22 サクラの木の下で
思っていた以上に立ち会ってはいけない場面に来てしまった。
そうわかっていながら私は、踵を返すでもなく、息を潜めて手近な木の陰に隠れた。
木々の向こうにはミカゲとスズワさん。
二人のさらに奥には、小さな湖が広がっているようだ。
水面が月明りできらきらと輝く光景は幻想的で、そこに並び立つ二人の姿はなぜだか胸を切なくさせる。
「わかってるんでしょ? 刀で魔王になんて勝てるわけない。あのソウエン師匠でさえ無理だったんだから……」
風の音ぐらいしかない静かな夜に私の息遣いが響き渡ったりしないか心配で、両手で口を覆った。
「……それでも、師匠は俺にこの刀を託した。それに今は仲間もいる。魔法も神の力も……アホの勇者も揃ってる。怖いもんなしだ」
ミカゲの迷いのない言葉に少しだけ肩の力が抜けた。
〝復讐〟がミカゲにとっていい道かはわからない。わからないのに……私たちを選んでくれたことを、純粋に喜んでしまう。
「でも……!」
ただ、それでもスズワさんは食い下がった。
「でも私は……! もうミカゲと離れたくない……!」
スズワさんは涙ながらにミカゲの腕に縋りついた。
(スズワさんはやっぱり、今でもミカゲのことを——……)
思わず唾を飲んでしまって、こくりと喉が鳴った。
「スズワ、俺は——」
「ま……まだここにはしばらくいるんだよね。ちゃんと考えておいて!」
スズワさんが涙を拭いながら立ち去るのを、息を止めて見送った。
今更ながらに罪悪感がこみ上げてくる。結局最後まで最低な盗み聞きをしてしまった。
「——いつまで隠れてんだ、不届き巫女」
「ヒッ」
急に頭上から声がして、思わず小さな悲鳴を上げた。
「一体何してんだ」
「き……気づいてた……?」
「当たり前だろ。ていうかなんで俺の服着てんだ?」
「ごめんなさい……暇になってウロウロしてたら、スズワさんの声が聞こえて……。あと服は寒かったから……」
嘘でもないけど、正しくもない言い訳。
服は返そうと脱ぎかけたけど「寒いなら着とけ」と止められた。
「本当にごめん、邪魔して。……戻るね」
正直ここにいるのが気まずくて逃げ出そうとした。
だけどミカゲは私の手を引いて、
「暇なんだろ。どうせならこのまま付き合えよ」
「え……?」
戸惑う私なんて意に介さないで、湖のほとりを歩きだした。
軽く握られただけの手に神経が全集中してしまって、他のことが考えられなくなる。こういう、いちいち情けない自分が嫌だなと最近思う。
ほどなくして、ミカゲは一本の若い木の前で立ち止まった。
月明りだけではわかりづらいけれど、葉のない枝に薄紅色の花の蕾がたくさんついているのが見える。蕾はまだ硬さを保っていて、開花にはまだ少しかかりそうだ。
「この木は……? ウメの木に似ているけど、少し違うね」
私の言葉に「これはサクラだ」と、ミカゲが言った。
「故郷にあった木だ。満開になったサクラの下で酒盛りするのを、大人達は毎年楽しみにしてた」
ミカゲが思い出話を語るなんてめずらしい。
驚いて相槌に悩んでいるうちに、ミカゲはサクラの木の下に腰掛けた。
「まだ満開には程遠いか」
見上げたサクラの枝越しに、何か違うものを見ているようにも思えた。
突然魔族の侵略を受けて命からがら逃げ延びた人々が、わざわざ木を持ってきたなんて。
限られた荷物しか持てなかっただろう旅立ちで、木の苗を持ち出すことを選んだその気持ちを想像すると、胸の奥が静かに痛んだ。
「……素敵だね。咲いたところも見てみたかったな」
わかりやすく顔に出したりはしないものの、この集落へ来てからというもの、ミカゲにはたくさんの喜びや感動があっただろう。
そしてそれと同時に、胸の痛みだって。それは今の私なんかの比ではないはずだ。
でもミカゲはとても穏やかな目でサクラを見ていて、
「そうだな、いつか見よう」
なんて、どこか楽しそうに言った。
おそらくこのサクラの開花時期に私達は——少なくとも私は、ここにはいない。
『いつか見よう』は、本当にいつかの未来の約束だ。
スズワさんは『考えておいて』と言ってたよ。
それはどうする? スズワさんと約束するんじゃなくて、私でいいの?
——そう気になってしまう気持ちはたしかにあった。
だけども勝手に盗み聞いてしまったことを問い詰めるのはずるい気がする。
「……うん、そうだね」
だからそれらは全部胸の内に伏せて、それ以上は考えないことにした。
ミカゲに倣って、サクラの幹に背を預けるように腰掛ける。
ミカゲとは拳一つ分の距離を空けたものの、思ったよりも近くてちょっと後悔した。
「……眠くない?」
何の気ない雑談のつもりで話しかける。
「眠い」
「え!?」
「なんで驚くんだよ……」
「あ、だって……なんかずっと平然としてるし」
「まぁ……一人で旅してた頃なんてほとんど寝られたもんじゃなかったからな。あの頃に比べりゃ眠いは眠いがまだ限界ではねぇ」
そうか、当たり前だけどアルトやティナに出会うまではミカゲの一人旅だったんだ。
「一人で……どれぐらい旅をしてたの?」
「……わかんねー。何年だったっけな」
一人旅なんて、私には想像もつかない。私がこうして旅ができているのはみんなのおかげだから。
「ミカゲはすごいね」
「ん?」
「一人で故郷を出て、旅をして、自力で仲間をみつけて……お師匠さんの言う通り魔王討伐に向かって進んでるんだから」
本心だけどさすがに少し照れくさくて、ミカゲの方が見れない。
「……なんもすごくなんかねーよ」
「いやいや……」
「自暴自棄な時期も長かった。世の中の何もかもを憎んで、何かを傷つけたくなるような衝動をずっと抑えてた」
……今日のミカゲは少しおしゃべりだ。こっちは初めて聞く話に驚かされてばっかり。
「ミカゲ……」
「だからお前が……あの村で自分の人生を奪ってきた奴らを、赦して、救おうとした姿が……本当にすげーと思った」
一瞬なんの話かと考えて、半年前の私の村でのことかと思い至った。
すごいなんてこれまで言われたことはなかったし、ミカゲがそんな風に考えてたなんて思いもしなかった。
私がミカゲをすごいと言ったから、そのお返しのつもりなのかな?
「ありがとう、でもそんな御大層なものじゃ……」
「穢れなき巫女っつーのは、まさしくこういう奴のことを言うのかって……」
そのミカゲのセリフは徐々にしぼんでいって、
「ミカゲ? どうしたの?」
完全に続きが聞こえなくなった。
まさか……と、俯き気味な顔をそっと覗き込んでみると……
(ね……寝てる……!)




