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第11話「隙の話」

 午前の授業は座学だった。


 異種族文化論の教師が、大陸に存在する様々な種族の習慣について話していた。俺はノートを取りながら、スキルツリーの知能の項目に教師の顔が追加されているのを確認した。この授業から吸収できるものがあるらしい。


 隣のトモタニは真剣な顔でノートを取っていた。グリク出身の田舎者と言われた初日から、トモタニは授業への姿勢が人一倍真剣になっていた。悔しさをそのまま勉強に変えているらしい。それはそれで、健全な反応だと思った。


 午後は運動の授業だった。


 体術の基礎、走り込み、バランス訓練。都会育ちの生徒の中には明らかに体を動かし慣れていない子もいて、運動の授業だけは田舎出身の俺とトモタニが自然と上位に入った。


「やっぱり体だけは負けませんね」トモタニが走り終えて息を整えながら言った。


「それだけで十分だ」俺は言った。


 昼休み、俺とボタ→マリ、それにトモタニの三人で廊下を並んで歩いていた。


 示し合わせたわけではないが、最近こうして授業の合間に三人で歩くことが増えていた。


 廊下の向こうから、女子生徒が数人歩いてきた。ボタ→マリを見た瞬間、一人が笑顔で手を振った。ボタ→マリは軽く手を上げて返した。いつもの光景だった。


 その瞬間、背後から地を這うような低い声が聞こえた。


「……なにをしている」


 振り返ると、ヤス=スギが立っていた。


 小太りで背が低い。くたびれた教師服を着て、顔を真っ赤にしていた。


「授業が終わったばかりだぞ! 廊下で女子生徒に手を振られるとはどういうことだ!!」


 ボタ→マリは特に慌てる様子もなく「別に手を振られただけですが」と言った。それがまた火に油だった。


「だけ、だと!? 手を振られるということは隙があるということだ! 魔法使いに隙は禁物! わかっているのか!!」


 廊下を歩いていた生徒たちが、足を止めてこちらを見ていた。


「先生は若い頃、手を振られたことがないんですか」俺は思わず聞いた。


 ヤス=スギは一瞬止まってから、さらに顔を赤くした。


「ない!! 俺は若い頃から隙がなかったから、女子生徒に手を振られたことなど一度もない! それが本来あるべき姿だ!!」


 廊下が静まり返った。


 ボタ→マリが俺の耳元で小声で言った。


「……隙がなかったんじゃなくて、振られなかっただけじゃないか」


 俺は必死に笑いをこらえた。トモタニは口を手で押さえていた。


 ヤス=スギはもうひとしきり怒鳴ってから、どすどすと廊下を歩いていった。その背中を見送りながら、三人はしばらく無言だった。


「災難だったな」俺は言った。


「お前らも巻き込んだ、すまん」ボタ→マリは肩をすくめた。


 夕方の課外学習、水グループが実習室に集まった。


 一年から三年まで三十人ほど。ヤス=スギは昼休みのブチギレが嘘のように無口で、淡々と課題を出していった。


 その日の課題は水の流れの制御だった。作った水球を一定の速度で空中に動かし続ける。単純に見えて、集中力が途切れると形が崩れる繊細な作業だ。


 上級生たちは慣れた様子で複合魔法を披露していく。前に見た時と変わらず、圧倒されるような技の数々だった。


 スキルツリーを確認すると、複合魔法の項目はまだ遠くに霞んでいた。矢印は出ていない。今はまだ基礎だ。


 ボタ→マリの番が来た。


 相変わらず構えるでもなく、片手を軽く上げる。巨大な水球が現れ、それがゆっくりと空中を移動し始めた。圧倒的な魔力量で、制御も安定している。


 俺の番が来た。


 目を閉じて、感覚を研ぎ澄ます。水の流れ、重さ、張力。丁寧に魔力を込めて、完全な球形を作る。そのまま空中へ。一定の速度で、軌跡を乱さずに動かし続ける。


 しばらくして、ヤス=スギが低い声で言った。


「……綺麗だな」


 昼休みのブチギレとは思えない、静かな一言だった。


 ボタ→マリが隣で小声で言った。「それ、最高の褒め言葉だぞ」


 帰り道、ボタ→マリが突然言った。


「なあ、ドバ」


「なんだ」


「お前、自分がモテてるって自覚あるか」


 俺は少し考えた。


「……特にないけど」


「だろうな」ボタ→マリは少し呆れた顔をした。「俺の周りに来る女子はわかりやすいんだよ。ちょっとワルそうな方が好きとか、そういうやつ。でもお前に寄ってくるのは違う」


「違うって」


「なんというか」ボタ→マリは言葉を選ぶように続けた。「ちゃんとしてるやつが来る。気遣いができる、優しい、話しやすい。そういうのを見てる子が、自然とお前の周りに集まってるんだよ」


 俺には全くそんな自覚がなかった。


「気のせいじゃないか」


「気のせいじゃない」ボタ→マリは断言した。「俺は人を見る目だけは自信がある。お前は自覚がないだけで、確実にモテてる」


 しばらく沈黙が続いた。


「……そうか」


「そうだ」


 それだけだった。でもその日から、なんとなくボタ→マリとの距離が縮まった気がした。


 下宿に帰ってトモタニにその話をすると、「そうですよ、気づいてなかったんですか」と言われた。


 俺は本当に気づいていなかった。


 前世でも、妻には「なんか周りに女の人多いよね」と言われたことがあった。その時も、よくわからなかった。


 スキルツリーを確認すると、対話の項目にいくつか新しい顔が増えていた。


 自覚はないが、地図は正直だった。

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