13. 救世主
「ですよね、ローナン大司教様?」
「!?」
私の口から出た名前に、ワイラー司教がびくりと反応する。
そして部屋のドアを開けて入ってきた女性を見ると、皺の浮かぶ額にうっすら冷や汗がにじんだ。
「ワイラー司教、今回のことは本当に失望しました」
聖職者の象徴とも言える真っ白な衣装をまとった女性──ローナン大司教が冷え切った目でワイラー司教を見つめる。
その鋭い眼差しを浴びたワイラー司教は、先ほどまでの尊大さはどこへやら、虎を前にした子猫のように小さくなって見えた。
「ロ、ローナン大司教、なぜここにあなた様が……」
「そんなことはどうでもよろしい」
ローナン大司教がぴしゃりと言い放つ。
「墓守りへの不当な契約変更に隠蔽工作まで……。聖職者として、いえ、人としてあり得ないと言わざるを得ません」
「そ、それは……誤解です! 決して不当な契約ではなく、私なりに彼らのためを思って……!」
「給金を中抜きすることのどこが彼らのためなのですか」
「……っ!?」
「あなたが裏帳簿をつけていたことは分かっています。墓守りに対する給金を本来の金額より少なく支払い、余剰分を横領していましたね?」
「!!」
ローナン大司教の問いに、ワイラー司教が一気に青ざめた。
冷や汗が滝のように流れ、瞬きが異様に多くなる。
「お、おおお横領なんて、そ、そんな……」
「シラを切ろうとしても無駄です。すでに調査を進め、証拠も上がっています。これから詳しく取り調べますので、大人しく同行するように。聖騎士の皆さん、ワイラー司教を大神殿へ連れていきなさい」
「はっ」
「やっ、やめろ! 全部誤解なんだ! わしにはやましいことなど何も……!!」
ワイラー司教がこの期に及んで、なおも必死に弁明する。
しかし彼の訴えは一切聞き入れられることはなく、聖騎士たちに引きずられながらドアの向こうへと姿を消したのだった。
「──コーデリア嬢、この度はワイラー司教が大変申し訳ございませんでした。ご協力に感謝いたします」
ローナン大司教が私に向かって深々とお辞儀する。
私は慌てて頭を上げてもらうよう伝えると、ローナン大司教よりもさらに深く礼をした。
「ローナン大司教こそ、色々とありがとうございました。お力添えいただけて大変助かりました」
「とんでもない。助けられたのは私のほうです。あなたと知り合えて本当によかった。これも神のお導きかもしれません」
ローナン大司教がしみじみとした面持ちで目をつむる。
きっとあの日のことを思い出しているのだろう。
私もローナン大司教との初めての出会いを思い返す。
あれは、例の聖衛士ロマンス小説の発売初日。王都にある大型書店に売れ行きをチェックしに行ったときのこと──。
***
書店にやって来た私は、店内でひときわ目立つ一画──『傷心令嬢は一途な聖衛士に溺愛される』の特設コーナーを凝視していた。
物語の世界観を表現した装飾に、美麗なイラストと心を掴むキャッチフレーズでデザインしたポスター。非常に目を引く販促ディスプレイだ。おかげで先ほどからお客さんがひっきりなしに訪れては、陳列されている本を手に取りレジに向かっている。
(すごい! 山積みの本がもうあんなに減ってる。ディスプレイにこだわったかいがあったわね)
あとは発売記念グッズの抽選も効いているのだろう。
想定を上回る好調ぶりに思わず頬がゆるむ。
そのまましばらく様子を眺めていると、若い女性に混ざって一人の年配のご婦人の姿が見えた。
そして平積みの本の山から一冊手に取り、パラパラとページをめくる。
(あのご婦人、すごく熱心に読んでいらっしゃるわね。あまりロマンス小説を読みそうな人には見えないけれど……)
グレイヘアをきっちりと結い上げ、グラスコードの付いた金縁の眼鏡をかけたご婦人。レンズ越しに見える青灰色の目は、この世の全てを見通すように鋭く厳しい。
ご婦人はところどころ飛ばしながら読み進めると、最後に奥付けのページを開いたまま手を止め、ぽつりと呟いた。
『……この本の責任者は誰かしら』
(責任者は誰かって!?)
まさか、本に何か問題でもあったのだろうか。
私は急いでご婦人に声をかける。
『失礼いたします。私はこちらの小説出版の責任者を務めておりますコーデリア・ラムゼイと申します。突然お声がけして不躾かとは存じますが、問い合わせをお考えのようでしたので気になりまして……。もしやこちらの本に何か問題などございましたでしょうか?』
ご婦人は私を見て一瞬目を丸くしたあと、軽く首を横に振った。
『いえ、問題があったわけではありません』
『そうなのですね……早とちりで失礼いたしました。ですが、もしご意見やご要望があるようでしたら、ご遠慮なくお聞かせください』
『よろしいのですか?』
『ええ、せっかくの機会ですから』
お客様からのフィードバックは重要だ。
率直に話しやすいよう軽く微笑んでみせると、ご婦人は真剣な眼差しで私を見つめた。
『あなたに感謝を伝えさせてください。あなたは私の救世主です』
『は、はい? 救世主……?』
──これがローナン大司教との協力関係の始まりだった。
ローナン様は長年ある思いを抱いていた。
それは、墓守りの境遇を改善したいということ。
公平を重んじるローナン様は墓守りが蔑視される風潮に心を痛めていた。
しかし人々の意識を変えようと、講話の際にたびたび墓守りの仕事の尊さを語るものの、効果はなかなか現れない。人の偏見というものが、いかに根深く厄介なものかを痛感させられるばかりだった。
そんなとき、とある噂を聞きつけた。
街で面白い人形劇が流行っているらしい。
〈聖衛士〉の主人公が悪魔を倒す物語で、ずいぶん人気を博しているとのこと。ためしに観に行ってみると、たしかに大人から子供まで大勢の観客が集まり、皆楽しそうに鑑賞している。
主人公は明らかに今まで蔑みの対象だった〈墓守り〉なのに、強くて特別な力を持つ〈聖衛士〉として、憧れと応援の眼差しが注がれている。
墓守りだって尊い職業だという自分の言葉は届かなかったのに、それが人形劇という娯楽に形を変えただけで、人々にすんなり受け入れられている。そのことに、ローナン様は衝撃を受けた。
そして人形劇の次は、ロマンス小説。こちらも聖衛士が男主人公で、女性にとって魅力的に描かれている。
売り場では事情通らしき女性たちが「アビントン霊園に行くと、この男主人公のモデルになった聖衛士様に会える」、「聖衛士の制服姿とつなぎ姿のギャップが堪らない」などと楽しそうに話しているのが聞こえた。
墓守りを見る目が確実に変わっている。
〈墓守り〉から〈聖衛士〉に名を変えることで、今までの負の印象を見事に脱ぎ捨て、新たなイメージ作りに成功している。
しかも、過去に交わされた貴族との約束に反しないよう〈聖騎士〉ではなく、造語である〈聖衛士〉としたことに強かさを感じた。
──この小説と人形劇の仕掛け人に会ってみたい。
そう強く願ったとき、偶然にもその場に居合わせた私に話しかけられたのだった。
***
ローナン様が再び私に感謝の言葉を繰り返す。
「本当に、すべてコーデリア嬢のおかげです。あなたを通じてワイラー司教という膿を見つけ、取り除くことができました。偽の帳簿や契約書まで作って非常に巧妙に隠されていたので、あなたからの進言がなければ未だ気づけないままだったことでしょう」
「お役に立てて光栄です。これで墓守りの皆さんも安心できますね」
「ええ。ワイラー司教に騙されていた墓守りたちとは再契約のうえ、待遇に関する要望を聞いて対応していくつもりです」
「ありがとうございます。聖衛士に関する新規備品の準備費用等は私からも支援させていただきます」
「コーデリア嬢……本当に何から何まで感謝いたします」
私とローナン大司教は、その場で固い握手を交わした。
そして一週間後──。
私はハーシェル一家が働く霊園を訪れた。




