39 どちらが先に死ぬかを決めないと出られない部屋
眼球が瞼の裏で一回転したのかと思った。
ぐるりん、と瞳が正面に戻ってきたとき、視界に広がったのはもはやお馴染みの真っ白空間だった。
雑に床の上に寝転がされているらしく全身が痛い。
……いや、この痛みはあの呪いを体に引き受けたときのものかもしれない。
動けるということは呪いを浄化できたということ。ならスズワさんの解呪は成功したと思っていいんだろうか。
けど私がここにいるってことは……
「しまった、気絶したのか……」
「ミカゲ……!」
くそ、と悔しそうな顔をしながらミカゲが私を引っ張り起こす。
どうなったの? と聞けば、黒い水に飲み込まれた私を助けようとしたところで自分も水に襲いかかられたとのことだった。
「え、だ、大丈夫……!?」
「ああ、体に異変はない。……わりぃな、俺が余計なマネしたせいでここに連れ込まれちまった」
「ううん、傍にいてくれて心強かった、ありがとう。こうなったのは私の力が足りなかったせいだから」
呪いの暴走は無事収まっているだろうか。ミカゲの他に巻き込まれた人がいないといいけど……。
「とりあえずさっさとこの部屋をクリアして外に出よう!」
もう状況にも慣れたもので、読めもしないのにいつものパネルを振り返った。
「さぁミカゲ、今回はなんて書いてあるの?」
今回の部屋にはベッドどころか椅子すらない。部屋あるのはあのパネルのみ。
「……!」
「……? どうしたの?」
パネルを見たミカゲは目を見張って、しばらく口を噤んでいた。
(ま、まさか……ついに来たの? あの部屋が!?)
だけどそれにしたってどうにも様子がおかしい。
「ミカゲ?」固まっているミカゲの顔を覗き込む。
「……大丈夫だよ、私。なんにしたって覚悟はできてるから」
——これが本当かどうかは実際のところあやしいけれど。
それからミカゲは眉を寄せて、振り絞ったように呟いた。
「……どちらが先に死ぬかを決めないと出られない部屋」
「……は?」
破廉恥なワードになんて掠りもしない。
なんなの、どちらが先に死ぬかを決めるって。
「死ぬの? 私かミカゲが」
「……言葉のままならそういうわけじゃない。ただ話し合いをしろってだけだ」
本当に? 先に死ぬことになった方がこの場で殺されたりしない?
「はっ……ただの口約束で済むなら簡単なこった」
いや……さっきの言い淀みようからして、ミカゲだって私と同じ不安を感じていたんだろうに。
急に安直な話をしだしたのは私のためだったりする?
……よし、わかった。じゃあそういうことでいいよ。
「じゃあ私が先に死ぬってことで」
「! いや待て、なに勝手に――……」
「この決定をもってして、私達に何かが起きるのかもしれない。それでも私なら、加護の力できっとなんとか――……ミカゲ?」
不自然に言葉を止めたミカゲがそのまま立ちすくんでいたので、ちょいちょいと腕をつつけばハッと我に返ったようにこちらを見た。
「だ……ダメだ。お前の加護の力はこの部屋には通じてないんだろ。それなら俺が先に死ぬってことにしておいて、なにか起きたときには自力で何とかする方が――」
——ミカゲが私より先に死ぬ。
その言葉の意味を無意識に想像した瞬間、目の前で体を切り裂かれて倒れるミカゲのビジョンが浮かんだ。
あまりにも生々しい光景が網膜に、血の匂いが鼻の奥にこびり付くようだった。
悲鳴を上げるすんでのところで目の前の景色が元に戻る。
すると今目の前にいる、生きているミカゲと目が合った。
ほんの一瞬の出来事だったはずだけど、背中にはびっしょり汗をかいて、激しい動悸に喉がつっかえる。
……こんなのはただの自発的な想像なんかじゃない。
「……ミカゲも、何かを見たの?」
「え」
「さっきの一瞬で……私が死んだ?」
ミカゲは少し目を見張って「……お前もか」と呟いた。
「生半可な覚悟で決めんじゃねーってことかもな……」
「……部屋が私達に攻撃してきてる。最悪は想定した方がいい。呪術に刀で対抗はできないし、やっぱり死ぬ側は私ってことにしておかないと――」
そう言った瞬間、ミカゲの顔色が青ざめた。
一瞬のことに驚く私の前で、俯いて額を抑えたミカゲが少し息荒く言う。
「いや違う、対抗できる可能性があるのがお前だけだからこそ、お前は絶対に生き残らなきゃならない。もしものとき死ぬべきは俺の方だ」
……それを最後まで聞いたか聞いていないかもわからないタイミングで、
――――グチャッ!
突然ミカゲの後方に現れた巨大な魔物が、拳でミカゲのことを潰してしまった。
(あ……あ、ああ……?)
無惨なミカゲの姿や足元に広がる血溜まりに脳の処理が追いつかないまま、吐き気が込み上げる。
「ウッ……!」
「おい、大丈夫か!?」
咄嗟に口元に手を当てたところで、再びミカゲの声が聞こえた。
ミカゲは潰れていないし、巨大な魔物もどこにもいない。
「……また幻覚」
せり上がってきそうだったものを、気合いでぐっと飲み込んだ。
「……どうやら、死ぬ側を決めようとすれば幻覚を見せられるシステムらしいな」
「ひどいシステム。決めさせる気なんかないみたい」
ただの〝両想いになるおまじない〟が、お師匠さんの言う〝魔王を倒す力を得る呪い〟に変貌しつつあるのを感じる。
「お前が折れりゃ済む話だ」
「それを言うならそっちこそ」
「俺が巻き込んだんだ。お前を死なせるわけにいくか」
「……だって……もし同意して、さっきの幻覚通りになったりしたら…………困る」
困る、が正しい表現ではないのはわかっている。
だけど悲しいとか辛いとか、そんなふうにも言い表せない。
とにかく、あんなことが現実になるのは絶対ごめんだ。
でもミカゲも、
「俺だってそうだ」
と譲らない。
彼はどんな私を見たんだろう。そういえばこんなに顔色の悪いミカゲなんて初めて見る。
「……次は必ず、『わかった』って言えよ」
「! や、やだ――」
「俺はお前に、俺より長く生きてほしい。だから先に死ぬのは俺だ」
ミカゲがほんの僅かに口角を上げて微笑む。
その顔が、体が、一瞬にして炎に包まれて燃え上がった。
「ミカゲ!!」
炎の熱さも何もかも、それどころではないと駆け寄って炎の中に手を伸ばして、ミカゲの手を掴んだ。
けれどそこから引きずり出したミカゲの体はすでに真っ黒で、掴んだ手は灰のように脆く崩れる。
「い……いやぁーーーー!!!!」
崩れる体をなんとか支えようと抱きとめて、
「メイ! しっかりしろ、メイ!」
背を叩かれる衝撃にハッとした。
実際の私が抱きしめていたのはまだピンピン生きているミカゲで、「大丈夫か」と私の顔を覗き込んでいる。
「あ……」
幻覚を見せられることもそのタイミングすらもわかっているのに、見せられている間はそれが幻覚だと自覚できない。
見せられたものへの恐怖と、本当のミカゲは生きているという安堵に、はらはらと涙が零れた。
「……これで終わりにしよう」
ミカゲは私の同意を待っている。
今私が一言『わかった』と言えば、この部屋から……この苦痛から解放される、はずだ。
わかってる、わかってるけど……!
「っ……! ごめん、ごめんなさい、無理だよ……!」
部屋は覚悟を問いかけている。
死ぬ覚悟ではない。相手を失う覚悟だ。
もう六部屋目。部屋はわかっている。ここに来る人間にとっては、相手の死よりも、自分の死を選ぶ方がよっぽど簡単なこと。
「私が先に死にたい……! こんなの現実になったりしたら耐えられない……! お願い、私を……ミカゲより私を、先に死なせて」
強く、ミカゲが私の背中を掻き抱いた。
息がひどく荒れている。
そうか、私もまた見せてしまったんだ。
(どうしよう、これじゃあずっと堂々めぐり……?)
しかし不安を他所に、ミカゲは私を強く抱きしめながら長い息を吐いて、
「……わかった。俺は……遠い将来、布団の上で眠るように死ぬお前を見届けてから、後を追おう。絶対にお前を一人にはしない」
「……! ミカ、ゲ……」
互いに抱きしめ合う二人の腕が震えていた。
今から一体何が起こるのかと恐ろしい想像ばかりが巡る。
——けれど実際には、ミカゲの背後の壁にいつも通りの扉がゆっくりと現れただけで。
それからも私たちの身には何も起こらなかった。
「ほ……本当に、話し合うだけだったんだ……。み、ミカゲ! 大丈夫!?」
尻もちをつくようにその場にへたり込んだミカゲを支えきれず、私もつられて地面に膝をついた。
「何が〝魔王を倒す力〟だ……とことん趣味がわりぃ」
めずらしく脱力してうなだれるミカゲ。
そんな彼の後頭部を、ありがとうの意味をこめてそっと撫でた。
「……これ以上なく精神力は鍛えられた気がするよ」
大切な人を失う辛さに比べたら、自分の命を差し出すぐらいのことはなんてことはない、ということもわかった。
もはや一度死んだ気さえする。いざというとき、おそらく私はもう微塵も自分の命を惜しまない。




