17 旅立ち
その場に弓を捨て、アルトを正面から見据える。
彼は威嚇するように姿勢を低くし、唸り、それから光の速さで私に飛び掛かってきた。
「逃げろ!!」
ミカゲの叫びと同時に、伸びたアルトの爪が私の体に突き刺さる。
押し倒されるように背中から倒れ、さらに首筋には獣のような牙が深く食い込んだ。
「巫女!!」
痛い。こんなに痛いのは生まれて初めて。
意識が飛びそうになる中、かろうじて動く右手でアルトの頭に触れた。
不思議とピタリと動きを止めるアルト。
「遅くなって……ごめんね……」
考えるまでもなく、無意識のうちに治癒の祝詞が溢れ出た。
さっきは一文字足りとも思い出せなかったそれを、ゆっくりと噛み締めて唱える。
唱え終えた頃には空に大きな黒い塊が浮かんでいて、気を失ったアルトが私の胸の上にぐったりと倒れていた。
「アルト、巫女様、大丈夫なの!?」
いつの間にかそばにいたクリスティナがアルトを抱え、私のことはミカゲが抱き起こしてくれた。
「巫女、お前……」
「まだ終わってないよ……アルトを連れて私から離れて……」
「……クリスティナ、お前はアルトと一緒に向こうへ」
「ミカゲも……」
「俺はここでいい」
「……どうなっても……知らないから……」
次の器を求めるように蠢く塊に手を伸ばす。
「おいで」
指先を伝い落ちるように、呪いは徐々に私の腕に染み込んだ。
「うっ……」
腕が黒く変色するほどに苦痛に顔を歪める私の肩を、ミカゲが強く抱きしめる。
言葉はないけれど「大丈夫だ」と励まされている気がした。
それからじんわりと胸に丸い熱が広がって、自分の中にたしかに浄化の力が満ちているのを感じた。
一時は真っ黒だった腕が少しずつ元の色に戻っていく。
「上手く……いったのか……」
「そうみたい……」
全身の矢傷や爪痕が確実に癒えてきているのもわかる。
疲労は激しいものの、かろうじて起き上がることはできた。
「おい、まだ動くな、大怪我だぞ!」
「いや、もう大丈夫」
まだ完全に治ってはいないけど、一応出血はすべて止まっていた。
目を丸くするミカゲに小さく微笑みかける。
「あなたの怪我もすぐ治すよ」
「あ、ああ……」
「巫女様ー! 無事でよかったぁ~!」
「クリスティナ……アルトは?」
「大丈夫、気を失ってるだけだわ」
クリスティナの言葉にほっと息をつく。
木の根元に横たわらされたアルトはクリスティナの外套を毛布代わりに、すやすやと健やかな寝息を立てていた。
これで万事解決だと思った——そこで、
「巫女様の腕が黒くなった」「呪いを取り込まれた」「あのようなことをして大丈夫なのか」
どこかで身を潜めて様子を伺っていた村人たちがわらわらと姿を現し、遠巻きに私たちを眺めては怪訝な顔で会議を始めた。
「穢れたのではないか?」「あの巫女様はもうダメかの」
「なんなのこの人たち……!」
「テメーら……こいつが大事なんだろうが! まずは心配すんのが筋だろう!」
早くも私に見切りをつけ始めていた村人たちにミカゲが怒鳴る。
それに対して村人たちは心外だと言わんばかりに、
「よそ者が何を」
「心配しているに決まっている」
「巫女様」
「これからも問題なく務めは果たせそうですかな?」
実に心配そうな顔でそう言った。
「こいつら……!」
ミカゲの握った拳がわなわなと震える。「斬っていいか」と冗談には聞こえない様子で言われ、「だめだよ」と冷静に答えた。
私だって怒りたいのに、私より怒っている人がいるとなんだか逆に落ち着いてしまう。
「皆の者ぉ! し、失礼をも……申すなぁっ……!」
どこまで離れて身を隠していたのか、遅れておばばが息を切らしながら走ってきた。
「お……おばばは見たぞ! 呪いはメイ様の体の内ですべて浄化された! 巫女を続けるのになんら支障があるはずもない! そうですな!?」
私に死ぬまで務めを果たさせたいおばばは、それはもう必死で私をかばった。
それもそうだろう。今この村には私とおばば以外に金色の瞳の女子はいない。私が巫女でなくなれば、次の巫女はおそらくまたおばばになる。
おばばはこの地獄に戻りたくないのだ。だから私が死ぬまで……いや、せめて自分が死ぬまでは、私が巫女であらねば困るのだろう。
——気持ちは痛いほどによくわかる。
だから素直に、おばばの言う通りだと言うつもりだった。
でもその前にミカゲが、
「いや、なんか右腕が疼くっつってるぞ」
「えっ!?」
「なに……!?」
頭の後ろをぼりぼりと搔きながら、しれっと適当をぶっこいた。
私とおばばは目を剥き、民衆は会議を再開した。
「やはりメイ様はもう無理だと」「しかし他に金色の目の女はおらん」「ばば様にもう一度巫女をやってもらうしかなかろうて」「うむ、ではばば様」
おばばの顔が絶望に染まる。
「いや……いやじゃ! わしはいやじゃ! わしはもう巫女はやらん!」
「何をおっしゃるばば様、村のためですぞ。……おっと、ではもう会話はこのぐらいに」
「やめとくれ! 無理じゃ、わしにはもう耐えられん! そ、そうだ聞いとくれ、人と関わることで巫女が穢れるというのは迷信なんじゃ! 根拠がない! 守る必要などない掟じゃ! だから、だから……!」
何かと村人たちの会議は続いていたけれど、その輪の中で取り乱して暴れるおばばはまるで、そこに存在しないかのように扱われていた。
「おばば……」
おばばのことは普通に大嫌いだけど放っておけなかった。
けれど近づこうとした私をやんわりとミカゲが引き留める。
「助ける必要なんかねぇだろ」
「ミカゲ……ありがとう。私のために怒ってくれて。でもいいの、どうせここで人として生きる道なんて考えられないし、それなら私が巫女のままで……」
「なら俺達と一緒に来い」
——え?
「あら、いいわねそれ」
「この村でないと生きられねー……なんてこともねぇんだろ」
こともなげに告げられたそのセリフを、受け止めるのに時間がかかった。
一緒に来い? 私が? 魔王討伐を目指す勇者の旅に?
(村の外の世界に——?)
考えたこともなかった。
どんなに辛くても、巫女の責務を果たすのは私にとって当たり前のことで。
それに外の世界のことなんて、本や、ほんの少し聞きかじったようなことしか知らなくて。
出ようとも、出られるとも思わなかった。
(外へ出ても……いいんだ)
初めてその選択肢を与えられて、私は、私は……
「行く! 連れてって!」
微塵も悩むことなくそう答えた。
満足そうに笑うミカゲやクリスティナを見て、私にも思わず笑みが浮かぶ。
途端に未来が輝きだして、実際に踊り出したいぐらいに心が躍って——
——「逃げるのか」と問う、おばばの荒んだ目に背筋が凍った。
このまま旅立てば、私だけは救われるかもしれない。
でもこの村は何一つ変わらず、真偽も不確かな掟に縛られ続けるだろう。
(……そうか、ある意味これも呪いか)
終わりなき呪いからは、それを他の器へ移すことでしか逃れられない。
だからおばばは私に移した。私はおばばに返した。それはまたいつか、金色の瞳で生まれた悲運な幼子に移される。
理不尽な掟がある限り、この連鎖は終わらない。
こんなのは断じて、信仰などではない。
(ずっと考えてた。この苦しみを次の世代へ引き継がせずに済む方法)
今ならそれが、わかるかもしれない。
「巫女様、どうかしたの?」
「……ねぇクリスティナ。こういうことってできたりする……?」
先程クリスティナが水を操っていたのを思い出して、そこから考えた構想を耳打ちで伝える。
「……うん、できると思うわ」
ふむふむと話を聞き、彼女はあっさり頷いた。
「じゃあお願い。適当に私に合わせて」
「いいわ、任せて」
「何をするんだ?」
耳打ちを聞かされていないミカゲが疑問を呈す。
私は笑って答えた。
「この村にかかった呪いを解くの」
「!」
すっかり傷は癒えた。イチかバチかの案ではあるけれど、なぜだか上手くいくような予感はしていて気持ちが軽い。
これが独りではないということか。
一通り会議を終えたのか、解散し始める村人たち。それに駆け寄って「みんなー!」と声をかければ、特にそこまで興味はなさそうな視線がこちらを振り返った。
「ん?」「なんだ?」
「ちょっとよく考えて! もう一度巫女をやれるほど、おばばは清らかかー!?」
おばばが何とも言えない呻きを上げた。
「私が巫女になってからもう何年経ってると思ってるの? その間好き勝手暮らしてたおばばなんて、とっくに穢れてるに決まってるでしょう!」
意表を突きすぎたのか、しばし場は静まり返っていた。
けれど一人が「たしかに」と呟けば、続々と賛同の声が続き始める。
「酒も煙草もするし」「口は悪いし」「入れ歯は臭いし」「何より年寄りじゃ。乙女とは呼べん」
思った以上の言いたい放題。
それまでぽっかり口を開けて固まっていたおばばだが、遅れてようやく流れを掴むと、
「そ、そうじゃ! わしは穢れておる! 酒は毎晩飲むし、入れ歯はちっとも洗っとらん! 巫女にはふさわしくないわい!」
嬉々として自らの穢れっぷりを叫ぶようになった。
入れ歯を洗わないのは人としてどうかと思うが、雰囲気作りについてはおばばにしては上出来だ。
おばばの言葉で皆の中の「おばばではダメなのでは」の気持ちが固まったみたいだった。
けれどそれではもちろん、
「しかし、それでは巫女がいなくなってしまう……」
そういう問題が出てきてしまう。
神に依存するこの人たちは、おそらく空白の席に耐えられない。何かと理由をつけて、金色でない瞳の女子が祀り上げられてしまう可能性もある。
——だから私は、この村で最後の神使の仕事をすることにした。
「では私に残された巫女の力を振り絞って、この事態をどうすべきか龍神様にお聞きしましょう!」
仰々しく両手を広げる私に歓声が沸く。
「おお!」「さすがはメイ様だ」「そんなことが」「ありがたやありがたや……」
「…………」
皆が私に手まで合わせだす中、おばばだけは怪訝な顔で私を見ていた。
それもそうだ。元巫女のおばばは知っている。巫女に神様の声を聞く力なんてないことを。
◇
気づけばもう日が落ちようとしている。
怒涛の一日だったなと、早朝立っていた祭壇に戻ってきて改めて思う。
——シャン、シャン、シャン……
村人が一堂に会して祈りを捧げる厳かな雰囲気の中、私は祭壇の前に立って祭具の鈴を鳴らし、元は神の声を聞くためにあったという降霊の祝詞を唱える。
そして祝詞を一巡、二巡し、密かにクリスティナに合図を送った。
それから少しして……盃の中の水が振動を始め、盃をカタカタと揺らし始めた。
さらに水は次第にその体積を増して盃から溢れ、しとどに祭壇を濡らす。
それを見て、後ろに控える村人たちは恐々と感嘆の声を漏らしだした。
「参られた」「参られたのか」「ありがたや、ありがたや」
「メイ様、龍神様はなんと?」
「まぁまだ待ちなさい」
急かす村人を窘めてすぐ、
——ドンッ
溢れ出た水が急激にまたその体積を増したかと思うと、途端に滝が逆流するかのように立ち昇った。
祭具もサカツキの葉も何もかもがその勢いに吹き飛び、水は大粒の雨となって村全体に降り注ぐ。
「うわあぁ!」
「龍神様の御前です! 静まりなさい!」
途端に逃げ出しかけた村人達を制すると、ハッとしたようにまた必死で手を合わせ始めた。
そそり立つ水の柱は生き物のようにうねり、その姿を変える。
そして、
「りゅ……龍神様だ……」
巨大な水の龍が姿を現した。
畏怖の念を込めた目で村人達はそれを仰ぎ見る。膝をついて涙を流す者もいた。
それが……クリスティナの魔法によって作られた、ただの動く水の塊だなんてことに気付いている人間は一人もいなかった。
私は彼らに向き直って声を張り上げた。
「龍神様はおっしゃっています! もうこの村に巫女は不要だと!」
その言葉に今日一番のどよめきが起きる。
「なんと……!」「そんな……!」「龍神様は、我々をお見捨てに……!?」
場は悲壮感に包まれた。
「ちがーう!」
私はさらに声を上げた。
「近いうち……魔王は勇者によって倒される! そうすれば大陸を覆う瘴気は晴れ、魔物たちは力を失い、世界に憂いはなくなるだろう……と、龍神様は予見しています!」
「おお……」「そんなことが……!」
ありえないほどに手のひらに汗をかいている。
こんな大きな声で適当なことを並べ立てて、この後私にはどんな罰が下ることだろう。
そう不安になるぐらいには、一応私だって信心深い。
だけど、そうであってほしい。
「憂いなき世には神使など不要! 神の声に従うのではなく……自らの意思に、選択に、誇りを持つべき時代がやってきます!」
そういう人たちになってほしい。
「しかし! たとえ巫女がいなくとも……龍神様のご加護は未来永劫、この地に残り続けます!」
——そう、これらはただの、私の願いだ。
「以上!」
歓声を上げる人、深く頭を垂れる人、泣き崩れる人……それらに再び背を向けて、私は龍の形をした水の前で深く腰を折った。
「龍神様……ありがとうございました!」
一度龍は頷くように首を動かして、それから天へと昇っていった。
そして二度目の雨となって、沸き立つ群衆に迎え入れられたのだった。
◇
「村の結界を張り直したよ。六方に祭具を埋め込んで強化したから、私がいなくても数年は保つと思う」
騒動のあった翌日の昼過ぎ。そうおばばに伝えると、すっかり覇気をなくして老いた目が私を見上げた。
「……行くのか」
「行くよ。……龍神様を騙って嘘を言ったりしたら大変だもの。ちゃんと本当にしなきゃ」
それは村のためというより私のためだ。けれどおばばは村を覆う結界を見つめ、
「守る価値などない村だと思わんか」
吐き捨てるように言った。
村のためだ皆のためだとずっと私に厳しい務めを強いてきたくせに、よく言う。
ただまぁそんなことは、
「わからない」
恨んでいないと言えば噓になる。
「でもこの村は、ちゃんとこれから変わっていけると思う。……みんな根が極端に素直だし」
そう言って笑えば、めずらしくおばばも「それはそうじゃな」と穏やかに笑った。
「……じゃあそろそろ行くね」
「ああ……」
今までありがとうとか、そんなことを言う気はもちろんない。
さっさと背を向けて歩きだしたらもう、振り返る気は微塵も湧かない。
でも、
「……お前様の旅路に、神のご加護がありますように」
とても小さな声だった。けど、確かに聞こえたそのときは、どんな顔で言っているのかと振り返ってやりたくなった。
だけど振り返らずに走り出す。結界の外へ、仲間の方へ。
「みんなお待たせ!」
——私のいなくなった村がどうなったかは、今も一切知らない。
だけどいつだって願っている。
神のご加護がありますように。




