14 孤独な巫女
私が捨ててきた村のことを、もう何度も夢に見ている。
旅に出てよかった、ティナに、アルトに、ミカゲに出会えてよかった。
そう思うたびに、まるで戒めのようにあの日のことが浮かんでくるのだ。
きっとそこにあるのは、少しの罪悪感。
私が——巫女がそこにいなくとも、みんなが変わらず幸せでありますように。みんなに等しく龍神様のご加護がありますように。そう、今だって願ってやまない。
◆
——夢の中の私は、いつだって気が立っている。
「メイ様、本日の祈りの時間にございます」
「わかってるってば」
巫女の私には誰もまともに口をきかない。
ただ唯一私にもうるさいのが、先代巫女にあたるおばば。名前は知らない。
すっかりやせ細って腰の曲がった白髪の老婆は、いかにも弱弱しく見える。しかし実際のところは、鏡の前で髪を結う私を急かすためにゴンゴンゴンゴンと杖で床を突き続けるような性悪ババアである。
「メイ様」
「うるさい、先行ってて」
「巫女たるもの日の出とともに起き、誰よりも先に祭壇へ参られなさいと何度……」
「もういいからさっさと行って。毎朝ぐちぐちぐちぐち、年寄りの暇つぶしに私を巻き込まないでよ」
「巫女様! わしには先代巫女として、メイ様を立派な巫女に育て上げる責任が——」
「あーはいはい老い先短い中ご苦労なことで」
〝巫女はかくあるべき〟と、常に私に強いているのはこの人だ。反りが合わなくて当たり前で、口答えから罵り合いになるのは日常茶飯事。
最終的におばばは入れ歯が飛び出る勢いで怒り狂い、「お早くなさいませ!」と部屋を出ていく。
その背中に散々歯を剥いた後、再び鏡に向き直った。
髪を結うのは時間がかかる。なにせ生まれてからこれまで一度も切ったことのない髪は、お尻を隠せるぐらい長くなってしまった。髪を梳くだけで一苦労、結い上げるので二苦労だ。
髪を切るのがだめなわけじゃない。ただ私の髪に触れられる人なんかここにはいないから自分で切るしかないんだけど、失敗したら嫌だなと思って。
「……よし」
最後にもう一度しっかり髪紐を縛って、椅子から立ち上がった。
祭具は既に祭壇に置いてあるので手ぶらで出ていく。
私の家と祭壇は目と鼻の先。
既に村人が何人も集まって、祭壇の前で膝をついているのが見える。
そんな彼らの前で祝詞を唱えるのが、私の毎日の仕事の一つだ。
今日も村が平穏無事でありますように。明日も畑が実りますように。
——実際に神様に届いているのかはさっぱりわからない、そんな祈りをするために毎日眠い目をこすって祭壇へ向かう。
途中、村の子ども達が楽しそうな声を上げながら、歩く私を抜かして祭壇へ駆けていった。
朝から元気だなと眺めていれば……一人の子どもがわざわざ私を振り返って、走りながらぺこりと頭を下げた。
前を見ないと危ないよ。……そう声をかける間もなく、案の定その子は目の前で転んだ。
「いたっ!」
あーあ。
触れられないので、抱き起こすこともできない。
私は歩いて近づいて、その子が自力で起き上がるのを待った。
「うう……」
「お、泣いてないじゃん。えらいぞ」
四つか五つぐらいのその子どもは、近くに私がいたのに驚いたらしく、私の声を聞いた途端ぎょっと目を剥いた。
「み、みこさ――」
ま。を言いかけてから、子どもは慌てて自らの手で口を塞いだ。ふふ、こんな幼子にも村の教育が行き届いていてうんざりだわ。
「大丈夫? 怪我はない?」
私の言葉に子どもは一瞬固まってから、ちろりと視線を落とした。見れば、膝小僧を擦りむいている。少し血が滲んでいる程度で、大した傷ではないけれど……
「じっとしてて」
すぐ終わるし、ちゃちゃっと治してあげることにした。
治癒の祝詞を唱え、子どもの膝に手をかざす。
すると傷口からじわりと、血ではない赤い水が浮かび上がって、膝を伝ってぽろりと地面に落ちた。
「はい、治ったよ」
私の退魔の力によって、傷という魔が子どもの体から押し流された。
もうとっくに痛みなんてないだろう。きれいになった膝を見て、子どもは目を輝かせた。けれど、
「わあ……! あ、ありが――むぐっ」
お礼を言いかけたその口を、今度は血相変えて飛んできた大人に塞がれて。子どもはそそくさと祭壇の前まで抱きかかえられていった。
(……別に、お礼を言われるためにやったわけじゃないけどさ)
ああすることで〝穢れ〟を避けられるなんて、巫女ってのは不思議なものだね。
気持ちとしては逆にじわじわと、汚い何かが溜まっていく気がしているのに。
「巫女様」
鈴を連ねた祭具を持ったおばばが、痺れを切らしたように私を呼ぶ。
「はいはい」と投げやりな返事をして向かえば、そんな私に恭しく頭を垂れる村人たち。
だれひとり挨拶もなければ目も合わせない。
そうやって畏まらなければならないほど、私は大層な人間だろうか。
(……いや、彼らにとって、私は人ではないから)
たぶん私はこの先一生、人が人らしくあるような生は歩めまい。
みんなは私を通して、神様の姿を見ているから。
私は神の代理でなくてはならない。ただの人であってはならない。
祭具を受け取り、祭壇の前に立つ。
石の祭壇の真ん中には水を張った盃のような祭具があり、その両脇にはサカツキの葉が供えられている。小さな村の祭壇なんてその程度のものだ。
加護を授かる儀式のときはこの上に寝かされて、一晩中おばばの祈祷を聞かされた。冬だったから石の上は寒かったな。齢三つでよく耐え抜いた。
おばばも頭の上に雪を積もらせながら鬼の形相で祈ってて……バカみたいだった。
思えば、彼女も早く巫女の座を譲りたくて必死だったんだろう。
この村で神使になる素質があるとされているのは、金色の瞳の女子だけ。自分の次にやっと生まれたそれを、早く巫女にしたくて仕方なかったんだ。
祈祷をしながら、私の斜め後ろに控えて手を合わせるおばばを盗み見る。
――唯一、巫女の苦しみを知る人なのに。
彼女は私に、自分と同じ苦しみを強いてくる。もしかしたらあまりにも長い苦しみが、彼女をそういう人にしてしまったのかもしれない。
でも……でも私だったらこんな苦しみはなんとしてでも、次の世代へなんて引き継がないのに。
(でもそれってどうしたらいいんだろう)
私がいなくなったら、村を守る人がいなくなってしまう。
それは困るなぁ……なんて、同じことを考えるのももう何回目か。
やりきれない思いで、祈りもクソもなくただただ決まった口上を唱えて鈴を振る。
——そんな私の肌を、ざらりとした何かが撫でた。
「! ……結界に何かが触れた。魔物かも」
祝詞を途中で切り上げた私がそう言うと、村人達がどよめきだった。
この村には空から何まで覆う形で退魔の結界を張ってある。
大きい結界だから強度はそこまで高くない。だから魔物がすぐに諦めて帰ってでもいかないかぎり、結界が破られぬよう魔物そのものは自力で倒す必要がある。
私は一度家に引き返して弓矢を手に取り、反応があった結界のところまで走った。
一応、鍬やら鉈やらを持った男達もついてきた。今まで彼らが魔物と戦うところは見たことがないけれど。
「あのへんのはず……」
そろそろ収穫を迎える田畑の向こうに、まだ何かがいると肌で感じる。
降ろした弓に矢をつがえつつ近づく。すると、結界の中に一人の女が入ってくるのが見えた。
村では見ないような上等な外套と、日の光に輝く白金色の髪が風に揺れている。
魔族にも似たような、人間離れした美しさだと思った。
しかし結界に弾かれなかったということは、間違いなく人間である。
じゃあ結界は一体何に反応したのだろう……。
「旅の人かい?」
油断はできないと様子をうかがっているうちに、後ろの誰かが女に声をかけた。
「そうなんですー……あ! もしかしてあなたが巫女様!?」
私を見て、女は途端に笑顔になった。
加護の力をあてにして、どこからともなく困りごとを抱えた人がここへやってくるのはめずらしいことでもない。
またそういう類かとは思いつつ、大きな杖を振りつつこちらへ駆け寄ってくる彼女に矢を向ける。
「話は聞くから、そこで止まりなさい」
「すごい力を持った巫女様がいるって聞いて探してたの! 会えてよかったぁ、もうほんとにヤバくって!」
「いや、止まって……」
「連れを診てほしいんですけど、結界で入れなくて! お願いします、こっちへ来てください!」
自分に向けられた刃の先なんて見えないかのように、彼女はその真正面に立った。
「お願いします!」
呆気にとられていたものの、近すぎると気づいて慌てて身を引く。
「は……入れないってことは、連れは従魔かなにかか?」
いつの間にか体を寄せ合って私の後ろに隠れるようになった村人が、口々に「そりゃあぶねぇ」
「おっぱらうか」「巫女様が始末なさればよい」など勝手なことを言う。
「違う、人間よ! でもその……一昨日魔族と戦ってから様子がおかしくて。ずっと苦しんでるの」
退魔の結界といえど、人の中の病魔程度のものに反応するような代物ではない。
つまりその人間はなんらかの魔の力によって、すでに人ならざるものになっているということだ。……近づくのは危険かもしれない。
「あなたの治癒の力はどんな病だって治せるんでしょう? お願い、アルトを……うちの勇者を助けてください!」
「勇……者……?」
「勇者ってぇと……」「あれだろ、魔王を倒すっつってる冒険者のことだ」「今どき奇特な人間がおるもんじゃ」
呆れ調子の村人たち。
私はそんな彼らに呆れ返った。
彼らは大した意思もなく神頼みで生きることしかしてこなかったから、勇気ある者の選択を笑うことしかできない。自分だけは、明日も神様に守られてぬくぬく生きていけると信じている。
自分達が信じる神使が、日々内心で悪態をつくばかりのただの人間だとも知らずに。
「——わかった、見てみよう」
「あ……ありがとうございます!」
よく見れば彼女の背中には、その華奢な体に似合わぬ大剣が背負われている。
おそらくその勇者のものなのだろう。
「巫女様……!?」「おいだれか巫女様をお止めせい!」「そ、そう言われても……」
引き止めたそうにしている村人の声なんて気にならない。
今はその勇者というものにとても興味がある。
だけど結界の外へ向かおうとしたところで、
「メイ様、なりませぬ!」
走って追いついてきたらしいおばばが、息を切らしながら私の腕を引いた。
「何者かは知れぬが、結界を通れぬは魔と同じ……! 安易に近づいてはなりませぬ!」
「でも」
「その他所者との会話もおやめなさい! 穢れがうつりでもしたらどうされる! あとのことはこのおばばがどうにかします故、お戻りくださいませ!」
そんな枯れ枝のような腕にどうしてそんな力があるのかと言いたくなるような力で、ぐいぐいと私を押すおばば。村人達には「皆の者! 早くこの他所者を追い払わんか!」と偉そうに指図までする。
「そんな……! お願いします巫女様、あなたの噂を聞いて、あなただけが頼りで来たの!」
嘘を言っているようには見えない。彼女は本当に助けを求めている。
そうわかっているのに……穢れを避けねばならない私は、伸ばされた手を取ることができない。
「おばば……!」
いいから離して、と言いかけたそのとき、
――パリィーン……!
ガラスが割れるような音が辺りに響いた。咄嗟に空を見上げる。
「結界が破られた……!」




