第2章:鴨川の一室で
〇映像モンタージュ 京都の路地裏、鴨川のせせらぎ、夕暮れの寺院、無機質な路地が、まるで過去を塗りつぶすように重なり合い、流れていく。 やがて、薄暗い雑居ビルの1階、時代から取り残されたバロック様式の喫茶ダイナマイトへと焦点が絞られる。
ナレーション(声・絵々) 「京都には、表と裏がある。華やかな寺院や観光地のすぐ裏側に、血管のように張り巡らされた路地裏。そこには、長い歴史の中で『無かったことにされた記憶』が澱のように溜まっている」
〇京都・喫茶ダイナマイト店内
ステンドグラスから落ちる光がテーブルを淡く切り裂く。 カウンター越しに、店主・絵々が冷徹な視線を店内に向けている。彼女の声は、先ほどのナレーションと寸分違わぬトーンである。
絵々
「京都の人間は、忘れるのが得意なのよ。……ねえ、美井」
絵々は、フミスケの憔悴した横顔を観察するように、その輪郭を指先でなぞる。直接触れるか触れないかの、獲物を測るような動作。 絵々は見習いの美井に言い聞かせるように続ける。
絵々
「応仁の乱から幕末の騒乱まで、いちいち恨みを覚えていたら、この街では生きていけない。だから負の記憶を正の記憶で打ち消す――『相殺』という技術が、この街の裏家業として発達したに過ぎないわ」
絵々の視線の先で、フミスケの震える手と、対照的に凍りついたセキミの表情が対峙している。 美井は、そのあまりに非情な光景と、絵々の冷え切った横顔を交互に見つめ、喉の
奥で硬い唾を飲み込む。
重苦しい、耳鳴りがしそうな沈黙がしばらく続く。
セキミ、静かに、しかし決然と胸の奥の息を吐き出す。
セキミ
「今までどうもありがとう!
素敵な思い出となった時
素敵な思い出とします」
セキミの放った「素敵な思い出とします」というあまりに整った言葉が、店内の空気を一瞬で凍らせた。
その言葉の響きは、この店の片隅に潜んでいた「隠れ聴き」の存在を炙り出すほどに鋭かった。
店のさらに奥。本を開いたまま読書するふりをしていた中年女性客が、セキミの発言にピクリと指を止める。
絵々と美井は、その気配の主へと反射的に視線を走らせる。女と二人の視線がぶつかる。
美井
(小声で)
「……先輩。見てましたね、あの人」
絵々
「……ええ。最初からずっと」
絵々たちは、絵々たちは、中年女性客をじっと見つめる。
女は気まずさを即座に殺し、本を掲げる角度をわずかに調整して顔を覆った。
文字を追う瞳は一行も動いていないが、周囲には「何事もなかった」かのような静寂を纏わせている。
フミスケ、わずかに眉をひそめ、首を不自然な角度に傾げる。
フミスケ
「なんか、引っ掛かるなぁ……。素敵な思い出になるってわかってるんだったら、それって“今”が幸せだって言ってるようなもんだよ……。普通は、今が嫌だから別れるわけでさ……」
フミスケは必死にその場の険悪なトーンを取り繕いながら、引きつった苦笑いを浮かべる。
店内の音楽が、より低く、不快に歪んでいく
セキミは表情を一切変えず、ただじっと、蛇に睨まれた蛙のようにフミスケを凝視し続ける。
その張り詰めた沈黙に耐えかねたように、フミスケは浅く息を吸い、身を少し前に乗り出す。
フミスケ
「もうちょいポップに話そっか? そんなお葬式みたいなトーンじゃなくてさ」
セキミは微塵も表情を崩さない。まばたきすらしない。
フミスケは額にじっとりと冷や汗をにじませ、なんとかその場の重苦しい別れ話の空気を自分のペースに解きほぐそうと、両手を大袈裟に広げておどけて見せる。
フミスケ
「なんでもさ、その一瞬の時だけに執着せず、もっと相対的に考えた方がいいよ! これまでの楽しかったこととかさ、過去のふたりの思い出をさっ、全体的に見てようよ、ねっ」
その言葉が空回りし、店内の澱んだ空気に吸い込まれていく。
絵々と美井は、その様子を冷ややかに見守り、奥の席では中年の女性客が本越しに二人を凝視している。
セキミは、フミスケの言葉の語尾が消えかけるその一瞬を見逃さない。
鋭く、ナイフのように声を張り上げる。
セキミ
「浮気した奴が別れ際の雰囲気コントロールしようとするな!」
ピシャリと言い放つ。
その声が薄暗い店内に響き渡り、店内の音楽が、不協和音を伴ってグロテスクに歪み始めた。
突然の怒声に、スタッフと、店内にただ一人いた女性客が一斉に顔を上げる。
セキミとフミスケの異様な殺気に驚いた拍子に、またしても絵々・美井たちの視線とバチリと合う。
皆、気まずさと滑稽さに耐えかね、即座に反応する。
女性客は咄嗟に本を掲げて顔を隠し、スタッフは慌ててオーダー表へ目を落とした。
フミスケ、慌てて周囲の目を気にしながら、両手を前に出して宥めるような情けないポーズを取る。
フミスケ
「いやいや〜、声が大きいよ。だから、何度も言ってるけど、浮気してないよ。本当に」
セキミ、テーブルにドスンと両肘をつき、さらに顔を近づけてフミスケの目を射抜く。
セキミ
「この目でしっかりと見たんだから!」
店内の音楽が、より一層不快な低音を響かせ、重苦しい緊張がピークに達する。
フミスケ
「京都観光してただけだよ」
セキミ
「京都観光って、あなたどこの出身?」
フミスケ
「東京。だから京都弁も使ってないでしょ」
セキミ
「東京で生まれただけでしょ!どこで育った?」
フミスケ
「京都だけど、高校は大阪・・・」
セキミ(くいぎみに)
「だから?」
フミスケ、セキミを見たまま動きが止まる
セキミ
「自分の生活圏で観光だなんて言い訳のセンスが皆無なのよ。しかもあんなに楽しそうに・・・」
フミスケ、たじたじと視線を泳がせ、首元を引っ掻く。
中年女性客、見応えたっぷりの映画を見てるかのようにごくりと満足げに生唾を飲み込み、非常に熱心に耳をすませている。
フミスケ、いたたまれなくなり、泳がせていた視線をカレンダーや壁の古い時計へと向ける。
その時、カランカラン、とドアベルが間の抜けた高い音を立てる。
喫茶店の入り口の重いドアが開き、一人の男が足を踏み入れてくる。




