第9話「積み重なるもの」
学校生活が軌道に乗り始めた頃から、俺は一つのルーティンを作っていた。
授業が終わって下宿に帰ると、まず台所に立つ。夕飯の準備をしながら、今日一日を整理する。魔法の授業で何を学んだか、スキルツリーの数値がどう動いたか、誰の顔がどの項目に増えたか。料理は前世から染み付いた習慣だったが、この世界ではストレス発散の意味合いも強かった。
都会育ちの同級生からの視線、ヤス=スギの無言の圧力、過大評価と実力のギャップ。学校では常に何かを背負っている感覚があった。でも台所に立つと、それが少し軽くなった。
包丁を握って、食材と向き合う。余計なことを考えなくて済む。それに料理は、試行錯誤した結果がすぐに出る。味が良くなったか悪くなったか、その場でわかる。スキルツリーと似ていた。努力が目に見える形で返ってくる感覚が、単純に好きだった。
ある夜、いつも通り夕飯を作っていると、ドナ=ヘッドが台所の入口に立っていた。
何も言わずに、俺が料理をする様子をじっと見ている。視線に気づいていたが、俺もあえて何も言わなかった。しばらくして、配膳を終えて五人が食卓を囲んだ。
アレ=ハチマが最初に箸をつけた。
「うまい! ドバ、お前また腕上げたんじゃないか」
コミ=トトは無言で食べ続けていたが、いつもより茶碗が早く空になった。トモタニは「これ何を入れたんですか」と聞いてきた。
食事が終わって、片付けをしていると、ドナ=ヘッドが隣に来た。
濡れた食器を黙って拭き始める。しばらく二人で無言のまま片付けを続けた。
全部終わった頃、ドナ=ヘッドは小さな声で言った。
「上手くなったね」
それだけだった。
俺はしばらく返す言葉が出なかった。カリスマ能力が通じない、この老婆から出た言葉だ。過大評価でも気遣いでもない、ただの事実として言われた気がした。
「ありがとうございます」
ドナ=ヘッドは頷いて、台所を出ていった。
スキルツリーを確認すると、料理の数値がまた少し上がっていた。
学校での過大評価が本格的に始まったのは、入学から一ヶ月ほど経った頃だった。
魔法の授業中、担当教師が生徒一人ずつに課題を出していた。生徒それぞれの適性に合わせた内容らしく、火の生徒には炎の制御、土の生徒には地盤の操作といった課題が出されていた。
俺の番が来た。
教師は手元のファイルを確認してから言った。
「ドバ。水球を作って、形を変えてみろ」
目を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。水の流れ、重さ、張力。ドルガに教わった基礎を思い出しながら、魔力を指先に集めた。形を変えていく。球から楕円、楕円から薄い板状に。
綺麗にできた。
教師が頷いた。それだけのはずだった。
でも授業が終わった後、クラスの雰囲気が少し変わっていた。何人かが俺を見る目が違う。廊下ですれ違った上級生が「水グループの一年、うまいらしいな」と話しているのが聞こえた。
スキルツリーを確認する。魔法適性の数値は「中の上」程度だ。うまいと言えなくはないが、騒ぐほどでもない。
また始まった、と思った。
でも今度は焦らなかった。過大評価の分だけ、矢印が示す方向へ努力すればいい。地図がある。前世とは違う。
数日後、担任教師に廊下で呼び止められた。
四十代くらいの男で、授業中は厳しいが普段は穏やかな人だった。
「ドバ、少しいいか」
「はい」
「お前、グリク出身だったな」教師は少し意外そうな顔で続けた。「田舎からの生徒は最初、場慣れするまで時間がかかることが多いんだが、お前は妙に落ち着いているな。他の生徒とは少し違う」
俺は内心苦笑いした。三十六年分の記憶があれば、そりゃ落ち着いてもいる。
「育ちが良いのか、それとも何か経験でもあるのか」教師は独り言のように続けた。「まあ、悪いことじゃない。このまま頑張れ」
それだけ言って、教師は行ってしまった。
トモタニが後ろから歩いてきて、「何の話でしたか」と聞いた。
「育ちが良いって言われた」
トモタニは少し考えてから、「グリク出身なのに?」と言った。
二人で思わず笑った。
その夜、スキルツリーを眺めながら一ヶ月を振り返った。
魔法適性、知能、対話、料理。数値は確実に動いていた。過大評価は相変わらず実力より先を歩いているが、差は少しずつ縮まっている気がした。
前世では、評価が先行するたびに追いつけない恐怖があった。でも今は違う。スキルツリーが現在地を正確に示してくれている。
焦らなくていい。
ただ矢印の指す方向へ、歩き続ければいい。




