4.キスしないと出られない部屋(2)
にしても少しずるい答えだとは思う。なんとなく男らしくないような。でも……一番に私のことを考えてくれているんだろうってのは、なんとなくわかった。
(あれ……?)
なんか……急に、ミカゲの顔が見られなくなった。
ドクドクとうるさい心臓に戸惑って、少し視線を落とす。
――ふと、ミカゲの膝の上に乗せられた拳が目についた。
さっき壁を殴ったせいで血が滲んでいる。さすがに割れてはいないだろう。擦り傷程度だと思う。
このぐらいならすぐにでも治せる。
「……じっとしててね」
そう言ってそっと手に触れたら、ぴくりとほんの一瞬ミカゲの体が揺れた。
……変なの。いつも人との接触にいちいちびくついてるのは私の方なのに。ミカゲでも、緊張とかするのかな。
(……心臓がうるさいのも、私だけじゃないのかも)
そう思うと、少し気が楽になった。のぼせるようだった頭がすっきりして、なんとなく視界が開けたような。
――そうか、キ……スって別に、唇同士じゃなくたっていいんじゃない?
「おい、メイ……」
「あ、ごめん!」
私は慌てて治癒の祝詞を唱えた。
龍神様の加護は常に私を守ってくださる。退魔の力はありとあらゆる魔を跳ね除け、さらには多少の傷ならたちどころに癒やしてしまう。
それを私は、人に分け与えることもできる。
普段は祝詞の後に手をかざすだけ。でも今日は、赤色が染みた痛々しい手を持ち上げて……そっと唇を落とした。
「――!」
ミカゲが静かに息を呑んだのが感じ取れた。
不思議と羞恥心はない。唇を離した時点で既に綺麗に治っていた肌と、己の冴えた発想に達成感は湧くけれど。
「……治ったよ」
「あ、ああ……」
しかしご指定通りキ……スをしたというのに、部屋の様子は何も変わらない。
これはあのパネルに意味などなく単に踊らされているだけなのか、手だからダメだったのか。
そもそも、部屋を出るためのキ……スを判定するものはなんなんだろう。この部屋自体にそれを判定する仕組みがあるのか、どこかで見ていると仮定している変態野郎が判定するのか。
「あのー、キ……スしましたー」
一応変態野郎に報告するつもりで言ってみたけど、部屋のどこもうんともすんとも言わん。挙手で間抜けな宣言をさせられただけという事実が胸をえぐる。
さて仮に今の状況を〝手ではだめ〟だと判断されたと考えるなら、やっぱり次は――……
そのまま無意識に、ミカゲの唇を見ていた。
引き結ばれた薄い唇。
それがほんのり小さく開いた、かと思うと「はー……」と長い溜息が吐き出された。
なんのため息、と訊くつもりだったけど。その前に力強く腕を引かれ、ミカゲの胸に倒れ込んでしまった。
「わ! ちょ……!」
急に何するの、と続くはずだった言葉は一文字も漏れることなく喉の奥へ帰っていった。
先程までの、どこか余裕が感じられた彼はもういない。
覚悟を決めたのがありありとわかる瞳が私を射抜く。
「ミカ……」
心臓が口から飛び出そうな私の頬に、何かが触れた。
腕を引いた手は乱暴だったのに。頬に触れるそれはひどくやさしい。
「……わるく思うなよ」
自然に顔を持ち上げられ、重なる唇。
ただ唇が触れ合っているだけのその数秒間が、やけに長く感じられた。
(これでも結局出られなかったら、この後どんな顔して過ごせばいいんだろう)
数秒の間、考えたのはそんなことだった。
我ながら色気のない。だけどたぶん、現実逃避に近いようなものだったのだろう。
結論から言えば心配は杞憂だった。
二人の唇が離れた直後に、浮かび上がるようにしてどこからともなく壁に扉が現れたのだ。
「出られるみてぇだな」
「……だね」
私はミカゲから体を離して、扉に向かってすたすたと歩き出した。
これこそ罠かもしれないなんて考える余裕はなかった。
まるで始めからそこにあったかのような顔をしている重厚な木の扉。まやかしで隠されていたのか、今このときまでそこにはなかったものなのか、事象を見たところで私には仕掛けなんてわからない。
ただただこれが、忌まわしくて腹立たしくて。
扉に突っ込む勢いで、ゴンと額を打ち付けた。
「ばか、何してんだ!」
痛い。それは当然、いつもそう。加護の力があったところで一時的な物理的ダメージは負うから、怪我をすれば痛いし血が流れる。
だけど痛みは長くは続かない。私の肉も皮膚も、常人では考えられないスピードで修復されるから。
私を扉から引き剝がしたミカゲを、縋るように見上げる。
「治ってる?」
一瞬眉を寄せたミカゲはすぐに自分の服の裾で私の額を拭って、
「……治ってる、安心しろ」
そう言って今度はそっとやさしくそこを撫でた。
それを聞いて、やっと息ができた。いつからか呼吸を忘れていたらしい。
「……よかった……」
――まだ龍神様には見限られなかったみたい。
小さなため息を漏らして、すぐにハッとした。
後悔はしないと言っておきながら、キ……スのときめきとかそんなものを感じている暇もないぐらい、結局は穢れを恐れている。そんな自分に気がついて、ぎりりと奥歯を噛んだ。
「……おい」
それから黙って扉のノブに手をかけた時、ミカゲは不服そうに私を呼んだ。
「警戒してないわけじゃないよ。私が盾になるから、ミカゲは後ろにいて」
「ふざけんな」
この先がどうなっているのかもわからない今、それが最も正しい加護の力の使い方だというのに。一言で押しのけられて、ノブを奪われた。
「お前が俺の後ろにいろ」
「なに、刀も持ってない剣士が偉そうに」
「この小刀で十分だ」
「もしあんたに何かあったらティナ達を助けらんないじゃん、ねぇ。傷によっては治癒にも時間がかかるよ。私なら致命傷さえ避ければどんな怪我もそのうち治るんだし、その怪しい扉は私が開けるべきじゃない?」
「ごたごたうるせー…………あ」
私が背中に向かってまくしたてる中、ミカゲがふと声を漏らす。
「なに?」
思わず警戒して身を固くした。
くるりと振り返ったミカゲはそんな私を見下ろして、
「次はちゃんと目ぇ瞑れよ」
……と。
何食わぬ顔で言われたその言葉の意味を、数秒考えた。
「は……はあ……!?」
な、ななな何の話!? まさかキ……ッスの話をしてるの!? 今ってそんなタイミング!? 大体、次なんてのはあったら困るでしょうよ!
まさかこいつ、キ……スをしたからには責任を取らなければならないとか、そういうことを考えているのでは……!
「いや、つ、つつ次とかないから!!」
しっかり叫ぶ私をよそに。私の声など聞こえないかのように、ミカゲは黙って扉を開いていた。
(こいつぁ……!!)
そして私の視界は真っ白な光に包まれた。
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