16 穢れ
「巫女様……!」
どこかで誰かが息を呑んだ音がした。
しかし今のところ私には何の異変もない。
加護の力は私に対するあらゆる魔を退ける。そのせいで呪いは私にまとわりつきはするものの、中に入ってはこられないみたいだった。
だから私は心の中で唱えた。
——いま私は、この呪いを受け入れます。
すると途端に、両腕がびりびりと痺れ出した。
「うっ……!」
飲み込むようにして呪いが腕を登ってくる。
そして枝葉を広げた木々のように育ったそれが、私を覆い尽くさんばかりに降りかかろうとした。
「巫女!」
ミカゲが叫ぶ。
その瞬間、光を纏った矢が私の腕を射抜いた。
「あっ!」
衝撃で集中を切らしてしまった。
治癒の術が途切れ、私を包み込む寸前だった水がすべてアルトの中に戻ってしまう。
「あ゛あああ!」
反動でアルトが一際苦しそうな声を上げ、びくびくと体を震わせた。
「アルト!」
クリスティナがアルトに駆け寄る。
私は矢が飛んできた先――私の弓を手に立つおばばを睨みつけた。
「なんてことを……!」
刺さった矢を引き抜いて地面に叩きつける。
おばばは顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「愚か者! お前の力は村のためにあるのじゃ! そのような他所者のためではない!」
「いやだ、私は彼を助ける!」
「ふっ……だまされるものか……助けるなどとはおこがましい! そのまま呪いに食い殺されて、自分だけが救われるつもりでおったろう!」
「! ちが……」
「ならん! ならんぞ! お前は死ぬまでここで巫女の務めを果たすのじゃ! 逃れられると思うな……!」
おばばが二本目の矢を構えた。
アルトを射る気だ。おばばや私が放つ破魔の矢には浄化の力がある。体中がほとんど呪いと化した今のアルトがまともにそれを受ければ、呪いの浄化と共に死んでしまうだろう。
さらには目の端でミカゲが刀を抜いたのが見えた。
こっちはこっちでおばばを殺る気かもしれない。
「おばば、待っ――!」
「ぐあああああああああああ!」
耳を劈くようなアルトの叫びが響き渡った。
まるで魔物の咆哮のようなそれに驚いて、みんなが身を竦める。
そんな中、弾かれるようにおばばが矢を放った。
「だめ——!」
——バシン!
その矢をなんと、アルトが素手で薙ぎ払った。
「な……!?」
つい先程までぐったりと横たわっていたはずなのに。
ふらふらと起き上がった彼は目を真っ赤に充血させて、低い唸り声を上げながら辺りを見回した。
「あ、アルトリウス……おまえ」
「があああああああああ!」
「きゃあっ! アルト、何してんの!?」
正気を失っている様子の彼は、すぐそばにいたクリスティナに襲いかかり始めた。
顔の紋様はさらに禍々しいものに形を変え、溢れ出た瘴気が全身から立ち上っている。
「うわああああ!」「みんな逃げろ!」「こいつは魔物だ!」「ばば様も早くこちらへ!」
蜘蛛の子を散らすようにして村人達は逃げだした。
逃げ出す最中、人に抱えられたおばばが私に弓を投げつける。
「メイ! 今すぐその者を殺せ!」
そうして私は当然のように置き去りにされた。
「アルトリウス、しっかりしろ! 呪いなんかに呑まれるな!」
アルトとクリスティナの間にミカゲが割って入り、鞘に入ったままの剣でアルトの体を押し返した。
「アルトリウス!」
ミカゲの呼びかけにアルトは答えない。
苦し気に声を漏らしながら、何度もミカゲに腕を振り上げる。
私では近づくことすらできず、このままでは解呪どころではない。
「くっ……!」
そのうちアルトの力に押し負けたミカゲの体が大きく後ろに流れた。
そこへさらにアルトの拳が迫る。ミカゲはかろうじてそれを剣の腹で受け止めたものの、勢いのまま地面に叩きつけられた。
「ミカゲ!」
思わず叫んだ私に、アルトの血走った目が向けられた。
(あ……)
拾った弓に矢を番える暇もない。ひとっ飛びで目の前に降り立った少年に、そのまま殴られる覚悟をした。
けれどその後ドンッと体にぶつかったのは、想像したのとは別の衝撃だった。
それから何かに包まれているのを感じながら、視界が一転二転。
「くそっ……おい、大丈夫か?」
アルトの攻撃は当たらなかった。ミカゲに助けられたのだ。
抱きしめられながら、地面をごろごろと転がって。
「ひゃあ……!」
気づいた瞬間から慌てて距離をとった。
だけど激しい動悸に呼吸さえままならない。全身に、感じたことのない温もりがまだへばりついている。
「大丈夫そうだな……ぐっ……」
「! 怪我、したの……?」
「大したことはねぇ」
立ち上がりつつ肩を押さえるミカゲ。
すぐにアルトの追撃が来るかと思われたが「二人とも大丈夫!?」と、クリスティナが水魔法と思しきものをぶっ放しているおかげで多少の時間は稼げそうだった。
「い、今のうちに治すよ」
「いいのか?」
「うん、一度どこかに隠れよう」
それから二人で家の陰に身を潜めて座り込んだ。
肩の負傷では剣を握るのもままならないだろう。そう思って急いでミカゲの肩に手を翳した。
けれど彼の体を見ると、
(この腕がさっき、私を……)
どう考えてもそんな場合じゃないだろうという邪念に囚われ、祝詞の口上がどこかに吹き飛んだ。
先に口を開いてみたところで、最初の一文字すら思い出せない。
「……だ、ダメだ……」
「どうした、お前もどっか怪我でも……」
「これが穢れだ」
「は?」
「もう……あなたたちの勇者のことは助けられない。ごめんなさい……」
「おい、急に一体なんなんだ……?」
「本当にごめん……」
掟は正しかったのかもしれない。おばばも、村の人も。
「私……人に触れたことも触れられたこともないの。人に近づくと穢れが移ると言われているから」
「……!」
「でも今日……ミカゲが私に触れて、私はそれを……あったかいなと思って……」
しゃべりながら、勝手に涙が零れ始めた。
——わかってしまった。
会話や接触それそのものが問題なわけではない。
そういった人との関わりや積み重ねが最終的に、巫女にとって不要な感情……つまり穢れになるのだ。
「もう……戻りたくなくなってしまった……! 巫女に、あの冷たい世界に!」
巫女としてここで彼らを助ければ、明日には彼らと別れ、私はまたあの日常に戻るだろう。
誰とも交わることのない、独りきりの日常に。
けれどこのまま……穢れてしまった私でいれば、
(私は巫女でなくなる。ここで、人として生きていける)
合わない視線。一方通行の会話。私がいないとダメだと言いつつ、皆私を避けていく。
悪態をつきながらでも一応そんな世界に耐えられていたのは、それ以外を知らなかったからだ。
だけどもう知ってしまった。
会話の喜び。人の手の温もり。
知らなかった頃には戻れない。
「ごめんなさ——」
「わかった、戻る必要はねぇ」
「っ……!」
罵られると思った。今更勝手なことを恨まれると思った。
けれどミカゲはダメ押しとばかりに、私の頭をやさしく胸に抱き寄せた。
「あとは俺達でなんとかする。お前は俺のせいで穢れちまった。それでいい」
「あ……ごめん……ごめんなさい……!」
「こっちこそ巻きこんで悪かった」
ぼろぼろと落ちる涙が次々と彼の服に染み込んだ。
助けたいと思った気持ちに嘘はなかった。
この男がそこまで信頼する人間が、どんな人間か見てみたかった。何より……このやさしい男の願いを、叶えてあげたかった。
(だけどもう、独りは怖い)
もともと死に救いを求めるほど弱っていた心だ。恐怖を乗り越える余力がない。
「ただな……」
体が離れると、ミカゲはまっすぐに私を見つめた。
「ここでただの人に戻ったとして、お前はそれで生きていけんのか」
「え……」
「自分を人と扱わなかったやつらを赦して、同じ立場で笑えるか?」
「——!」
呼吸が止まる。
すべてを水に流せるのかと問われているのだ。
二十年の孤独を、傷を、すべてなかったことにして……
『お前は死ぬまでここで巫女の務めを果たすのじゃ! 逃れられると思うな……!』
何事もなかったかのように、彼らと笑い合う……?
「……お前がそれでいいならいいんだがな」
お前はこのままここに隠れてろと私に告げて、ミカゲは一人で走っていった。
水浸しで四つん這いになっているアルトに向かって、ミカゲが鞘に入ったままの剣を振りぬく。
アルトはそれを躱して木の上に飛び乗った。
アルトの動きがどんどん人外じみてきている。呪いの進行によって魔物化しているようだ。
「巫女様は!?」
「だめだ、俺達でどうにかする!」
「っ! ……わかった!」
クリスティナはミカゲの言葉をどう捉えただろう。
何しろミカゲにとっても彼女にとっても私は、仲間を見殺しにする悪魔のような女だ。
一生恨まれたって、呪われたって仕方がない。
「くそ、動きが速すぎて捕まえられねぇ……! いい加減にしろアルトリウス! さっさと正気に戻れ!」
「がああああああああ!」
「だめ……! もうアルトの意識はどこにもない! これ以上この村に被害を出さないためにも、アルトのことはもう……!」
クリスティナはすでに、アルトの命を諦めようとしていた。
「アルトリウス……!」
悔しそうに歯を食いしばるミカゲも……剣の鞘を捨てた。
私のせいで。私が穢れたばっかりに、一人の勇者が死んでしまう。勇者の仲間の手が、勇者の血に染まってしまう。
これから一生その罪を背負って生きていくんだ。
ただ私が人として生きるために。田畑を耕し、家族を作って。今の今まで私を道具のようにしか扱ってこなかった、あいつらを赦して——……
(……いや)
静かに弓に矢を番える。
そして今まさにアルトの首筋に振り下ろされようとしていたミカゲの剣先を、放った矢で弾き飛ばした。
「なに……!?」
「巫女様!?」
あいつらを赦せるかって……そんなわけがない。
見捨てた命に苛まれながら心を殺して生きるその生は、それほど価値のあるものか。
いや、ないだろ。
ミカゲの言う通り、私はここでは生きていけない。
どんな私にだって、最初からこの村に居場所なんかなかった。
それなら、やっぱりせめて——
「巫女として勇者を助ける」




