第10章:思い出となったとき
フミスケが首筋を押さえ、短い濁った悲鳴を上げる。床に這いつくばり、浅い息を荒くしている。
セキミは、その光景を驚きもせず、ただ淡々と上から見下ろしている。
セキミは動いていた。
〇 店内・床付近
床に転がる、例のダサいヘルメット。
『脳内で素敵な思い出がキラキラしていると被される冠』
セキミ、無言でそれを拾い上げる。
一切の迷いがない。
そのまま、カポッ、と自分の頭に深く被る。
セキミ
(無表情のまま、視線だけを前に)
……。
空間が一瞬だけ歪む。
何も起きていないのに、“何かが成立した”気配だけが残る。
〇 店内・フミスケの視点
ヘルメットを被ったセキミ。
あまりにも場違いで、あまりにも静か。
その姿だけが、妙に浮いて見える。
ただ一歩、前へ出る。
〇 店内・フミスケの足元
床に倒れ込むフミスケ。
視界が揺れている。
そのすぐそばに、花束が落ちている。
セキミ、その花束を見下ろす。
ゆっくりとしゃがむ。
無言。数秒の間。
そして、指先で掴む。
冷たく、雑に引き寄せるように。
セキミ
「……花?」
フミスケ
(掠れた声)
「……それは……君のために……」
セキミ、その言葉を途中で切るように見下ろす。
セキミ
「ねえ、わたしがさ
切り花って、人間のエゴの押し付けだから苦手だって言ったよね」
フミスケ
「……うっ……それは……ごめん……」
セキミ、少しだけ間を置く。
感情はない。
しかし“確定”だけがある。
セキミ
「まぁいいわ」
「ここ、どうせすぐ事件現場になるんだし」
「今このお花が一番似合ってるの、フミスケだよ」
フミスケ
「……セキミ……」
〇 店内・空気
音が一段だけ沈む。
外の音も、コーヒーの気配も、少しだけ遠のく。
セキミ、花束を持ち上げる。
セキミ
「たむけます」
静かに言う。
一度だけ。
ほんのわずかに、花を“差し出す”ような角度になる。
しかし。
その手が、途中で止まる。
次の瞬間。
引く。
花束が空中で方向を失う。
そして。
ドゴォッ!!
フミスケの顔面に叩きつけられる。
花びらと葉が散る。
赤が一瞬だけ視界を覆う。
フミスケ
「……うっ……」
身体が沈む。
セキミはそのまま、何事もなかったように立ち上がる。
ヘルメットの下の顔は、完全に静止している。
〇 店内・沈黙
セキミ、もうフミスケを見ていない。
ただ、花束の残骸だけを一度見下ろす。
そして。
視線を上げる。
フミスケ
「頼む……助けてくれ……病院に……」
セキミは、冷めた目でフミスケを見下ろす。その声には、かつての慈しみなど微塵もない。
セキミ
「(しみじみと)自分の手でやるのは無理かなと思って、わざわざ雇ったんだけど……わたしでも余裕でいけたかもしれないなぁ」
フミスケ
「僕は、君と一緒にいたいから……助けて、欲しい……!」
セキミは腕時計をちらりと確認する。
セキミ
「さっき、担当者からね、『注入後、効果が出るまで5分ほどお待ちください』って言われてるから、そろそろ時間かしら?」
セキミ、フミスケの目の前で、ゆっくりと、ひらひらと優雅に手を振る。 それは死にゆく者の意識を確かめる冷酷なテストであり、永遠の別れを告げる死の手振りだ。
セキミはダサいヘルメットを被ったまま、おもむろに椅子に深く腰掛け直す。テーブルに両肘をつき、頬杖をついて、心地よさそうにまどろみ始める。 彼女の瞳から、フミスケという存在は完全に消去された。
〇BGM 店内スピーカーから流れていた優雅な旋律。 突如、高音がひとつだけ外れ、和音がずれていく。 まるで現実が軋むような不協和音が、店内を傷つける。
フミスケの喉から、かきむしるような最期の呼吸音が漏れる。 ガハッ、と大きく一度身体が跳ね上がり——フミスケの気配が、完全に消える。
〇BGM・カット 音が「ブツッ」と断ち切られ、店内は圧倒的な静寂に支配される。
セキミ、ゆっくりと椅子から立ち上がる。 ダサいヘルメットを被った異様な姿。 彼女は正面をまっすぐに見つめる。その表情は、恐ろしいほどに淡々としていて、美しい。
〇BGM・不気味なワーグナー 無音の中から、テンポを極端に引き伸ばされた、低く重いワーグナーの音が流れ出す。
セキミ 「素敵な思い出となった時、素敵な思い出とします」




