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無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第5章:動き出す運命は規格外編

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第87話 美しき夜会と、黒く染まる祝福

 王城の最も広大な大広間は、色とりどりのドレスや宝石を身に纏った貴族たちで埋め尽くされ、華やかな熱気に包まれていた。

(ああ……ついに、この日が来たわ)


 広間の入り口で待機していたイザベラは、扇の陰で密かに口元に笑みを浮かべた。


 今日、彼女はいつもの簡素で清らかな「聖女のローブ」ではなく、豪奢なドレスを身に纏っていた。金糸の刺繍と散りばめられた宝石が、彼女の美貌をこれでもかと引き立てている。


(『本日の主役にふさわしい、最高の一着をご用意いたしましたわ』……ふふっ、本当に扱いやすい女)


 この日の婚約発表のためにと、公爵夫人であるオリヴィアが直々に職人を呼び寄せて仕立ててくれた特注品だ。


 謙虚な聖女の顔はもう必要ない。今夜、公爵家との婚約が大々的に発表されれば、自分は次期公爵夫人――ひいては貴族の頂点に立つ権力が、この手に転がり込んでくるのだ。オリヴィアからのこのドレスは、まさにその「完全勝利」の証だった。


「今年の夜会は、公爵家の全面的な支援で設営されたと聞いたが……素晴らしいな」


「ええ。特にあの壇上……まるで天上の楽園のようですわ」


 貴族たちの感嘆の視線の先には、大広間の最奥に設けられた一段高い壇上があった。


 床一面が分厚い透明なガラス張りになっており、その下には無数の『純白のガラス細工のような花』が敷き詰められている。光を反射して白く輝くその幻想的な光景に、誰もがため息を漏らしていた。


 それが、ルシアンが錬金術師に極秘に加工させた『白留花はくりゅうか』――黒魔術の穢れを吸う性質を保ったまま硬化された『黒花』であることなど、誰も知る由もない。


「――国王陛下、ならびに王族の方々のご入場です!」


 近衛騎士のよく響く声と共に、広間の空気が一段と張り詰めた。


 貴族たちが一斉に臣従の礼をとる中、壇上の奥に設けられた玉座へと国王が歩みを進める。威厳に満ちた視線で広間を見渡し、国王は静かに口を開いた。


「皆の者、面を上げよ。今宵はカーライル家の尽力により、かくも美しき宴を開くことができた。数ヶ月前、王都を襲ったあの『黒花』の傷跡もようやく癒えつつある。今宵の始まりに先立ち……奇跡の力で王都を癒す、イザベラ聖女殿より『始まりの祝福』をいただこう」


(ああ……国王陛下までもが私を求めている! これ以上の舞台はないわ!)


 国王直々の呼びかけに、イザベラは最高潮の優越感に打ち震えた。


 無数の拍手と熱視線を一身に浴びながら、彼女はオリヴィアの贈ったドレスの裾を翻し、純白の花々が透けるガラスの壇上へと進み出る。


 そして、慈愛に満ちた聖女の微笑みを浮かべた。


「皆様の健やかなる日々を願い、私の祈りを捧げます」


 イザベラが両手を広げ、魔力を解放した。


 イザベラの魔力が壇上から波紋のように広がり、大広間の貴族たちを包み込んでいく。


「おお……」


「なんて心地よい……日々の疲労や痛みが、すっと引いていくようだ……」


 光を浴びた者たちは、うっとりとした表情でその奇跡を称賛した。痛みを消し去り、感覚を麻痺させる彼女の『治療』が、この場にいる全員に降り注いだのだ。


 イザベラは内心で勝ち誇り、これ以上ない勝利の甘美に酔いしれた。


 ――だが。


「……ん? おい、足元を……」


「壇上の花が……?」


 最初に異変に気づいたのは、壇上のすぐ近くにいた若い貴族だった。


 人々の疲労が消え去り、広間が歓喜に包まれるのと反比例するように、イザベラが立つガラス床の下の『純白の花々』が、ジワリ……と色を変え始めていたのだ。


 それはまるで、純白の雪に真っ黒のインクをこぼしたかのような、不気味で悍ましい変化だった。


「な、なんだあれは……!」


「白い……花が、真っ黒に染まっていくぞ!?」


 その異様な光景に、一人の年配の貴族が青ざめた顔で叫んだ。


「待ってくれ、先ほど陛下も仰ったが、あの形と不気味な色……! ま、まさか数ヶ月前に王都を狂わせた『黒花』じゃないか!?」


「く、黒花だと!? どうしてそんな恐ろしいものが聖女様の足元に……!」


 ざわめきは波のように広がり、やがて悲鳴に近いどよめきへと変わった。


 イザベラが祝福の力を強めれば強めるほど、足元の花々はより濃く、より禍々しい漆黒へと染まり上がり、ついには壇上全体が『絶望の絨毯』へと変貌を遂げた。


「え……? な、何よこれ……どういうこと……っ!?」


 イザベラは聖女の仮面を剥がれ、狼狽して足元を見下ろした。


 魔法の演出などではない。自分の力に呼応して、純白の花が不吉な黒に染め上げられたのだ。周囲からの称賛の眼差しが、一瞬にして恐怖と疑念に変わっていく。


「イザベラ様」


 騒然とする広間を切り裂くように、凛とした冷たい声が響いた。


 声の主は、広間の最前列に控えていた公爵夫人、オリヴィアだった。彼女はルシアンを伴い、パニックに陥る貴族たちを静めるように前へと歩み出る。


 その傍らで、ルシアンは広間の群衆の中に控えているエリオと視線を交わし、僅かに頷き合った。


「国王陛下、ならびに皆様、お騒がせして申し訳ありません。ですが、今皆様の目の前で起きたことこそが……公爵家から急ぎご報告すべき内容なのです」


 オリヴィアの瞳には、イザベラに向けられていたかつての熱や聖女への盲信はない。


 ただ、偽りの聖女を断罪し、自らの過ちを清算するための覚悟だけが宿っていた。

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