第88話 暴暴かれた黒魔術と偽聖女の本音
真っ黒に染まった『絶望の絨毯』の上で、イザベラは呆然と立ち尽くしていた。
称賛と羨望で満ちていた大広間の空気は、今や完全な恐怖と疑念へと反転している。
「国王陛下、ならびに皆様。彼女の行っていた治療は、聖女の奇跡などではありませんでした。痛みを感じなくさせる代わりに代償を必要とする『黒魔術』です」
ざわめきの中、オリヴィアの傍らに立つルシアンが一歩前へ出た。
彼の氷のように冷ややかな声が、広間の隅々にまで響き渡る。
「私は当初から、イザベラ様の魔法に違和感を覚えていました。どれほど強力な治癒であっても、彼女からは『精霊の気』を一切感じなかったからです」
「な、何を馬鹿な……っ」
「そのため、公爵家の資料庫にある禁書指定の記録を調べました。そこには、『痛みのみを遮断する黒魔術』の存在が記されていた。
イザベラ様がノエルや皆様に施していた『治療』の性質と、完全に一致するものです」
ルシアンの決定的な言葉に、広間の貴族たちが悲鳴のような息を呑む。
さきほど「痛みが引いた」と喜んでいた者たちは、顔面を蒼白にして自分の体を見下ろした。
「違うわ……違う! 私は人々を救っていただけです! 事実、彼らの痛みは消えたでしょう!?」
イザベラが必死に叫ぶ。
その言葉に嘘はなかった。彼女の中では、痛みを消して感謝されることこそが『救済』だったのだから。
「だとしても、あなたはその力を『聖女の奇跡』だと人々に誤認させていた」
ルシアンの容赦ない追及が、イザベラの退路を断っていく。
「あなたを聖女だと思い、救われたと感じた人々は大勢いるでしょうが……」
「なら、何が悪いのよ! 結果的に救われたならいいじゃない!」
「あなたの使うのは『代償』を伴う黒魔術だ。それを黙って人々に施していたことは、断じて許されない」
ルシアンは、足元の真っ黒な花を冷たい目で見下ろした。
「一部の痛みを消す代わりに、命を蝕むほどの穢れを街中に蓄積させる。……その致命的な代償を明かさなかった。違いますか」
「それを知ったら……誰も私を頼らなくなるじゃない!!」
イザベラの口から飛び出したあまりにも身勝手な本音に、広間は水を打ったように静まり返った。
(しまった……)というように、イザベラがハッと口元を押さえる。
だが、もう遅かった。ルシアンの誘導によって、彼女の奥底にある『本性』が引きずり出されてしまったから。
「……つまりあなたは、人々が黒魔術で苦しむことよりも、自分が必要とされなくなることの方が怖かったわけだ」
軽蔑すら含まない、ただ事実を述べるだけのルシアンの視線。
「だから何よ!!」
美しいドレスを振り乱し、イザベラはまるで駄々をこねる子供のように叫んだ。
「私だって苦しかったのよ! 力がない、無能だと言われて、誰にも見向きされなくて……ずっと惨めだった! やっと手に入れたのよ、私を必要としてくれる場所を! 特別に扱ってくれるこの力を! 誰かに選ばれる価値を!!」
偽りの慈愛は微塵もない。
そこにあるのは、ただ「捨てられたくない」「自分を認めろ」という、底なしの承認欲求とエゴイズムだけだった。彼女にとって、他者の命など、自分を飾り立てるための道具でしかなかったのだ。
「……だからといって、許されることではありません」
静かに、怒りを込めた言葉がオリヴィアから零れ落ちた。
「他者の命を犠牲にしてまで得た価値など、ただの虚構です。公爵家は、あなたのような悪魔をこれ以上、のさばらせておくわけにはいきません」
オリヴィアの冷酷な宣告と共に、広間を囲んでいた近衛兵たちが一斉に槍を構え、イザベラへと距離を詰める。
「……っ、私を、私を誰だと思っているの! 私は聖女よ!!」
絶望と怒りに顔を歪めたイザベラが、甲高い悲鳴を上げた。
「私を邪魔するなら……痛みを味わうがいい!!」
イザベラが両腕を振り上げた瞬間、彼女の体から禍々しい黒い波紋が放たれ、前方を塞ぐ近衛兵たちを直撃した。
それは、彼女がこれまで「治療」と称して隠蔽し、溜め込んでいた『他者の痛みと疲労』の逆流だった。
「ぐああっ!?」
「痛いぃっ! 体が、割れる……っ!」
波を浴びた兵士たちが、突然の激痛に次々と槍を取り落として床にうずくまる。
外傷はないが、蓄積された痛みが直接神経を焼くような感覚に、イザベラの包囲網が崩れた。
その一瞬の隙を突いて、イザベラが走り出した。
その動きを見た瞬間、エリオが短剣を放っていた。一切の迷いのない、反射に近い動作で。
「きゃあっ!?」
鋭い刃はイザベラの肉体ではなく、彼女の履いていた豪奢なヒールの踵を正確に打ち砕いた。
ヒールが折れ、足場を失ったイザベラは無様にバランスを崩し、激しく転倒する。
「痛っ……! よくも、よくも私を狙うなんて……!」
床に這いつくばりながら、イザベラはギリッと歯を食いしばった。
痛みを麻痺させる魔法を自分にかけ、壊れた靴を乱暴に脱ぎ捨てる。
それでも彼女は足を止めず、裸足のままドレスを捲り上げながら、庭へと続く空いた裏扉へと逃げ込んだ。
「逃がすな!!」
体勢を立て直した近衛兵たちが追撃を放つより早く、イザベラは王城の深い夜の闇へと姿を消した。
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