまで不幸に追いやったのですから」


 テレーズは耳を疑った。

 王家の子供たちを世話する立場にありながら、なんという物言いだ。


「あんたなんか養育係でも何でもないわ! もう私の部屋に来ないで!」


 頭に血がのぼり、怒鳴りつけた。


 そのまま自分の部屋に引き返し、寝台に倒れ込む。

 やりきれない思いでシーツを握りしめた。


 扉の開く音。

 養育係が入ってきたのだろうか。


「部屋に来ないでって言ったわよね?」


 テレーズは顔を伏せたまま言う。


 養育係はすぐに返事をしない。

 その気配が、こちら近づく。


「お可哀相な王女様」


 耳元に落とされたのは、冷たい声。


「あなた様には、高貴な姫君としてふさわしくない言動が見受けられます。きっと卑しい民衆に毒されたせい。元を正せば、あなた様の愚かしい父親が、宮廷をパリに移したことが悪いのです」


 彼女は何を言い出すのだろう。

 幼い頃からよく知る相手の声が、知らない他人のものに聞こえる。


「しかし、ご安心ください。あの道中で起こったことは、何もかも、あなた様の愚かしい父親に非があるのでございます。フェルセンの先導なんて嫌だの何だの、状況をわきまえぬ駄々をこねたあなた様のせいではありません。あなた様の父親の独断が、すべてを台無しにしたのでございます」


 ですから、と彼女は続ける。


「誰一人として、テレーズ様の振る舞いを責めてはおりません」


 耳に入ってくる言葉を、テレーズは反芻(はんすう)する。

 その間に養育係の気配は遠ざかり、扉の閉まる音がした。


 テレーズが顔を上げると、そこには誰もいなかった。


 一体何を、安心するというのだ。


 養育係はテレーズのことを責めている。

 父がフェルセンの先導役を解いたのは、テレーズが車内で駄々をこねたせいだと、暗に言いたいのだ。


 テレーズは両手でシーツを掴み、衝動のままに引っ張った。

 女官どもが、家族の絆を引き裂こうとしているように、この手でシーツを引き裂いてしまいたい。


(私の周りには魔女しかいない!)


 女官たちは、きっと弟にも、父に対する敵意ある言葉を聞かせている。


 チュイルリーに連れ戻されて以来、弟は以前のような無邪気さを失ったばかりか、父に対して、よそよそしくなった。

 議会の者たちが良からぬことを教えているせいもあるのだろうが、それだけが原因ではない。


 テレーズは気づいている。

 弟が家族と会えるわずかな時間。養育係や女官たちは、弟の行動を見張っている。

 母や叔母のそばで過ごさせる一方、父には近づけさせまいとしていることを。


 意図的に父から引き離したうえ、彼女たちが、父の悪口をあれこれ吹き込んでいる。

 そのせいで、弟は変わってしまったのだ。





 家族はいる。

 だが、テレーズはたった一人。

 周りにいるのは、女官の姿をした魔女ばかり。


 チュイルリーという牢獄で、テレーズは独りぼっちだ。





 毎日毎日、親友の部屋に足を運んだ。もう誰も使っていない部屋に。


 親友の声が聞こえる。テレーズのことを呼ぶ声や、明るい笑い声が。


『テレーズったら』


 聞こえる、気がする。

 気がするだけで、それは現実ではない。


(私は、独りぼっち……)


 ぼうっと立ち尽くしていた。


 服の裾が擦れる感覚、キュゥンと鳴く声。

 見れば、足元にココがいた。

 半開きにしていた扉から入ってきたようだ。


 ココは、あの道中で一緒ではなかった。

 家族でありながら、テレーズたちはココを置いてけぼりにしようとした。

 そのせいで、罰が当たったのかもしれない。


 ひざまずき、柔らかい体を両腕で包んだ。ごめんなさいと言葉で伝えられない代わりに。


 テレーズの涙を受け止めてくれるのは、ココだけだ。




【40. チュイルリーという牢獄 前編】


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