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第3話「新しい世界、古い魂」

 目が覚めた瞬間、俺は自分の状況を理解した。


 天井が近い。体が動かない。何かに包まれている。視界がぼんやりとしていて、輪郭がうまく掴めない。


 赤ちゃんだ。


 三十六年分の記憶を持ったまま、この小さな体に収まっている。泣きたいのか笑いたいのか、よくわからないまま、俺はとりあえず泣いた。周囲が「元気な子だ」と笑う声が聞こえた。それが、この世界での俺の最初の一声だった。


 天界人事部のおじさんが言っていた通りだった。良い転生を、という言葉の意味が、少しだけわかった気がした。


 それから数年が経った。


 俺の名前はドバ=ナグレ。父がナグレ家に婿養子として入ったため、母方の苗字を継いでいる。父も母も町役場の職員で、父方の親戚は少し離れた場所で農家を営んでいた。


 町はどこまでも平均的だった。


 大きな事件が起きるわけでもなく、都会へ出ていく者もそれほど多くない。市場には決まった顔ぶれが並び、冒険者ギルドの支部はあるものの、依頼の大半は魔物の駆除や荷物の護衛といった地味なものばかり。魔法は日常的に使われていたが、誰もが使えるのはせいぜい火を灯したり水を汲んだりする程度のものだった。


 悪くない場所だと思った。前世の木曜日の夜のように、誰にも気づかれないまま息絶える心配は、少なくともここにはない。


 三つ上の兄、ズバ=ナグレは、この平均的な町において明らかに異質な存在だった。


 スポーツは何をやらせても一番。勉強も常に首席。顔立ちも整っていて、町の大人たちは皆、口を揃えて「ズバは将来大物になる」と言った。兄本人はそういった評判を気にする様子もなく、淡々と日々をこなしていた。


 俺は兄の背中を見ながら、何度か考えたことがある。


 もしかして、あいつもチートを持っているんじゃないか。


 でも聞けなかった。聞いたところで、どう答えればいいのかもわからなかった。俺たちは仲が悪いわけではないが、お互いの内側に踏み込むような会話をしたことがなかった。兄はいつも少し先を歩いていて、俺はその後ろをぼんやりとついていくような、そんな関係だった。


 俺のカリスマ能力とやらは、この頃から少しずつ片鱗を見せていた。


 町の大人たちが、やたらと俺に話しかけてくる。市場のおばさんはおまけをくれるし、ギルドの受付のお兄さんは俺が通りかかるたびに手を振る。同い年の子供たちも気づけば俺の周りに集まっていた。


 でも兄の評判には遠く及ばない。俺への好意は「なんとなく気になる子」程度で、兄への敬意は「この人は特別だ」という確信に近かった。


 その差が、妙に前世を思い出させた。


 十歳になった秋の朝、俺は町外れの路地で、一匹の猫と目が合った。


 黒と白のハチワレ。小さな体で、じっとこちらを見ている。雨に濡れたのか、毛並みがぼさぼさだった。


 俺は動けなかった。


 前世の記憶が、静かに蘇った。同じ柄の猫。同じ目の色。あの子は二十二歳まで生きて、最後は病院へ向かう途中で逝った。いつもと同じ朝に。


 またお前か、と思った。


 声に出したわけでもないのに、猫は小さく鳴いた。まるで返事をするように。


 俺はその場にしゃがみ込んで、手を差し伸べた。猫はしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと近づいてきて、俺の指先に頭を押しつけた。


 その夜、猫を家に連れて帰った。母は呆れながらも、追い出しはしなかった。父は無言で撫でていた。兄は静かに「お前が世話しろよ」とだけ言った。


 その夜、初めてそれが見えた。


 眠ろうとした瞬間、頭の中に光の図が広がった。木の枝のように伸びる線と、無数のアイコン。天界人事部のおじさんがテーブルに置いた、あの紙と同じものだった。


 スキルツリー。


 現在の自分の実力が、数値として淡く光っている。対話、観察眼、知能、運動能力、魔法適性、料理——どれも低くはないが、突出しているわけでもない。そして次に何を伸ばせばいいか、矢印が静かに示していた。


 俺はしばらく、その図を眺めた。


 現世では、何を頑張ればいいかわからないまま、いつも手遅れになってから気づいていた。査定が下がって、居場所がなくなって、また転職する。その繰り返しだった。


 でも今は違う。地図がある。


 隣で猫が丸くなって寝息を立てていた。


 今度は、ちゃんとやれるかもしれない。そんな気がした。


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