第94話 奪われた身体と、すり替わる聖女
木漏れ日の落ちる獣道。
後方から響いた声に、イザベラとごろつきたちは弾かれたように振り返った。
「そこまでだ」
立っていたのは、抜刀したゼインと底知れぬ怒りを宿したルークだった。
「……っ、やっちまえ!!」
ごろつきたちが慌てて武器を構えて飛びかかってくるが、ゼインが地を蹴った瞬間、勝負は決した。
「ぐあっ!?」
「ひぃっ……!」
剣の腹と柄による容赦のない一撃。数人の男たちが、ただの一太刀も浴びせられずに次々と地に伏していく。
圧倒的な実力差。残されたのは、拘束されたリアナとイザベラだけとなった。
「お兄ちゃん、ゼインさん……!」
「よく無事でいてくれた、リアナ。……あとは俺たちに任せろ」
ルークが妹へ声をかける。だが、泥だらけで縛られたリアナの姿を見た瞬間、彼の瞳には殺意が宿った。
「チッ……来るな! この小娘が――」
イザベラがリアナの背後へ隠れようとした、その一瞬の隙。
「――遅い」
ルークの手から放たれた氷の刃が、寸分の狂いなくイザベラを捉えた。
ザシュッ!! ドスッ!!
わき腹を氷の刃が容赦なく貫通し、彼女の頬も深く切り裂いた。
イザベラは背後の木の幹に叩きつけられ、ドサリと崩れ落ちた。
「あ……あぁ……」
震える指が、自身の頬に触れる。
赤い。指先が真っ赤だった。
「いや……」
もう一度触れる。
裂けた皮膚。ぬるりとした血。
「いやぁぁぁぁっ!!」
わき腹を貫かれた致命傷の痛みよりも、完璧だった『聖女の顔』が傷つけられたことへの絶望。
発狂したように叫ぶイザベラの脳内に、あの甘い声がねっとりと響いた。
『――あら。もう終わり?』
(え……?)
『このまま惨めに死ぬの? 誰にも必要とされないまま終わるの?』
イザベラは血まみれの顔を上げ、すがるように虚空を見つめる。
『……身体を私に委ねなさい。すべてを救ってあげる』
「……たすけ、て……」
イザベラが呟いた直後だった。
彼女の足元から、まっ黒の靄がボコボコと溢れ出した。
その瞬間、ルークの顔色が変わる。
「ゼイン! 下がれ」
「ルーク?」
「早く!!」
今まで感じていたものとは違う。イザベラ自身の魔力ではない。もっと底知れぬ、禍々しい何か。
ぶくぶくと不気味な音を立てて、イザベラのわき腹の傷が、黒い泥のような魔力で強引に塞がれていく。
ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳は、元の色を完全に失い、禍々しい深紅に染まっていた。
「アハッ……アハハハハハッ!!」
笑い方も、仕草も。何から何までが『別物』だった。
ゼインが即座に踏み込もうとするが、何者かに乗っ取られたイザベラが指先を軽く振ると、地面から無数の黒い蛇のような影が飛び出し、ゼインの足元を鋭く穿った。
「チィッ……!」
舌打ちして後ろへ跳んだゼインを嘲笑うように、彼女は拘束されたままのリアナの首根っこを背後から掴み上げた。
そして、影で作り出した鋭い刃を突きつける。
「動けばこの娘が死ぬわよ? ここで戦う気などないわ」
その一言で、ゼインとルークの動きが完全に止まった。
彼女はリアナを抱えたまま、近くで怯えていた馬の背へ軽々と飛び乗った。
「あの娘を連れてきなさい」
「……何?」
「この山にいる、『本物』を。わたしを拒む、あの目障りな光を持つ娘よ。……連れてくれば、この命と交換してあげるわ」
「……ッ、貴様、目的は……!」
乗っ取られたイザベラはただ、次の目的地へ向かうための『盾』としてリアナを確保したのだ。
ゼインの鋭い眼光を鼻で笑い、イザベラの皮を被った『何か』は手綱を引いた。
馬が嘶き、さらに深い山奥へと駆け出していく。
激しく揺れる馬の背で、イザベラの唇がゆっくりと吊り上がる。
だが、その深紅の瞳が一瞬だけ揺らぎ、元の色を取り戻す。
(たす、けて。いや……わたしは――)
イザベラの微かな意識が浮上し、悲痛な叫びを上げる。
しかし、それも一瞬のこと。すぐに深い闇の底へと沈み込み、禍々しい笑い声だけが山の中へ響き渡っていった。




