第5話「次男の役割」
十二歳になった頃から、俺の日常は少しずつ変わり始めた。
魔法塾での評判が町に広まるにつれて、周囲の期待値が静かに膨らんでいった。市場で顔見知りのおばさんに会えば「ドバは将来大物になるね」と言われ、父の同僚に会えば「息子さん、魔法の才能があるらしいですね」と話しかけられる。
でもスキルツリーを見れば、魔法適性はまだ「中」程度だ。決して低くはないが、大物と呼ばれるような数値ではない。前世と同じだ、と思った。評判だけが、実力より少し先を歩いている。
違うのは、今の俺には地図があることだ。
焦らなくていい。ただ矢印の指す方向へ歩き続ければいい。
家では、この頃から家事を手伝うようになっていた。
田舎の次男というのは、そういうものらしい。長男のズバは勉強と体術の鍛錬に時間を使い、両親もそれを当然のように支援している。その分、家の雑用は自然と俺に回ってきた。
不満はなかった。
前世でも家事は得意だった。料理、掃除、洗濯。九年間の結婚生活で身についた習慣は、この体にも染み込んでいるらしく、手が自然と動く。むしろ慣れ親しんだ感覚があって、落ち着いた。
ある夜、夕飯を作りながらふとスキルツリーを眺めた。
矢印が、料理を指していた。
魔法ばかり意識していたが、確かにそうだ。毎日台所に立っているのに、意識して伸ばしていなかった。前世の記憶もある。この世界の食材や調理法と組み合わせれば、どこまで伸びるかわからない。
翌日から、俺は料理にも意識を向け始めた。
母に教わりながら、この世界の調味料や香辛料の使い方を覚えた。父方の親戚の農家に行くたびに、食材の特性を観察した。前世の知識と照らし合わせながら、少しずつ自分なりの調理法を試した。
変化はすぐに現れた。
「なんか最近、飯が旨くなったな」
兄がある夜、箸を止めずにぽつりと言った。褒め言葉なのかどうか判断しにくい言い方だったが、兄にしては珍しく感想を口にした方だった。
母は笑い、父は黙って茶碗を空にした。
スキルツリーを確認すると、料理の数値が魔法適性を追い越していた。
十三歳、十四歳と年を重ねるにつれて、俺の日常は一定のリズムを刻むようになった。
朝は家事を手伝い、昼は魔法塾へ通い、夜は料理を作る。合間にスキルツリーを眺めて、矢印の示す方向を確認する。派手さはないが、確実に前に進んでいる感覚があった。
魔法の評判は相変わらず実力より先を歩いていたが、俺はもう気にしなかった。ドルガは相変わらず無口だったが、授業の後に残って個別に教えてくれることが増えた。それで十分だった。
料理は、気づけば町でも少し知られるようになっていた。
父方の親戚の農家で収穫祭の料理を手伝ったとき、集まった人々が皿を空にして「また食べたい」と言った。大げさな褒め言葉だとは思ったが、スキルツリーの数値は正直だった。着実に伸びていた。
カリスマ能力と料理の組み合わせは、思った以上に厄介だった。食べた人間が「この料理は特別だ」と勝手に感じてしまうらしく、実際の腕前以上の評価がついて回る。前世の過大評価と同じ構造だ。でも今は、スキルツリーで自分の現在地を確認できる。冷静でいられた。
兄が家を出たのは、俺が十五歳になった春だった。
国内でもトップクラスの大学に合格したと聞いたのは、その少し前のことだった。両親は喜んでいたが、騒ぎ立てるでもなく、いつも通りの静かな夕食が続いた。この家族はそういうものだった。
出発の朝、兄は大きな荷物を一つだけ持って玄関に立っていた。
「行ってくる」
それだけだった。母は笑顔で見送り、父は黙って頷いた。
俺は何か言おうとして、言葉が出なかった。チートのことを聞こうとして、また聞けなかった。結局いつも通り、兄の背中を黙って見送った。
兄が角を曲がって見えなくなった後、家の中がいつもより少し広く感じた。
俺はしばらくその場に立ってから、台所に向かった。今夜の夕飯を作らなければならない。スキルツリーを眺めると、矢印は相変わらず静かに、次の方向を指していた。




