2. 前世でやり残したこと
前世の記憶を思い出したのは、ほんの数か月前。
何の前触れもなく突然、別の人間の人生が白昼夢を見ているように脳裏に蘇り、それが前世で実際に経験した出来事であることを自然と悟ったのだった。
前世の私は、夏井川リナという名前だった。物心ついたときから母はおらず、父とずっと二人暮らしだった。
二人暮らしといっても、父は良くいえば自由人、悪くいえばロクデナシで、親らしいことをしてもらった記憶なんてほとんどない。いっそのこと、お金だけ残していなくなってくれたらいいのにと思うくらいだった。
そんな父のせいで、私は学校でも肩身が狭かった。
「捨て子」だとか「貧乏人」だとか、その他にも最悪なあだ名をつけられて、散々からかわれてイジメられた。
学校でも家でも嫌なことばかりで、私は早くその地獄みたいな場所から抜け出したかった。
だから寝る間も惜しんで、勉強に打ち込んだ。
奨学金制度を使えば、親がお金を出してくれなくても進学できる。
勉強を頑張って、いい高校と大学に進学して、いい会社に就職して。そうしたら、コインがひっくり返るみたいに人生も変わると思ったから。
そして、実際にそうだった。
私は都内の有名コンサルティング企業に就職して、幼少期とはまったく違う環境を手に入れた。難しいけれどやりがいのある仕事に、成果を出せばきちんと評価されるシステム。理不尽や偏見のない、天国のような職場。
私はその一員となる資格を勝ち取り、充実した人生を歩み始めた──と思っていたのに。
信号無視の車によって、やっと手に入れた第二の人生は、あっけなく幕を下ろした。
……そのことを思い出したとき、私の胸に湧き上がったのは、やり残したことをやりたいという気持ちだった。
本当は、前世でもっともっと仕事がしたかった。
困難にぶつかっている人たちの手助けをして、あなたがいてくれてよかったと思ってもらえるような仕事が。
貴族と結婚して屋敷の女主人になるのも立派な仕事だとは思う。その役目を完璧に務め上げている今世のお母様のことも尊敬している。
でも、心にくすぶる仕事への情熱を無視して、好きでもない人と結婚するなんて、現代人の感覚を思い出してしまった私には到底無理だった。
(お父様、お母様、アーサー、ごめんね)
私の気持ちを尊重してくれた家族には頭が上がらない。
前世とは違って、本当に最高の家族を持てたことを神様に感謝したい。
「みんな、これから私がたっくさん稼いで、このラムゼイ家をもっと豊かにしてみせますからね!」
「何を言ってるんだい。まあ、最高の婚約者がいながら他の令嬢に目移りするような男なんて、こっちから願い下げさ」
「そうよ、そんな大馬鹿者に付き合って疲れちゃったでしょう? しばらくはゆっくり過ごすといいわ」
「お姉様を裏切るなんて、そのうちバチが当たるに決まってますよ」
「ふふ、みんなありがとうございます。そうですね、しばらくはのんびりしようと思います」
「ああ、ぜひそうしなさい」
こうして私は優しい家族に見送られながら、部屋へと戻ったのだった。
◇◇◇
それから約一か月。私は英気を養うべく、いろんな場所に繰り出して遊びまくった。
本当は屋敷でゆっくり静養するつもりだったのだけれど、3日くらいで飽きちゃったのよね。
気づけば、街中のカフェを巡ったり、人気の公演を観に行ったりと、だいぶアクティブに過ごしていた。
街では例の婚約破棄イベントの噂が広まっているみたいで、あちこちから「悪女コーデリアが来たぞ」、「美人だけど性格がキツそうだよな」、「結婚したら屋敷を乗っ取られるぞ」、「やり手そうだもんな」なんて悪口が聞こえてきた。
(素晴らしい成果だわ。私の結婚相手としての価値は落としつつ、なんとなく有能そうなイメージをしっかり印象づけられてる)
これで、今後何か仕事を手掛ける際に、女相手だからと舐められることもずいぶん減るだろう。
「さて、しばらく遊んで充電もできたことだし、そろそろビジネスに向けて動こうかしらね」
遊び歩いた中で、どこか経営に悩んでいるところはないかも、もちろんチェックしていた。まずは手慣らしで小さな課題を抱えるお店から始めるのがいいかもしれない。
「あそこのカフェに声をかけてみようかな──って、あれは……?」
突然、甲高い悲鳴が聞こえてきて目を向けると、小さな男の子がいかにも悪ガキな少年に足蹴にされているのが見えた。




