第4話「地図の使い方」
第4話「地図の使い方」
翌朝、俺は台所に立った。
猫が足元をうろついている。昨夜拾ってきたばかりなのに、もう完全にくつろいでいた。前世でも同じだったな、と思いながら、俺は棚から食材を引っ張り出した。
スキルツリーが頭の中に薄く浮かんでいる。昨夜からずっとそこにある。消そうとしても消えないし、意識すれば鮮明になる。慣れるまで時間がかかりそうだと思った。
矢印が示していたのは、魔法適性だった。
この町では、子供の頃から魔法の基礎を学ぶのが普通だ。火を灯す、水を動かす、風を起こす。日常生活に溶け込んだ実用的な技術。ほとんどの子供は親から教わるか、町の魔法塾で習う。
俺がまだ何も習っていなかったのは、単純に必要性を感じていなかったからだ。でも今は違う。地図がそこを指している。
その日の夜、俺は父に言った。
「魔法塾に行きたい」
父は少し驚いた顔をしてから、母と目を合わせた。母は嬉しそうに笑った。
「ズバも通ってる近くのとこで良いんじゃない」
深い理由はなかった。少し足を延ばせば他にも塾はいくつかある。でも近いし、兄も通っている。それだけで十分だった。
兄は夕食を食べながら、特に表情を変えなかった。ただ一言、「遅いな」とだけ言った。褒めているのか呆れているのか、よくわからなかった。
魔法塾は町の中心部にある古い石造りの建物だった。講師は初老の男で、ドルガという名前だった。無口で愛想もないが、教え方は丁寧だった。
生徒は十人ほど。ほとんどが俺より年上だった。
最初の授業で、俺は自分の魔法適性を測定された。水晶のような球に手を当てると、色が変わって適性の種類と強さが出る仕組みらしい。
球は淡い青と緑を混ぜたような色に光った。
「風と水の複合適性か」ドルガは低い声で言った。「珍しいな」
隣にいた年上の生徒が、こちらをじろじろと見た。俺は特に何も感じなかった。スキルツリーには「魔法適性:低」と出ていた。珍しくても、今は低い。それだけの話だ。
それから二年が経った。俺は十二歳になり、兄は十五歳になっていた。
毎週三回、魔法塾に通い続けた。前世のように「なんとなくこなす」のではなく、スキルツリーを意識しながら練習した。矢印が示す通りに基礎を繰り返し、手応えを感じたら次のステップへ。地味な作業の繰り返しだったが、不思議と苦にならなかった。
前世では、努力の方向性がわからなかった。何をどう頑張ればいいのか、いつも霧の中を歩いているようだった。でも今は違う。一歩踏み出すたびに、スキルツリーの数値が少しずつ動く。それだけで十分だった。
変化は、じわじわと現れた。
ある日の授業で、風魔法の練習をしていると、ドルガが手を止めた。
「ドバ、今のもう一度やれ」
言われた通りにやると、教室が静かになった。
「……筋がいい」ドルガは短く言って、また無口に戻った。
それだけだったが、その日から塾での空気が少し変わった。年上の生徒たちが、何かを確かめるような目で俺を見るようになった。町でも、知らない大人が声をかけてくることが増えた。
「魔法塾のドバ=ナグレって子、すごいらしいな」
そんな声が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。
俺は内心首を傾げた。スキルツリーを見れば、魔法適性はまだ「中の下」程度だ。すごいと言えるような数値ではない。でも周囲の評価は、数値とは別のところで勝手に膨らんでいく。
また始まった、と思った。
前世と同じだ。でも今度は違う。俺には地図がある。過大評価に飲み込まれる前に、自分の現在地を正確に把握できる。焦る必要はない。ただ、矢印の指す方向へ歩き続ければいい。
兄が魔法塾を辞めたのは、その頃だった。
ある朝、いつも通り塾へ向かおうとしていた兄が、荷物を持っていないことに気づいた。
「今日は行かないの」
「辞めた」兄は短く言った。
それだけだった。しかしその後の兄は、空いた時間を勉強と体術の鍛錬に全部注ぎ込み始めた。朝は型を繰り返し、夜は本を読む。それをまるで息をするようにこなしていた。
町の大人たちは口々に言った。「ズバは魔法より向いているものを見つけたんだろう」「あの子は何をやらせても一流だ」と。
俺はそれを聞きながら、また例の疑惑が頭をもたげるのを感じた。
あいつ、本当にチート持ちなんじゃないか。
でも聞けなかった。相変わらず聞けなかった。
父と母は、兄が辞めた夜に二人で何かを話していた。俺が廊下を通りかかった時、会話がぴたりと止まった。二人とも何事もなかったような顔をしていたが、その沈黙が妙に頭に残った。
俺だけが、何も知らなかった。




