第6話「旅立ちの朝に」
ドルガに呼び出されたのは、俺が十五歳になってすぐのことだった。
授業が終わった後、他の生徒が帰るのを待ってから、ドルガは珍しく椅子を引いて俺の向かいに座った。いつもと違う空気に、俺は背筋を伸ばした。
「一つ、話がある」ドルガは低い声で言った。「王都に、魔法に特化した学校がある。十六歳から入れる。下宿しながら通うことになるが……お前には行く価値がある」
俺はしばらく黙った。
スキルツリーを確認した。魔法適性の矢印は、確かに上を向いている。この町の塾では、そろそろ教えられる限界が近いとも感じていた。
「……考えてみます」
「考えるまでもないだろう」ドルガは立ち上がって、また無口に戻った。「来月までに返事をしろ」
それだけだった。
家に帰って両親に話すと、父は少し考えてから頷いた。母は嬉しそうに笑ったが、目が少し潤んでいた。
「行きなさい」母は言った。「ズバの時と同じよ」
翌月、俺は学校への入学を決めた。
出発まで残り一週間、俺は荷物をまとめながら、いつも通りの日々を過ごした。朝は家事を手伝い、夜は料理を作る。猫は相変わらず足元をうろついていた。
「お前はどうするんだ」
猫に話しかけると、猫は気だるそうに欠伸をした。答えになっていなかったが、なんとなく伝わった気がした。猫は家に残ることになった。
出発の前夜、夕食が終わった後、父が珍しく「少し話がある」と言った。
三人でテーブルを囲んだ。父は湯呑みを両手で持ったまま、しばらく黙っていた。母は静かに父の隣に座っていた。
「ズバが魔法塾を辞めた理由を、お前はまだ知らないな」
俺は頷いた。ずっと気になっていたが、聞けないままだった。
父は一度母と目を合わせてから、口を開いた。
「ズバがな、俺たちに言ったんだ。弟の才能に勝てないと感じた、と」
俺は、言葉を失った。
「魔法の伸びが違うと、塾に通い始めて半年もしないうちに気づいたらしい。そのままお前と同じ塾に居続けることが、お前の邪魔になると思ったと言っていた」
母が静かに続けた。
「あの子らしいでしょう。誰にも言わずに、さらっと辞めて、別の道を歩き始めるんだから」
俺はテーブルの木目を見つめたまま、動けなかった。
三年間、ずっと気になっていた。なぜ辞めたのか。チートを持っているんじゃないかと疑って、でも聞けなくて、そのままにしていた。
兄は何も言わなかった。ただ黙って、弟の前から退いた。
胸の奥に、じわりと熱いものが広がった。感謝と申し訳なさが混ざり合って、どちらとも言えない感情が溢れてきた。
「……知らなかった」
それだけしか言えなかった。声が、うまく出なかった。
父は湯呑みを置いて、静かに言った。
「お前が気づかなかったのは、当然だ。ズバがそう望んだんだから。ただ、お前が旅立つ前に、知っておいてほしかった」
しばらく、三人とも黙っていた。
母が立ち上がって、台所でお茶を入れ直した。父はまた湯呑みを持って、窓の外を見た。いつもと同じ夜だったが、何かが少し変わった気がした。
翌朝、俺は荷物を一つ持って玄関に立った。
猫が足元に来て、鼻を押しつけた。俺はしゃがんで、頭を撫でた。
「また来る」
猫は一声鳴いて、それだけだった。
母は笑顔で見送り、父は黙って頷いた。兄が家を出た朝と、同じ景色だった。
俺は門を出て、振り返った。
この平均的な町で、俺は十六年を過ごした。何も特別なことはなかったが、ここで地図を手に入れた。ここで猫と出会った。ここで、知らない間に兄に守られていた。
スキルツリーを眺めると、矢印はまっすぐ前を指していた。
俺は前を向いて、歩き始めた。




