19 麓の集落
結局私たちはすぐに予定通りの旅路に戻ることになった。
心做しかさっきまでより足取りは重い。
「そういえば故郷の生き残りが大陸のこんなところにいたって、ミカゲは知ってたの?」
「いや、知らなかった」
ミカゲは淡々と答える。
「俺は住んでた村が魔王軍に襲われてすぐ、一人で旅に出たんだ。あれ以来故郷のことは何も……。あのとき周りで生き残ってたのも、たまたまあの日村に来てた旅の巫女ぐらいだったしな」
旅の巫女……。いるとこにはいるもんだな……。
「なんだ、じゃあその集落で知り合いに会えることもなさそうだな」
「ああ」
とりあえず集落に関して、その面では期待も何もないみたい。まぁ小さな島国の話とはいえそれなりに国民はいたんだろうし、こんな海からも遠く離れた地で知り合いに再会できる確率なんてのはほぼゼロか。
普段そんな話は聞かないけれど、出会った頃に話したミカゲは魔王討伐に相当こだわっていた。
それが復讐のためだとしたら……ミカゲが〝知り合い〟とだけ言った人たちの中には、きっととても大切な人がいたんだろう。
(……実は生きてました、ってなったらいいのに)
それから丸三日ほぼ歩き通して、聞いた話では集落まであと少し……というところで、
「お、あったぞ」
先頭を歩くアルトが言った。
木々の間を抜けた先に、作物が整然と並ぶ大きな畑が広がっている。そしてその奥には、木造の小さな家屋が建ち並んでいるのが見えた。
先日過ごした石造りの街とは随分景色が違う。異なる文化を有しているのが一目でわかった。
「例の集落みたいね」
「うん、夜までに着いてよかったね」
「歩き詰めで腹減ったな~そこに見えてる野菜、一個食ってもいいかな」
空腹からさっそくナチュラルに野菜泥棒を企むアルト。
「怒られるよ」と窘める私を無視して畑に近づいて、
「その野菜一つを育てるのに俺達がどれだけ苦労してきたかがわかるなら、食えよ。ただしその次の瞬間にはお前の首が落ちてるけどな」
……なんと木の陰から現れたおじ様に刀を突きつけられていた。
「お、オッサンやんのか?」
しかも迷惑をかけてる側のアルトがなぜか強気に応戦。
すぐさまミカゲがそんなアルトをボコし、私とティナが「すみません悪気はないんです」「お腹がすくと見境がなくて」とぺこぺこ頭を下げた。
右目に大きな傷のあるおじ様は私たちを左目だけで睨み、私たちの品定めをするように視線を動かす。
それから、ミカゲの腰元の刀に目を留めると「その刀……」と呟いた。
「どこで手に入れた?」
盗人を見るような疑い深い目だ。
「……俺の師匠から譲り受けたもんだ」
何を疑われているのかと、ミカゲも少し不機嫌な様子で答える。
するとおじ様の声が一段大きくなって、
「師匠? 名は?」
「アメノモリ・ソウエンだ」
「ソウエン……ソウエンだって……!? お、お前、まさか……カゲ坊か……!?」
目をぎょっとさせるミカゲ。「カゲ坊ぉ~~!?」と笑うアルト。
「あんたは……」
「ソウエン氏の同門のコクリノ・ハンジだ! ほらお前、よく娘のスズワを泣かせてただろう!」
「……!」
ミカゲが静かに息を呑んだ。
(えっ、知り合いが実は生きてました……って、ほんとに? うそ……!)
言葉を失っているミカゲの肩にハンジさんが手を置く。
「お前……生きてたんだな……よかった、よかった……!」
そう言って涙を堪えるハンジさんに、つられて鼻の奥がツンとした。
——だけど再会を喜べるばかりではないことは、神妙なミカゲの顔を見ていてもわかる。
この人はミカゲの過去を知る人物——つまり、一連の事件の犯人である可能性がある。
ハンジさんのこのリアクションが嘘だとかは微塵も疑いたくないのが本音だけど、警戒せざるを得ない。
「ハンジさんも……無事でよかったよ」
それでもミカゲのこの言葉はきっと本心で、
「カゲ坊~~俺もこれからそう呼ぼ~っと! かわいいなぁカゲ坊~!」
空気の読めないアルトだけがすんごく邪魔だった。
ひとしきり感動の再会を見届けた後に、ハンジさんに集落の中へ招いてもらえることになった。
危険かもしれないけど、彼を見極めるチャンスと捉えることにする。
「もうじき日も暮れる。俺の家に泊まっていけ。飯も出してやるよ」
「おお~ありがとうオッサン!」
山の斜面に沿うように連なった家屋の一つが、ハンジさんの家だった。
木と土でできた壁に、藁を敷き詰めたような屋根。家の中の床は地面から一段上がったところが板張りになっていて、靴を脱いで上がれとのことだった。
「靴を脱ぐ?」と私やティナは一瞬戸惑ったけど、ミカゲは説明されるまでもなく靴を脱いですんなりと家に上がり、藁を編んだものと思われる敷物に座っていた。彼にとってこの集落は異文化ではなく、馴染みあるものなのだろう。
家に他の人の姿はなかった。
部屋の真ん中に火を焚く場所があって(囲炉裏と言うと、あとでミカゲに教わった)、それを囲むようにしてみんなで集まった。
「スズワは集会所で子どもらに手習いを教えていてな。まぁそのうち帰ってくる」
「スズワも生きてたのか……」
「ああ、元気にしてるよ。お前に会ったらさぞ驚くだろうなぁ」
ハンジさんは楽しそうにそう言いながら、囲炉裏の中の鍋に米や水を入れて調理を始めた。
時折薪を足したり動かしたり、火の調節も欠かさない。
そのうち日が暮れ始めると、この火だけが家の中の唯一の明かりになった。
「……ねぇ、さすがに暗くないですか? いつも他の灯りはつけないの?」
少しそわそわし始めたティナがそう尋ねる。
「ないな。別にこれで十分だろう。一応油はあるが、わざわざもったいねぇ」
「魔道ランプとかは? ほんの少し魔力を込めるだけで長く使えるし、この規模の家ならランプ一つで家中すごく明るくなって便利ですよ。あと……」
呪文を唱えたティナが小さく魔法の杖を振る。
すると彼女の手にぼんやりと光る拳サイズの丸い玉が現れ、それが宙に浮かび上がって辺りを照らした。
「ほら。これだけでも結構明るい。あたしは光魔法の適性が低いからこれをたくさん作るのは無理だけど、もしこの集落に光魔法の適性のある人がいれば……」
「……ああ、たしかに明るいな。これなら夜でもできることが増えていいんだろう」
「そうでしょう? よかったら一宿一飯の恩義に――」
「だが、消してくれ」
「えっ」
ハンジさんは無表情で鍋の中をかき混ぜている。
ティナはよかれと思って、この魔法を教えるつもりだったのかもしれない。ハンジさんも肯定的なように思えたのに、どうして……。
ちら、とミカゲに目配せする。目が合うと面倒くさそうにため息をつかれた。
「俺らの国は、昔から魔法に馴染みがなかったんだ」
視線を灰に落としたまま、ミカゲは続ける。
「神職者の扱う加護の力や、簡単なまじない程度の呪術は身近にもあったが、魔法というとまだまだ絵空事みたいな扱いで……」
「魔法が絵空事ぉ? どんだけ遅れてたんだよ、お前の故郷って」
「仕方ねーだろ、小せぇ島国の話だぞ。……でもまぁ、そうだな。古い考えの人間が多かったのかもしれねぇ。……だから信じてたんだ」
「信じてたって、何を?」
そう訊くとミカゲはおもむろに、脇に置いていた刀を手に取った。
「国の外の人間でも、魔物でも、魔族でも……刀さえあれば勝てるって」
……悲惨だ。そんな国に魔王軍が侵攻してきただなんて。
「実際は刃が届くことすらなかったな。ソウエン氏も……カゲ坊も、刀の腕は間違いなかったが、刃が届かない奴にはどうしようもねぇ」
ハンジさんの声には無力感が漂っていた。
「魔法を信じなかった人間が、あっという間に魔法で国を追われる目にあったんだ。魔法が便利で、脅威で、受け入れるべきものだってのはもうみんな気づいちゃいるが……まだまだ忌避感の方が強い者も多い。だからここで魔法は使ってくれるな」
「……わかったわ、ごめんなさい」
ぼんやり浮かんでいた玉の灯りが静かに消える。再び家の中は炎のオレンジ色だけで染まった。
「そういやカゲ坊……お前、ソウエン氏の最期には立ち会ったのか」
「いや……俺が師匠の家に行った時には、もう……師匠は自ら命を絶った後だった」
師匠さん、自殺だったんだ……。
そんなに強い人なのにそこまで追い詰められてしまうのかと、まだ知らない魔王軍の脅威というものに背筋が冷える。
師匠さんの最期についてはハンジさんも知ってはいたのか、「そうか」と一言言っただけだった。
「…………」
沈黙が落ちる。
重たい空気の中申し訳ないけど、私は意を決して「あのう……」と口を開いた。
「突然ですがハンジさん、この字に心当たりってありませんか? そのソウエンさんのおうちにも、この字で書かれた本があったらしいんですけど……」
あのパネルの字をメモした紙を胸元から出し、ハンジさんに見せる。これで一度、彼の反応を見てみようと思った。
「さあ、知らねーなぁ……。カゲ坊はソウエン氏の家にもいつも入り浸ってたが、俺は普通に道場に通ってただけだしな」
「そうですか……」
嘘をついている感じはしない。
もちろんそんなのを確実に見抜く力があるわけではないけれど……なんとなくホッとした。
「あとでスズワにも聞いてみろ。……しかしあいつ、今日はやけに遅い――」
「お父さんどうしたの!? さっき家の中がやたら明るくなってるのが外から見えたけど……!」
ガタタッと立て付けの悪い戸が開いて、件のスズワさんと思われる人が家に入ってきた。
黒い髪を肩の上で切りそろえた、快活そうな女性だ。
私とティナはぺこりと頭を下げた。
「おじゃましてます」
「灯りはあたしの魔法です、驚かせちゃってごめんね」
「お~スズワ、おかえり。早く飯にしようぜ」
アルトだけが早くもこの家の住人のような顔をしている。
「だ……だれ!? 居直り強盗!? う、うちにはお金も食べ物も大してないわよ!」
スズワさんは玄関横の箒を手に取って、柄を私たちに向けて構えた。ミカゲがするのと同じ構えだ。
この子も刀を振っていたのかぁ、なんて考えているとミカゲが、
「落ち着け、スズワ」
と。心なしかいつもよりやさしい声で言った。
「んなもん振り回しても無駄だぞ。お前、俺に勝てたことなんかねーんだから」
「は!? 誰がなんの話!?」
「お前の昔の話だ。……弱ぇくせに一丁前に、俺に負かされる度に泣いてたよな」
「……え……?」
固まるスズワさんに、ミカゲは珍しく素直な笑顔で笑いかけた。
「今は子どもに手習い教えてんだって? いいじゃねぇか、刀よりそっちの方がよっぽど似合ってら」
――カラン。
スズワさんが箒を取り落とす。
「もしかして……ミ……ミカゲ……?」
「おう、久しぶりだな」
「本当に……? い、生きてたの……?」
ああ、とミカゲが答える。
そしたらフラフラと近づいてきたスズワさんがじっとミカゲの顔を眺めて、
「ミカゲ……! 会いたかった……!」
涙ぐむ声でそう言いながら、彼の胸の中に飛び込んだ。




