24 とある老夫婦の馴れ初めについて
「くしゅん」
衝撃に目を開けた。どうやら自分のくしゃみで目覚めたらしい。
しかし久しぶりにしっかり寝た感覚がある。
まだ開ききらない目で周囲を見渡せば、あの部屋に入る前——湖の傍のサクラの木の下に戻ってきているとわかった。
ただ月明りしかなかったはずの世界は既にほの明るく、遠くの空は紫色に変わっていた。
「めちゃくちゃ寝た……!」
びっくりして思わず声に出していた。
もう夜明けが近づいている。
「ああ、よく寝てたな」
「!」
すぐ隣のミカゲの声にまた驚いて、びくりと体が揺れた。その拍子に体にかけられていたミカゲの上着が落ちた。
「お前は風邪引かねーってわかってるから、部屋から出てきた後もそのまま寝かせてたんだが……風邪は引かなくてもくしゃみは出るんだな」
どこかおかしそうにミカゲが笑う。
そのめずらしい表情と肩が触れ合う距離にどぎまぎした。もしかしなくとも今度は私が肩を借りて寝てましたかね。
「……風邪引かないってわかってるのに、上着貸してくれたの?」
心臓に悪いと、座り直すふりをしながら少し距離を空けた。
「……そういやそうだな」
じゃあ俺が使えばよかったか、といたずらっぽくまた笑う。
ミカゲはミカゲでよっぽどよく眠れてご機嫌らしい。
にしてもあんな上等なベッドで寝た割に体がバキバキだ。時間の進み方からしても、ベッドよりここで眠っていた時間の方が長かったのでは。
「そういえばいつものあの扉、今回は通った覚えがないんだけど……」
「お前寝てたからな。俺が抱えたまんま通った」
「あ、そう……ありがとう……」
結局爆睡だったことが普通に恥ずかしい。
その後すぐにハンジさんの家に戻ったところ、まだ夜明け直後だというのにすでに全員が起きていた。
「ただいま戻りました」と声をかけつつ家に上がれば、朝食と思わしき鍋を囲んでいたみんながこちらを振り返る。
「あ、戻ってきた」
「一晩も二人でどこで何してたのよ、いやらし~」
心配したよ、なんて言葉は出てこないらしい。
アルトなんか私達に注目したのもごく一瞬で、すぐに手の中の椀に意識を持っていかれてた。
私は「いやらしくない!!(本当はいやらしいかも)」と声を大にしながらティナの隣に座った。
そしたら向かいに座るスズワさんと目が合った。
あ。と、そう思う間に目を逸らされる。
当たり前だ、好きな人がよく知らない女と一晩中……しかもあんな告白の後にいなくなったりして、穏やかでいられるわけがない。
どうしようかと言い訳に悩んでいたら、
「外で寝落ちて、起きたら今だった」
ミカゲは堂々とそう言いきった。
そうか、そういう感じでいいのか、嘘じゃないし。
「……あんたら二人とも?」
「ああ」
ティナはそれだけで何かを察してくれたみたいだった。
「ハンジさん、スズワ、頼みがある」
「……なに」
「昨日話した文字や本について、他の人達からも話を聞きたい。一件ずつ聞いて回ってもいいんだが、なるべく時間をかけたくない。どうにか人を集めてもらえねーか」
昨日の話では調査はティナ達に任せるとなっていたが、幸か不幸かこの一晩で私たちも十分な睡眠がとれてしまった。調査には自分たちも加わろうと、ここまでの道中に話して決めていた。
「ああ、わかった。掛け合ってみよう」
「…………」
ハンジさんは快くうなずいてくれたけど、スズワさんは不機嫌そうにミカゲを睨んでいる。
それは『ここに残って』とお願いした私に頼むことなの? と目が語っていた。
◇
昼過ぎ、普段は子ども達の手習い所だという集会所に集落の皆さんが集まってくださった。
だけどあの文字や本について尋ねるも、皆さん首を横に振るばかり。
それが東の島国で爆発的に流行った本とかならワンチャンあっただろうに、そう都合よくいくはずもない。
「で、この文字はなんて書いてあるんだい?」
書き写しを手に、とてもやさしい眦のおじいさんがミカゲに尋ねた。
ここでは内容には触れずに進めてきたけど、まぁそりゃそうなる。
しかし正直に話したところで……いや正直に話すからこそ、こちらの真剣さがまったく伝わらなくなるのがこの事態の忌々しいところだ。
ただミカゲが何かを答えるより先にスズワさんが、
「〝キスしないと出られない部屋〟だって~」
と茶化すように言った。
おじいさん、つぶらな目を丸くしてぽかん。なんだか申し訳なくなった。
「みんなごめんねぇ、よくわかんないことに付き合わせて。みんな仕事があるでしょう、もう戻ってくれていいよ!」
「おい、スズワ何勝手に……」
「なによ、みんな知らないって言ってるんだからいいじゃない」
一体なんだったんだという雰囲気の中、集落の皆さんがまばらに集会所を出ていく。
「エロい話だったー!」と子ども達はうれしそうにそこら辺を走り回った。
私は膝を着いて、そんな子ども達相手ににっこり微笑む。
「エロじゃないんだよ。エロく聞こえるかもしれないけど真剣なの。何か知らない?」
「えっ、巫女様がその部屋に行ったの!?」
「チューしたの!?」
「巫女様エローい!」
「よし、解散」
もうこの子達が私達の話を真摯に聞いてくれるようなことはないだろう。何を言ったところでエロ伝道師の戯言だ。
――ただ結論として、正直に話したことは正解だった。
「キスしないと出られない部屋……」
部屋の中ほどの席に座っている、恰幅のいいおじさんがポツリとそう呟く。
冷やかしかと思ったけど、どうにもそういう雰囲気でもない。
私が「それがどうかしましたか?」と尋ねるとなんと、
「そういえばわしのじいちゃんが昔、似たような話を言っていたことがあった気がしましてなぁ……」
「——!」
まさかの回答に息を呑んだ。
「なんだそりゃあ」と周りのおじさん達が揶揄うように笑う。だけどそのおじさんは髭を撫でつつ「いやぁ」と、いたって真顔のまま。
「なんでもばあちゃんとの馴れ初めは、接吻しないと出られない部屋に閉じ込められる夢を見たのがきっかけだったとかなんとか……」
「はっはっは、じいさん変な夢を見たもんだなぁ」
「美人相手なら最高の夢だな」
本当にただの夢の話かもしれない。でも、
「その夢の話、もっと詳しく聞かせてもらえませんか?」
空振りだとしたってかまわない。どうせなんの手がかりもない状況だ、掴めそうなものはとりあえずなんでも掴む。
逸る気持ちを抑えきれずにおじさん達の前に行って机の上に手をつくと、おじさん達が若干たじろいだ。
「ええ? けど……」
「その夢に出てきたのはこの文字じゃなかったんですかね? 閉じ込められた部屋はどんな部屋でしたか? それって本当に夢だったんですか?」
「た、ただの変な夢の話だと思ってまともに聞いちゃいなかったから、詳しいことはなんにもわからんよ!」
「じゃあ……」
次の質問をする前に、「落ち着け」と思わず前のめりになってしまっていた体をミカゲに引き戻された。
「そのおじいさんに直接お話をお伺いできませんかね」
眉尻を下げてティナが問う。
「いやいや、とっくに死んでますって!」
「そうですか……」
おじさんのおじいさんだもんな、無理もない。
——でも私には、まだ完全には諦めなくてもいい可能性が残されている。
「……失礼ですが、おじいさんのご遺体はどちらに……?」
「そりゃ骨は故郷の土の下さ!」
「ではおばあさんの方は?」
「へ?」
「おじいさんと一緒にその部屋に閉じ込められた、おばあさんです」
「ば、ばあちゃんももう死んでるよ……」
ご遺体は? と同じ質問をするか、少し悩んだ。
私としてはおばあさんの体がこちらにある方がありがたい。だけどそれは伝わってはならないとわかる。ご家族からしたら、おばあさんもおじいさんと同じ場所にいてほしいものだろうから。
「……ただ、ばあちゃんが死んだのは魔王軍の侵攻の時でしてな……わしらは逃げるのに必死で、死体はもうそこに置いてくることしかできなかった」
「……すみません、辛いお話をさせてしまって」
「いや、いいんだ。……そうだ巫女様、話の代わりと言ってはなんだが、ばあちゃんのために祈ってもらえませんかね? ここには神職者がいねぇんだ」
「もちろん、私でよければ」
「ここにばあちゃんの遺髪がある。これを――……」
おじさんはそう言って、首にかけていた首飾りを私に差し出した。
筒状の飾り部分が遺髪入れになっているらしい。
「遺髪――……」
「ああ、死体は動かせなかったが、せめてもと切り取ってきたんだ」
――あった。
私が欲しかった、魂の情報だ。
「……おじさん、おばあさんのお名前は?」
「タマリです。ちなみにわしはゲンゾ」
「ゲンゾさん、タマリさんにはしっかり祈りを捧げます。タマリさんだけでなく、魔王軍の侵攻によって亡くなった東の島国のすべての方々を思って」
「おお……ありがたいことだ……」
ありがたい、ありがたいと周りの人達が私に手を合わせる。
……こんな場で交渉を切り出すのはすごく心苦しいけど……
「一つ、お願いがあります。……タマリさんをこちらに呼ばせてください」




