9.部屋の謎
まばゆい光に目が眩んだその直後、視界は急に闇に覆われた。
何事かと一瞬焦ったものの、なんてことはない、布団の中に潜り込んでいただけのことだ。
すっかり温まった布団の中からゆっくり頭を出すと、ティナがまだ鏡の前で髪の手入れをしているのが見える。きっと何分も何十分も髪を梳いていたってわけではなく、ただただ昨日と同じく時間が進んでいないんだろう。
つい先程までの熱や動悸、頭がぼうっとする感じは既にない。効果が部屋の中限定のものだったのか、部屋を出た瞬間から無事に加護の力が働いたのか……
「メイはいいわねぇ、大して手入れしなくてもきれいな髪で」
今の今まで会話が続いていたかのような調子でティナが言う。
そんなにがんばらなくてもティナだって十分きれいな髪だよ……じゃなくて。
「わあ~~~~~~! ティナぁ~~~~~~!」
「へっ!? なに!? 急になんなの!?」
ティナにとっては気が付かないほど一瞬のことだったのかもしれないけど、
「さっきまで私ひどい目にあってたの! 聞いて! ねぇ!」
「はあ?」
犯人探しはミカゲと二人で、なんて昨日今日話したばかりの決め事なんて一瞬で破棄を決めた。
もしこんなのがこれからも続いたらどうするの、冗談じゃない! 事態は一刻を争うわ!
そんなこんなで半ば半狂乱になりながらティナに泣きついた。
そしたら、その髪のフローラルな香りになぜかくらっっっときて。
「ティ、ティナ……! も、もっとさ、ささ触ってもいい……!?」
「え!? なに、鼻息すご! こわ!!」
それまでの言いたかったことが全部吹き飛んで、気持ち悪い欲望だけが全面に出た。
おかしい、治ったと思ってたけど何かまじないの名残があるというか、脳みそだけがバグったままな感じだ。
無情にも私を押しのけるティナが「だれかー!!」と叫ぶ。
するとすぐに、バン!! と、扉を破壊せんばかりの勢いでミカゲが乗り込んできた。
「み、みみみミカゲ……!」
「クリスティナ! そいつは酔っ払いだ! 全力で水を飲ませろ!」
ティナにくらっときつつも、ミカゲを見たらさっきの部屋での醜態がフラッシュバックして、羞恥心で死にたくなった。
けれどその直後にはティナの水魔法が全力で顔面にぶちまけられて、甘っちょろいことは言っていられなくなった。
「がぼぼぼぼぼ」
やっぱりこんなことで死にたくないです。
◇
昨日今日、私とミカゲに降りかかったあの災難について、ティナにありのままを話した(アルトはこの騒動の中でも隣の部屋で寝たまま)ところ、
「そんな魔法、ありえないわ」
とシンプルに一刀両断された。
「そんなこと言われたって事実だもん!」
びしょ濡れになった髪をタオルで拭きながらティナに反論する。あれがただの妄想や夢なら、今こんなことにはなってないはずでしょう。
「そうじゃなくってさ。その現象が本当だとして、それ全部を魔法で説明することはできないってこと」
「ん?」
「どういうことだ?」
「時間の流れの異なる別次元への転送魔法……これだけでもまず、それこそ異次元レベルの魔法よ。何をどうしたらそんなことができるんだか……普通の魔法使いに扱えるような代物じゃないわ」
「まぁ、そうだろうな……」
「そうなんだ……」
「そんでさらにややこしいのが、そのいやらしい部屋よ」
いやらしいって言った。やめてよ、そのいやらしい部屋に送られた張本人が目の前にいるんだから。
「指定した条件を達成することで出られる部屋ってことだけど……ただの魔法でその複雑な空間は組み立てられない。ただ……それに近しいものなら、ひとつだけ思いつく」
「なんなの?」
「ダンジョンよ」
ダンジョン。みんなと旅に出るようになってから、一度だけ潜ってみたことがある。たしか金策のためだった。
ダンジョンは多くが魔物の住処だけれど、地上にはない特殊な鉱石や薬草なんかがあって、それが高く売れたりする。また深く潜れば潜るほどめずらしい魔物が増えるので、その素材も高く売れる。
以前潜ったときはそこまで深く潜る気はなくて、適当に二層三層あたりで薬草採集なんかをして出るつもりだった。でもアルトが落とし穴に落ちたせいで、結局最下層まで行く羽目になったんだった。
魔物との戦闘なんかはまだいいとして、一番困ったのは食料問題だ。あの中は基本的に食料調達ができないから、準備不足で普通に死ぬ。
冒険者にとってはダンジョン踏破がロマンだったりするらしいけど、その良さは私にはちっともわからなかった。
「うーん……? たしかにダンジョンにもあの部屋にももう二度と行きたくない、ってところだけは共通してるけど……」
「ダンジョンってね、初めて発見されたのはもう百年前になるけど、未だに解明されていないことばかりなの。誰が何のために作ったのか、あの中で常に働いている魔法の設計がどういうものなのか」
「魔物や魔族が作ったんじゃないの?」
「そういう説もあるにはあるけど……あそこには人間優位な設計が多すぎて、その説はあまり有力ではないわ。他にも古代の魔術文明の遺物であるとか、創造の女神イルミナが作りだしたとかいろいろ言われてはいるけど、どれも自分の神様が一番すごいんだっていう宗教マウントの道具みたいな説よ」
知らなかった、魔物の住処って時点で魔物が作ったものだと思って疑わなかったから。
「メイお前、前のダンジョンで最下層のドラゴンを倒した後、どうやって地上に戻ったか覚えてるか」
どうやら無知は私だけだったらしく、ミカゲも訳知り顔で訊いてくる。
「そりゃあ覚えてるよ。ドラゴンがいた広間の奥の祭壇に転送装置の玉が置いてあったから、あの玉の力でダンジョンの入口まで戻ったんじゃん」
「そうね。便利よね、あれ」
「よかったよね。だれが置いてくれてたんだか知らないけど、ああいうのがいろんなところにあったらすごく楽ちん――…………え? まさか……」
「そう。あの玉は誰が置いたものなのかも、転送の原理も、まるでわかってないの」
「ええー!?」
私たちって、そんななんにもわかっていないものを頼りに最下層まで潜ったの!?
「あの玉はダンジョンの最下層に必ず見つかるものなの。だからあのダンジョンにもあるはずだって信じてた。他にもダンジョンには、どれだけ深く潜っても必ず十分な酸素があるだとか、一見光源がないのに常に明るいだとか、原理がわからない魔法が常に発動している」
「――!」
……一緒だ。密室なのに減らない酸素。光源がないのに明るい部屋。
そうか、言われてみればあの部屋とダンジョンはたしかに似ている。
「原理はわかってないものの……まぁ流用はできるとかそういうことは……」
「今の魔法技術では不可能だとされているわ」
スーッ……。何も言えずについ天井を仰いだ。
(どうしよう……思っていたよりもずっとややこしい事態だ)
変態野郎はただの変態野郎じゃない? ダンジョンを造るレベルですごいことを、ただのいやらしいことに費やしているド変態ってこと?
いや……いやそうじゃなくて、そもそもどこかにあの部屋が備わったいやらしいダンジョンが存在していて、私たちはそのダンジョンに転送されているってことか? ……いやらしいダンジョンってなに?
「けど……」
ここまでですでにお腹いっぱいだったのに、ティナはさらに衝撃の事実を告げた。
「あんたらに起きた事象を魔法で説明できない、一番の理由はそこじゃないの」
「そこじゃなかったの!?」
まだ!? まだあるの!?
「……俺達が転送されたことに誰も気がつけねぇことだな」
私がパニクっている一方で、ミカゲは冷静だった。
「そう! そこよ!」とティナがビシッとミカゲを指さす。
「昨日の寝てた時ならまぁまだしも……今日のあたしは、あんたらの転送時には起きてたはずなのに、魔力の気配なんてどこからも一片たりとも感じなかったのよ」
「……そうだ……たしかに、そもそも魔法が効かないはずの私があんなことになったのは、あれが魔法じゃないからって考えるのが自然なのか……」
「……で、魔法じゃなけりゃなんなんだ」
「さあ、わかんないわよ」
最終的にはあまりにもあっさりと匙を投げられた。
「どうせ私とミカゲが多少いやらしい関係になるだけだと思って、適当になってるでしょ……!」
周りからすれば一瞬の出来事でなんら影響がないってのも、ある意味つらい。困るのは私とミカゲだけなんだもん。
その不服を露わにしたら、ティナは「んなわけないでしょ」と。
「いやらしい関係になるだけならまだいいけど」
「よくないよ」
「例えば犯人の目的が、メイを穢れさせて巫女の力を失わせることだとしたら?」
「!」
そうか、てっきり変態野郎を相手にしていると思い込んでいたけど、そういう線も当然あるのか。それにしても回りくどすぎるやり方だけど……。
仮にもしそれが目的だとしたら、理由は私への怨恨か勇者パーティーの旅の妨害か……何しろ犯人像がまた変わってくる。
「それに、さっきの『液体を飲み干さないと出られない』ってやつ」
「それがどうしたの?」
「誤って瓶を落として、中身を床にぶちまけでもしたらどうなるの?」
「……え……」
「条件達成が不可能な場合は、二度と部屋から出られなくなるの?」
――瞬く間に指先が冷えていくのが、自分でわかった。
いつも綺麗に手入れしている親指の爪を噛むティナ。
彼女はいたって真剣な声音で呟いた。
「あたしにはその部屋が、命のかかった罠に思える。……大問題よ」
場がしんと静まり返る。
相手がただの変態だと思い込んでいた自分が、どれだけ能天気だったかをがつんと思い知らされた。
「……ま、やれることを地道にやってくしかないわ。で、その文字ってどんな文字なのか教えてよ」
自ら地に落とした重い空気を拾い上げるように、ティナはさっきよりも明るい声でそう言った。まぁ普通に興味もあるんだと思う。
「ああ、えっと……」
適当な紙を取って、これまで見てきた文字をそこに書き写す。
「世界共通語でないとしたら、古代文字か民族文字か……まぁミカゲに読めるぐらいだから簡単なクルセ言語あたりかしら。世界共通語の次に使用者が多い言語で、特に東の地方で使われがちよ。まぁ今まで村から出たことのなかったメイが知らなくても仕方ないわ」
「なるほど……ティナはほんと博識だね。……うん、こんな感じ」
「どれどれ……」
ティナに紙を渡す。
するとそれまで饒舌だったのが一瞬で静かになって、表情は強張りを見せた。
……嫌な予感がする。
「あー……クルセ言語……っていうのではなかった感じ?」
「……違うわ。古代文字でもないし、私の知るどの民族文字の傾向ともまったく当てはまらない……」
ティナは悔しそうにミカゲを見上げた。
「ミカゲ……あなた本当によくこれが読めたわね?」




