第7話「王都の空」
魔法列車に乗るのは、生まれて初めてだった。
町の小さな停車場から乗り込むと、車内は思ったより広かった。木製の座席に魔法で動く照明、窓の外を流れる景色が普通の馬車とは比べ物にならない速さで飛んでいく。向かいに座った老人が欠伸をしながら居眠りをしていた。この速さに慣れた人間にとっては、日常の一コマらしい。
俺は窓に顔を近づけて、流れていく景色を眺めた。
町を出るのは、これが初めてだった。生まれてから十六年、あの平均的な町の外に出たことがなかった。地平線まで続く畑、点在する小さな集落、遠くに見える山の稜線。この世界はこんなに広かったのか、と思った。
スキルツリーを確認した。矢印は変わらず、魔法を伸ばせと指示していた。
荷物の中に、母が持たせてくれた薬草が入っている。「体に気をつけなさい」と言いながら、目が潤んでいた。父は駅まで送ってきて、「魔法、頑張れよ」とだけ言った。それだけで十分だった。
列車が王都の中央停車場に滑り込んだのは、昼を少し過ぎた頃だった。
停車場を出た瞬間、俺は思わず立ち止まった。
人が、多い。
あの町の何倍もの人間が、同時に動いている。商人、冒険者、貴族らしき身なりの人間、見たことのない外見の亜人種。怒号と笑い声と魔法の音が混ざり合って、耳がついていかなかった。
これが王都か、と思った。
地図を片手に商店街へ向かった。下宿の住所はドルガに教えてもらっていた。路地を二つ曲がると、急に空気が変わった。食べ物の匂い、威勢のいい呼び込みの声、色とりどりの看板。商店街は停車場の喧騒とは違う、生活の匂いがした。
住所の建物は、商店街の中ほどにあった。古い石造りの二階建て。看板も表札もない。本当にここか、と思いながらドアを叩いた。
しばらくして、ドアが開いた。
小さな老婆が立っていた。
白髪を後ろで束ねて、くたびれた前掛けをしている。背は低く、少し腰が曲がっていた。どこにでもいる商店街のおばあちゃん、としか言いようのない見た目だった。
「ドナ=ヘッドさんでしょうか。ドバ=ナグレといいます。今日からお世話になります」
老婆はしばらく俺を眺めてから、小さく頷いた。
「入りなさい」
それだけだった。
俺は踏み込んだ瞬間、何かが違うと感じた。
うまく言葉にできない。カリスマ能力が、手応えを失っている。いつもなら初対面の人間と目が合った瞬間、微かに相手の空気が変わる。好意や敬意が、向こうから滲み出てくる。でもこの老婆からは、何も来なかった。
ただ、静かな目で見られているだけだった。
「……あの」
「腹が減っているだろう。飯にしなさい」
老婆は台所に向かった。俺はしばらく玄関に立ったまま、スキルツリーを確認した。カリスマ能力の項目に、見たことのない表示が出ていた。
——無効。
初めて見る表示だった。
夕方になると、他の下宿人が帰ってきた。
最初に現れたのは、大きな男だった。扉を勢いよく開けて、荷物を床に放り投げた。
「ただいま! あ、新入りか! 俺はアレ=ハチマ、武芸学校の二年だ。よろしくな!」
握手を求めてくる手が、岩みたいに硬かった。
次に来たのは、少し細身の男だった。飄々とした歩き方で部屋に入ってきて、俺を見て軽く手を挙げた。
「コミ=トト。国立の三年。まあ、よろしく」
陽気な口ぶりだったが、目が笑っていない。国立といえば、何かの分野で秀でた才能がないと入れない少数精鋭の学校だ。実力者の目だ、と思った。
最後に現れたのは、俺と同い年くらいの男だった。少し緊張した様子で荷物を抱えながら入ってきて、俺を見てほっとした顔をした。
「トモタニです。今日からお世話になります」
「ドバ=ナグレ。よろしく」
トモタニの目が、一瞬大きくなった。
「……ナグレって、もしかしてズバ=ナグレの弟?」
「そう」
「えっ、あのズバの!?」トモタニは少し興奮した様子で続けた。「地元じゃ有名ですよ! 俺、同じ町なんです」それからはっとした顔をした。「もしかして、明日の入学式、一緒ですか」
「中央魔法学校か」
「そうです。よかった……というか、すごい人と知り合いになってしまった」
その夜、ドナ=ヘッドが作った夕飯を五人で囲んだ。
質素だったが、丁寧な味だった。素材の旨みがそのまま生きていて、前世の記憶が少し揺れた。
アレ=ハチマは豪快に食べながら喋り続け、コミ=トトは適当に相槌を打ちながら飄々と食べ、トモタニは緊張しながらも少しずつ表情が柔らかくなっていった。ドナ=ヘッドは無口のまま、全員の茶碗が空になると黙って飯をよそった。
俺はその光景を眺めながら、スキルツリーをそっと確認した。
各スキルの項目の横に、小さな顔が並んでいた。スキルツリーの新機能に気づいた。魔法の項目にコミ=トトの顔、料理の項目にドナ=ヘッドの顔。まだ何を示しているのかよくわからないが、誰かが何かを期待しているらしい。
初日にしては、悪くない夜だった。
前世の木曜日の夜とは、全然違う。誰かと飯を食べるというのは、こんなに温かいものだったか、と思った。
早速だが、猫が恋しい。




