32 犯人の正体
おそらくミカゲは湖に入ったと思われる。
それと同時に見えてきたのは、真っ暗な水面上にくねくねと伸びる、白く光る糸だった。
(なんだあれ……)
吸い寄せられるように追いかけた。ミカゲが何度か声をかけてきたけれど答える余裕もないぐらい、無我夢中で。
するといつしか視界が晴れていた。
もう何度も見てきた、青く澄み渡る空と水の景色。もちろん立ち止まっても足は沈まない。
(……息がしやすい)
白い糸は一人の白い影の背中に繋がっていた。
とても背の高い、少し猫背の影だ。
(この人がまじないの作者……?)
まだ正否はわからない。答え合わせは慎重に行わなくては。
私はその影にゆっくりゆっくりと近づいて、声をかけた。
「こんにちは。私、巫女のメイと言います。少しお話できませんか?」
影はこちらを振り向くように動いた。影は影なので結局顔は見えないけれど。
「ああ……お久しぶりですね、メイ様」
「……は……!?」
想像だにしなかった事態に驚愕して、無意識に後ずさった。
(なに? なんで? 私を知っている……!?)
何十年、下手すればもっと前のまじない本の作者が私を知っているわけがない。
じゃあこの影はまじないの作者ではない? だれだ? 一体誰に繋がってしまった?
「あなたは一体……」
「巫女であるあなたなら……こうしてまた会いに来てくださるのではないかと思っていました」
落ち着いた、物腰柔らかそうな男性の声。もちろん私に聞き覚えはないのに、向こうは私の降霊術に期待すらしていたらしい。
「私を待っていたんですか?」
「ええ。……まぁ、そろそろかなと予想はしていたんです」
「なんで……」
「先程あの呪いが私に聞いてきたので。『願いは叶ったか』……と」
「——!」
術者だ……!!
なぜか作者ではなく術者の方に繋がったんだ……!
(ていうか術者が既に死んでるってこと!?)
わからないことが多すぎる。何から問い詰めるべきかとわずかに逡巡して、
「なんて答えたんですか」
かすれる声で訊いた。
「もちろん、叶っていないと答えました」
————クラっときた。
こんなに優しい声で、分別のありそうな態度で、なぜあんなでたらめなまじないをこれ以上強いようとするのか。
影は平然と続ける。
「それでメイ様、ミカゲとはどうすれば話せますか? それともそれは難しいですか?」
「は……」
そうだ、まじないがかけられているのはミカゲの方(私には文字が読めないことから判断できる)。私じゃない。
ならばこの人は私とミカゲ、共通の知人なのか? そんな人はいたとしてもここ半年の話だけど……ここまで来てもまったく心当たりが浮かばない。
「……私の手を取ってください。あなたを彼の前までお連れします」
本人がそのつもりでいてくれるんだ、あれこれ考えたりここで問答するよりさっさと降りてもらうのが手っ取り早い。
「わかりました。よろしくお願いします」
影は迷うことなく私に手を伸ばした。
手が触れあった。突如、今度は目の前が波打つように景色が変わる。
太陽が雲の向こうに隠れた薄暗い空、波のない湖、そこに半分埋まったミカゲ。
「メイ、おまえ——」
何かを言いかけた彼の前に、白い影が降り立つ。
「成功したのね!」
「うん……」
影は風に流される砂のようにさらさらと消え、代わりに白く淡い光に包まれるような、人の姿が浮かび上がった。
(……降ろせた)
間違いなく死者だ。ミカゲにまじないをかけたこの人は、やはりすでに亡くなっている。
白く長い髪を後ろでひとつに束ねた、壮年の男性。丸い眼鏡の向こうの目はとてもやさしく弧を描いていて、当初思い描いたような覗き見変態野郎の像とは遠くかけ離れていた。
そしてミカゲが、その男性を見つめて呟いた。
「し……師匠……!?」
……だめだ、ここへ来てさらにわけがわからない。
「ミカゲの師匠がまじないの作者ぁ?」
「どういうこと……?」
「いや、作者じゃなくて術者らしいよ」
「そっち!?」
みんながみんな状況を飲み込めずに棒立ちしていた。
しかし当然犯人は生者だと思っていたから盲点だったけど、言われてみればわかりやすくもある。
お師匠さんは所持していたまじない本を用いて、弟子にまじないをかけた。ただそれだけのことだから。
同じ本を持ったどこぞの誰か、をあえて探す必要なんかなかったんだ。
でもどうしてこの人は私を知っていたの? 十年以上前に亡くなっているはずの人が。
《ミカゲ……久しいね。元気だったかい?》
「な、なんで師匠が……!? おいメイ、本当に合ってんのか!?」
《おいおい、相変わらず話を聞かないなぁ。まったく……お前にかかった呪いの話なら、術者は私で間違いないよ》
「!」
感動の再会に涙するような隙もないまま、ミカゲは驚愕した様子で立ちすくむ。
そりゃあ剣の師匠が弟子の未来の伴侶を慮った末に、怪しいおまじないを頼った……とかだったらがっかりよな。
……にしても先程もそうだったけれど、この人が〝両想いになるおまじない〟のことを〝呪い〟と言うのが気になる。私も実質そのようなものだと思ってはいるけど……。
「……まじないは、あなたが亡くなる前にミカゲにかけたものなんですね。なんらかの条件を満たした結果、長年眠っていたそのまじないが今になって発動した……」
《ええ、そうです》
私はあえてまじないと言ったけど、それを否定されるようなことはなかった。
にしてもおかしい。たかがまじないにそこまでの効力があるのはなぜだ。
『そういう時限爆弾みたいなものを魔法とは呼ばない……。そういうのは呪いって言うの』
先日のティナの言葉が頭にチラつく。
「なんで……わざわざそんなこと……!」
軽蔑に近い表情を見せるミカゲに、お師匠さんは毅然と答えた。
《魔王を倒すためだ》




