31. 言葉にはしないこと
テレーズは、母とどう接すればいいか悩んでいた。
毎日顔を合わせてはいるのだが、以前に比べて、母が遠い存在になった。
原因はもちろん、あの夜の出来事だ。
そんなある日、母がテレーズの部屋に来た。
珍しく明るい顔をしている。
フェルセンとの間に、何か嬉しいことでもあったのだろうか。
母がテレーズに差し出したのは、
「あなた宛ての手紙よ」
「だれからですか?」
「開けてみて」
言われたとおり、中を見てみる。
‘親愛なる、いとこへ’
という書き出し。誰からの手紙だろう。
文末に差出人の名前が書いてあるはずだ。
‘ルイ・アントワーヌ’
テレーズは我が目を疑った。
想い人の本名だ。
思わず顔を上げると、母の笑みが深くなった。
「あなたやティニのことを心配して、アングレーム公が書いてくれたのよ」
彼がテレーズに手紙をくれるのは、初めてのことだ。
改めて、最初から読み返した。
想い人とその家族は、今トリノにいる。
いつフランスに戻れるかは分からない。
ベリー公やトリノの宮廷の人々も、テレーズたちを心配しているといったことが書かれている。
それと、
‘この手紙が届くのは、君の誕生日が近い頃だろうか。
十一歳の誕生日、おめでとう’
今までもらった、どんな贈り物よりも嬉しい。
最高の宝物が出来た。
「ティニに見せてきます」
親友に報告しよう。
テレーズが部屋に行こうとすると、母に呼び止められた。
「実を言うとね、ベリー公からの手紙は来ていないの。もしかしたら、彼はティニのことを気にしているのかもしれないわ」
親友が失恋したことを、母もまた知っている。
母の言葉に、テレーズは罪悪感を覚えた。
この手紙のことを教えても、親友はきっと喜ばない。テレーズを気遣って喜ぶふりはしてくれるかもしれないが。
自分だけが浮かれてしまった。
ひとまず手紙をしまい、親友の部屋に行った。
「どうかしたの、テレーズ」
親友は本棚の前にいた。
テレーズがその近くに行こうとした時、ふと気づいた。
本棚から本が一冊だけ、少しはみ出している。
いや、それは本ではない。例のスケッチブック。
おそらく親友は、今の今までスケッチブックを見ていた。テレーズが来たため、慌てて本棚に閉まったのだ。
「テレーズ?」
名前を呼ばれ、テレーズは言葉に詰まる。
手紙のことを余計言い出しづらくなった。
「な、何でもない。ティニは元気かしらって、様子を見に来ただけ」
適当な言葉でごまかし、テレーズは部屋を後にした。
自分の部屋に戻り、物書き机に向かった。
返事を考える。
テレーズ自身の話だけでなく、親友の話も書きたい。もしかしたら、ベリー公もこの手紙を読むかもしれない。
レッスンで使っていたスケッチブックを、今も大事にしていること。
一緒に来てほしいという誘いを断ったのは、親友の本意ではなかったこと。
むしろ、今でもベリー公のことが好きなのだ……と考えるものの、上手く言葉に出来ない。
返事を書くのは中断。
相談に乗ってもらおう。行き先は叔母の部屋。
「恋を取るか、友情を取るかという話かしら」
テレーズが事情を説明し終えると、叔母はこう言った。
「それはちがいます」
「あら、そう?」
「それだと、まるで私とティニで、男の子を取り合っているみたいです」
まあ、と言って叔母は小さく笑う。
「でもテレーズがそうやって悩むのは、自分の恋と同じくらい、エルネスティーヌのことが大切だからでしょう」
言われてみると、そうだ。
アングレーム公のことが好き。
そして、親友のことも好き。
好きという気持ちの種類は違っても、その大きさは比べられない。きっと同じくらいだ。
「……こんなことになっているのも、お兄様のせいね」
叔母が今何かつぶやいたが、小声で聞き取れなかった。
聞き返すと、何でもないわよ、と言われてはぐらかされた。
しばらく叔母と話をしてから、自分の部屋に戻った。
改めて、まっさらな便せんと向き合う。
‘私もティニも元気よ。
ベリー公にもよろしくね’
早く帰ってきて。
毎日不安でたまらない。
ヴェルサイユからパリに来た時は、恐ろしくてしょうがなかった。
その時のことを、今もよく夢に見る。
アングレーム公に会いたい。
また抱きしめてほしい。
伝えたい言葉があふれてくる。すべてを文字にしたら便せんが何枚あっても足りない。
けれども、好き、という気持ちはつづれない。
それを文字にしたら、テレーズは親友を差し置いて、自分の恋を先に進ませることになる。
他でもない想い人が、テレーズに宛てて書いてくれた手紙。母から受け取った直後は、あんなに嬉しかった。
それなのに、返事を書きながら、何故こうも複雑な気持ちになるのだろう。
【31. 言葉にはしないこと】




