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第2話「人事面談」

 気づいたら、俺は椅子に座っていた。


 白い壁、白い天井、白い床。窓もドアも見当たらない。どこまでが壁でどこからが天井なのか、境界線すら曖昧な空間だった。中央に長方形のテーブルが一つ。それだけだ。


 向かいに、男が座っていた。


 くたびれたスーツに、少し緩んだネクタイ。髪は七三分けで、こめかみに白いものが混じっている。分厚いファイルを捲る仕草は、どこか健康診断の問診票を確認する医者に似ていた。どこにでもいる、五十代のサラリーマン風のおじさん。少なくとも、俺が想像していた「死後の世界の住人」とは程遠かった。


 男は眼鏡を押し上げ、顔を上げた。


「鈴木拓也さん、三十六歳。本日はお時間いただきありがとうございます」


 思わず背筋が伸びた。死んでもこの反射は抜けないらしい。


「あの……俺、死にましたよね」


「ええ、そうですね」男はあっさり頷いた。「喘息の発作で。それはお気の毒でした」


 お気の毒でした、で済む話なのか。俺の三十六年間の幕引きが、その一言で片付けられた気がして、少し腹が立った。


「えっと、あなたは」


「天界人事部です」男は名刺を差し出した。「わかりやすく言うと、そういう部署です」


 受け取った名刺には「天界人事部」とだけ印刷されていた。名前はなかった。肩書きもない。この男の個人情報は、部署名だけで完結しているらしい。


「今日お越しいただいたのは」男はファイルに目を落とした。「来世についてご説明するためです。鈴木さん、現世での査定結果が出ておりまして」


「査定」


 その単語が、やけにリアルに響いた。生前、何度その言葉に憂鬱になったことか。死んでまで査定を受けるとは思っていなかった。


「はい。天界では、様々な徳の積み方を評価しております。人への親切、誠実さ、日々の行い……ただ」男は少し眼鏡を押し上げた。「猫の世話の比重が、異常に高いんです」


 俺は思わず聞き返した。


「……猫、ですか」


 思わず間抜けな声が出た。人への親切でも、社会への貢献でもなく、猫。俺の三十六年間を総括する言葉が、まさかそれとは。


「ええ。猫は神の使いです。なぜ比重が高いかは、我々にも正直よくわからないんですが、そういう仕組みになっておりまして」男はファイルをめくった。「鈴木さん、十歳の頃から黒白のハチワレ猫を飼い始めましたね。そちらが二十二歳まで生きた」


「……ええ」


 その名前を心の中で呼んだ。長い付き合いだった。最後の一ヶ月、もう立つことも難しくなったあいつを、毎朝仕事前に病院へ連れて行った。点滴を終えて自宅に帰す。それを毎日繰り返した。少しでも長く生きてほしかった。


 最後は、病院へ向かう途中で息を引き取った。いつもと同じ朝だった。


「最後の一ヶ月、病気の猫のために毎朝通い入院をさせていた。これは高評価です」男はファイルに丸をつけた。「現在飼っている二匹目も八歳、大きな病気もなく元気。毎晩欠かさずおやつを与えている。これも高評価です」


 なんで知っているんだ、と思ったが、神の使いの管轄であれば当然か。あいつらはずっと、俺のことを報告していたのかもしれない。だとすれば、なかなか筋金入りの密告者だ。


「おかげさまで、鈴木さんの徳ポイントはかなり高い水準です。来世ボーナスの対象となります」


「来世ボーナス」


「はい。ただし一点、ご了承いただきたいことがありまして」男は眼鏡を押し上げた。「鈴木さんには、地球以外の場所に転生していただきます」


 俺は固まった。


「……地球以外」


「ええ。率直に申し上げますと、鈴木さん、地球という環境が少々合っていなかったようで」男は申し訳なさそうに、しかし淡々と続けた。「もう少し評価していただきやすい場所の方が、鈴木さんの能力が活きるかと。我々からのご提案です」


 地球が合っていなかった。その言葉が、妙に胸に刺さった。否定できないのが余計に辛かった。


「……選択肢はあるんですか」


「ございません」


 即答だった。清々しいほどの即答だった。


「では、鈴木さんの特異なところについてご説明します」男はファイルをめくった。「第一印象が異常に良い。会った人間が勝手に過大評価してしまう、天性の資質をお持ちです」


「……そんな気はしてました。でも、正直困ってたんですよね」


 過大評価は、一見すると得に思える。しかし実際は違う。期待値だけが先行して、実力が追いつかない。やがて「思ったより大したことない」という目で見られ始める。その落差が積み重なるたびに、居場所がなくなっていく感覚があった。


「過大評価された分、実際の俺が追いつかない。サボってると思われて、どんどん評価が下がっていくのを感じてた。だから転職するしかなくて」


「五回、されていますね」男はあっさり言った。しっかり記録されていた。


「転生先ではその資質を極限まで強化してお送りします。会った者が皆、鈴木さんに敬意と好意を抱く」


 そこで男はファイルから一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。木の枝のように広がる、複雑な図だった。


「こちらはスキルツリーです。転生先では、常にこれが頭の中に見えます。現在の実力、周囲からの評価、そして次に何を解放すべきか。全部わかります」


 俺はじっとその図を見つめた。現世の自分に、これがあればどうだったろう。何を頑張ればいいかわからないまま、ただ評価だけが下がっていく日々。あの息苦しさが、少し遠くに感じられた。


「現世の鈴木さんは、何を頑張ればいいかわからないまま評価だけが下がっていった。違いますか」


「……否定できないです」


「今度は違います。地図を持って進めます」男は静かに言った。「あとは歩くかどうか、それだけです」


 その言葉が、妙に温かく響いた。


「……わかりました」


「ちなみに」男は眼鏡を押し上げた。「奥様はお見通しだったようですが」


「…………」


 返す言葉がなかった。九年間、一番近くにいた人間が、一番よく俺を見ていた。それが救いなのか、皮肉なのか、今でもわからない。


「それでも九年間、傍にいたわけですから」男は静かに続けた。「まあ、色々あったんでしょうね」


 俺は何も言えなかった。


 男はファイルを閉じた。


「では、鈴木さん。良い転生を」

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