第15話「帰省」
連休を使って、久しぶりに実家のあるグリクへ帰った。
魔法列車の窓から流れていく景色を眺めながら、王都に来てからもう二年以上が経つことに気づいた。あの平均的な町が、今はどこか懐かしく感じる。
停車場に降りると、空気が違った。王都の喧騒とは全然違う、静かで穏やかな匂い。思ったより、悪くない気持ちだった。
家に着くと、母が玄関まで出てきた。
「大きくなったね」母は言った。
「そんなに変わってないと思うけど」
「変わってるよ」母は笑った。「顔つきが違う」
父は居間でいつも通り新聞を読んでいた。顔を上げて、「おう」とだけ言った。それだけで十分だった。
部屋に荷物を置いた瞬間、足元に柔らかいものが当たった。
猫だった。
白と黒のハチワレ。相変わらず気だるそうな顔で、俺を見上げていた。
「元気だったか」
猫は返事の代わりに欠伸をした。俺はその場にしゃがみ込んで、思う存分撫でた。この感触は、王都では味わえない。しばらくの間、猫と戯れた。前世の記憶が静かに蘇った。またお前か、と思った。
夕飯は俺が作ることにした。
父方の親戚の農家から仕入れた食材を使って、王都で覚えた調理法を組み合わせる。この家の台所は勝手知ったる場所だったが、腕は確実に上がっていた。
食卓に並べると、母が一口食べて黙った。
「……美味しい」
「料理も習ったのか」父が聞いた。
「習ってはいないけど、毎日作ってた」
父は黙ってもう一口食べた。それがいちばんの褒め言葉だとわかった。
食事が終わって、母がお茶を入れながら言った。
「体、ちゃんとできてる? 無理してない?」
「してない」
母はほっとした顔をした。スキルツリーを確認すると、母の顔が健康の項目の横に並んでいた。相変わらず、一番の心配事はそこらしい。
翌朝、魔法塾へ顔を出した。
古い石造りの建物は何も変わっていなかった。ドルガは相変わらず無口で、俺が入ってきても顔を上げなかった。
「久しぶりです」
「ああ」
それだけだった。
「少し見てもらえますか」
ドルガは黙って頷いた。
俺は感覚を研ぎ澄ませた。水球を作る。完全な球形、鏡のような表面。そのまま空中へ動かし、形を変える。球から楕円、薄い板状、細い糸状に。最後に霧へと変化させて、ゆっくりと消した。
教室が静かだった。
ドルガはしばらく黙っていた。それからぽつりと言った。
「王都でも、ちゃんとやってるな」
ドルガにしては、最大限の言葉だった。俺は頭を下げた。
帰り際、ドルガが低い声で言った。
「卒業したら、また来い」
振り返ると、ドルガはもう手元の書類に目を落としていた。
二日目の昼過ぎ、散歩に出かけようと玄関を出たところで、見知らぬ男に声をかけられた。
三十代くらいで、少し緊張した様子だった。
「あの、すみません。こちらはナグレさんのお宅ですか」
「そうですけど」
「ズバ=ナグレさんのご実家ですよね。」
「兄は今ここにはいませんが」
男の目が丸くなった。
「え……兄、ですか。ズバさんに弟さんがいらっしゃったんですか」
「いますけど」
男はしばらく言葉が出ない様子だった。
「じゃあ、一緒に暮らしてたんですか!?」
俺は少し考えた。
「……兄弟だから、まあ」
男は何か言いたそうな顔をしていたが、うまく言葉が出ない様子だった。
「兄のことをご存知で?」俺は聞いた。
「知ってるどころじゃないですよ」男は少し興奮した様子で続けた。「種族や国の垣根をなくす活動をされてるじゃないですか。若いのにあれだけの外交をこなして、その界隈じゃ知らない人がいないくらい有名ですよ」
俺は黙った。
兄が有名になっているとは両親からサラッと聞いていた。肝心なことは言わない両親だ。
でも「知らない人がいない」というレベルとは思っていなかった。あの無口で飄々とした兄が、そんなところまで行っていたのか。
「すごいな」俺は思わず呟いた。
「えっ、驚かないんですか」男は拍子抜けした顔をした。
「兄だから」
男はさらに興奮した様子で、手帳を取り出した。
「よければ、幼少期のズバさんのお話を少し聞かせていただけますか」
俺は少し考えた。
「イケメンで、モテてました」
男は手帳に何かを書き留めてから、満足そうに頷いた。
「ありがとうございました」
それだけ言って、男は帰っていった。
俺はしばらくその背中を見送った。それでよかったのか、よくわからなかった。
帰りの魔法列車の中で、窓の外を眺めながら兄のことを考えた。
魔法塾を辞めて、勉強と体術に切り替えて、国立の大学へ行って、外交の世界へ。あの不器用な兄が、自分なりの地図を持って歩いていたのだ。
スキルツリーを確認した。矢印は変わらず前を向いていた。
兄には兄の地図がある。俺には俺の地図がある。
それでいい、と思った。
それにしても、たった三つしか歳が変わらないのに、あいつはどこまで行ってしまったんだろう。すごい人になってしまったな、と思った。誇らしいような、少し置いていかれたような、不思議な気持ちだった。




