33. 嘆かわしいと、その人は言う 後編
カンパン夫人は革命側の人間ではないが、それでも分かることがある。
議会は一枚岩ではない。同床異夢なのだと。
この日、サン・クルーに、ある男性が訪ねてきた。
彼は貴族ではあるが、三部会で第三身分の代表になった人物。
我が女主人にとっても歓迎しがたい相手。
それでも訪問者を迎え、話を聞くことにした。
カンパン夫人は、引見の場に控えている。
目の前には、訪問者と話を進めている、我が女主人。
その隣には無能な王がいるが、椅子に座っているだけで、ほとんど口を開かない。
「あなたの腹づもりは分かっているわ。王家か議会か、革命の成り行きがどちらに傾いてもいいように。そうしたお考えなのでしょう?」
「いやはや、まさか見抜かれておいでとは」
開き直ったように笑う訪問者。
「ならば話は早い。私と王家で取引をしましょう」
彼が持ち出した話。それを聞いたカンパン夫人は、相手のがめつさに呆れた。
つまるところ、王家に力を貸してやるから資金援助をしてくれと、彼は言っている。
「その話を受けてさしあげるわ」
我が女主人はそう答え、さらに話を進める。
話がかなり進んだ頃、横合いから、おずおずとした声が。
「……王妃、それでいいのか?」
「今は手段を選んでいられないわ」
「そうか……」
王はまだ何か言いたそうであったが、口をつぐんだ。
話に興味がなくて、黙り込んでいるのではない。口を挟む頃合いを見ながらも機を逃し、結局発言できなかったのだろう。
(言葉を発しないのは、愚鈍の証)
何かを言おうとしたけれど言えなかった、というのは、何も言わなかったのと同じだ。
自分の姿が他者からどう見られているか、それを王は理解していない。仮に理解していたとしても、言葉にも行動にも移せない。
そうする能力を、そもそも持ち合わせていないのだ。
(どうしてこんな男が、アントワネット様の夫になってしまったのかしら)
この二十年もの間、心の中で何度つぶやいたことだろう。
そして改めて、嘆かわしい男の隣にいる女性へと目を向けた。
計略を練る男の政治家を相手に、臆することなく駆け引きを行う。我が女主人の姿こそ、なんと勇敢に見えることか。
話が終わった後、カンパン夫人は訪問者を見送った。
「本日は、良い話が出来ました」
彼が今後どう動くかは分からない。
それでも彼は金を手に入れた。良い話になって当然だ。
「ですが、一番の収穫は王妃様についてだ。ああも強かな女性だったとは。もっと早くに知っていれば、私もまた違った考えを持ったかもしれない。王のそばにいるただ一人の男といったところでしょうな」
「そのお言葉、女官長として光栄に思います」
言われるまでもなく、カンパン夫人はそのことを、とうの以前から知っていた。
マリー・アントワネットという女性を、贅沢好きの軽薄な女だと非難する者たちは、彼女の立場を自分自身に置きかえて、考えてみればいい。
結婚したことによって、彼女の身に降りかかった数々の災い。それらは本人でなくても、思い出すことさえ、つらい出来事ばかり。
もしも普通の女性であったなら、ここまで耐え忍び、ましてや現状を打開するために奮起することが出来ただろうか。
今日の訪問者に対して、カンパン夫人は良い印象を抱かなかった。
けれども今の言葉に限っては、同意するほかない。
■■■
七月、テレーズは家族と共に、しぶしぶパリへ戻った。
連盟祭の前日、閲兵に立ち会った。
閲兵式は、ヴェルサイユにいた頃も見たことがある。
だが今までのそれと、今目の前にいる男たちは、まとう雰囲気からして違う。こうも熱気あふれる兵士たちを、テレーズは見たことがなかった。
閲兵式が終わる頃、ある知らせが飛び込んできた。
「オルレアン公が?」
母の声が、にわかに低くなる。
「彼は今ロンドンにいるのでしょう?」
「帰国したようで、陛下と王妃様にお目通りしたいと」
「まあ、なんて厚顔無恥な」
臣下の言葉に答える母は、不機嫌さを隠していない。
そののち、ロンドンからわざわざ戻ってきたオルレアン公は、テレーズたちの前に姿を見せた。
分家の無礼者の立ち振る舞いは、一見すると儀礼どおりの、うやうやしいもの。
それが上辺だけの態度であることは、テレーズにも分かった。
翌日、連盟祭はバスティーユからシャン・ド・マルスまでのパレードで始まった。
テレーズは、両親、弟と同じ馬車に乗る。
親友は一緒ではない。公式行事でそうするように、女官たちと行動する。
馬車に乗り込む前、テレーズは辺りを見て、親友のことを探した。
するとフェルセンの姿が目に留まり、ますます憂鬱な気持ちになった。
パレードの間も、シャン・ド・マルスでの式典の間も、辺りは歓声に包まれていた。
野次や罵詈雑言は、まったく聞こえない。
それでもテレーズには、目の前で繰り広げられる光景が、酷く異様に見えた。
今この会場にいる人々のうち、どれだけの者が、一年前の今日バスティーユを襲ったのか。
秋のヴェルサイユ虐殺に加担したのか。
人殺しという犯罪を「なかったこと」にしているのか。
考えると、テレーズは吐き気をもよおしそうになった。胃の中の物がこみ上げてくる感覚に、手で口を押さえた。
すぐにでも席を外したい。
だが思いとどまった。
大勢の卑しい者たちが今、テレーズのことを見ている。母に向かって卵を投げつけた少年も、この会場のどこかにいるかもしれない。
ここでマダム・ロワイヤルが退席すれば、あの工場にいた労働者たちは、テレーズのことを弱虫娘だと馬鹿にするに違いない。
(テレーズ、あなたは強い子でいなくちゃいけないのよ)
自分に言い聞かせ、姿勢を正して前を向いた。
どんなにつらくても、マダム・ロワイヤルは耐えなくてはならない。
【33. 嘆かわしいと、その人は言う 後編】




