21 眠れない夜
火に背中を向けるハンジさんからは、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
「メイ、どう思う? スズワさんの〝おまじない〟……まったくの無関係だとは思えないけど……」
ハンジさんを起こさぬよう、潜めた声でティナが言う。
「そのスズワがミカゲにかけたまじないがさぁ、今になってやっと効いたとかじゃねーのー?」
「両想いになるおまじないよ。いやらしい部屋に閉じ込めるおまじないじゃないわ。……まさか男女二人をいやらしい部屋に閉じ込めて強制的に恋心を芽生えさせる、吊り橋効果理論大暴走なおまじないだってこと? というかそれはおまじないと呼べるの?」
「そういうことだって」
「真剣に考えなさいよ」
「いやそれ以外考えらんねーって!」
「いや……スズワさんはおそらく自分にまじないをかけただろうから、スズワさんのまじないと私たちの今の状況はまったくの別物だよ」
「自分に?」
ミカゲが意外そうに言った。
「言ってたでしょう、儀式に用意したのは自分の髪や血だって。ミカゲのじゃない」
「そうか……じゃあそもそもまじないはミカゲには無関係なのね」
「うん。だから例えばまじないの実態としては、術者の髪や血液から魂の情報を得ることで達成する……魅了の術のようなものだったのかも。……スズワさんはインチキだって言ってたけど、未知の文字を読ませる魔法や内容の本格さからして、その本自体は本物の可能性が高いと思う。スズワさんは普通に失敗したんじゃないかな」
ただそれにしてもその本やおまじないについて、気になることが多いのには変わりない。
白い部屋に書かれた未知の文字と、その文字が使われた本があって。それは触れるだけで未知の文字が読めるようになる本で、中には本格的なまじないが書かれている。そんなのたとえ現状に説明がつかなくても、無関係だと考える方が難しい。
なのに、
「なんだよ、じゃあやっぱ関係なかったのかー」
アルトはそう言ってあくびをしながら仰向けにひっくり返った。諦めが早すぎる。
「ちょっと、あんたもう寝ようとしてるでしょ」
「だって眠てーよ、街からここまで急いで来たから昨日もほぼ寝てねぇし」
アルトが二度目のあくびをする。
「あんたねぇ……一睡もしてないミカゲ達の前でよくそんなこと言えるわね」
「眠いもんは眠いっつの。退魔の力で不調にならないメイはまだわかるけど、ミカゲは普通に異常だ」
「たしかに病気にはならないけど、退魔の力で睡魔が退けられるわけじゃないよ」
「ぐう」
「あ、もう寝てる……」
一度寝たアルトはなかなか起きない。ほぼ寝てないとか言っていたが、昨日のアルトはどうやっても仮眠から起きなかったから、ほとんどの工程をミカゲに負ぶわれて寝たまま進んでいる。
「このクソ勇者……」
「いいよ、どうせ私達はハンジさんの傍では寝られないし。ティナももう寝て」
「そうね……じゃあメイ達は私達と交代で仮眠を。集落での情報収集は私たちに任せて」
私は普段なら、火を見ているとすぐに眠くなるタチだ。野営時の火の番はすごく苦手。
けれどここ最近はその睡魔にも打ち勝つ緊張感が自分の中に常にある。眠りについたアルトやティナを横目に囲炉裏の火を眺めていても、寝落ちしてしまいそうな感じはない。
「朝になったらお前が寝ろ。俺はその後でいいから」
囲炉裏の中の炭を動かしながらミカゲが言う。
「そう言われると思ってた」
教会での仮眠も、私よりずっと少ないはずなのに。平時と変わらなすぎるこの感じをアルトが『異常だ』と言うのも無理はない。
しばらくはそれ以上会話もないまま、ただ二人で時が過ぎるのを待っていた。
眠気予防のためにも何か話す方がいいのかもしれないけど、寝ているみんなの隣では気が引ける。
「あの……」
散歩でも行かない? と言うつもりだった。でもその前に「走ってくる」とミカゲが立ち上がった。
要は鍛錬をしてくるということだ。
「ん? 何か言いかけたか?」
「……ううん、大丈夫。いってらっしゃい」
それからミカゲは上着を脱いで、軽装になって出ていった。
(別に……一人の夜を凌ぐぐらい、なんてことない)
もし眠くなったら私だって走りに行けばいい。ミカゲの鍛錬に付き合う——のはとてもじゃないが無理だけど。
ひとまず膝を抱えて囲炉裏の火を見守ることにした。
あと何日、一体いつまでこんな日を過ごすんだろう。
炎の揺らぎが、そんな私の不安と重なって見える。
——それから何分そうしていただろう。
ふと、随分長い時間スズワさんが戻ってこないなということに気が付いた。
何かあった——ということはまぁないだろうけど、もしかしたら私たちのせいで戻ってきづらいのかも。
もしそうだったら申し訳ないなと思って、納屋に声をかけに行くことにした。
外は真っ暗かと思ったけれど、出てみれば意外と月の光が明るく感じられた。これなら魔法やランプがなくても歩ける。というかそもそも納屋は家屋のすぐ隣だ。
すだれがついただけの入り口を、一応ノックしてみる。バサバサバサと乾いた音が、静かな夜に吸い込まれるように消える。
「スズワさーん……」
小さな声で呼びかけてみたものの返事がない。
仕方なくすだれを避けて覗いてみれば、そこには蝋燭の灯りもスズワさんの姿も何もなかった。
「……さむ」
一旦引き返して、ミカゲが置いていった上着を羽織った。
スズワさんはたぶん、ミカゲと一緒にいるんじゃないか。
なんとなくそう思って、なんとなくそれを確かめないと気が済まなくなった。
(いや、まぁ暇だし。ただの散歩だから)
勝手に自分への言い訳をしながら、月明りだけを頼りによく知らない道を歩く。
しばらく歩いたところで、そういえば弓も何も持ってないなと自分の迂闊さに気がついた。けれどすでに、収穫なしに引き返すには惜しい程度には歩いている。
(……でもこういうの、バレたらミカゲに怒られるんだよな)
意外とそういう過保護なところがある。
もう何度か聞かされたミカゲの説教を思い出し、しぶしぶ引き返しかけた。
——そこで声を聴いた。
風にそよぐ木々のざわめきに紛れるように届いた、微かなその音を追って風上に向かって進む。
そして今度ははっきり聴こえた。
「お願い、ここに残ってよ。魔王討伐なんて無謀なことはやめよう?」
スズワさんの声だ。話し相手が誰かなんてのは、見なくたってわかる。




