第72話 有能すぎる裏方と、動き出す情報網
数日後。王都、ローエン家の執務室。
「――というわけで、リアナの奴は『ダウングレードした安全な量産品』を王都で流通させるべく、すでに商会と掛け合って動き出しています。……俺は、その専属の運搬屋に任命されました」
げっそりとした顔で報告を終えたルークに対し、執務机に座るエリオは目を丸くしてパチパチと瞬きをした後、どこか引きつった笑いを浮かべた。
「……いや、すごいな。まさかあの短期間でそこまでの流通網とリスク管理を思いつくとは……。ルーク、お前の妹、ちょっと優秀すぎないか?」
「感心しないでくださいよ、エリオ様……。毎日毎日、夜遅くまで石鹸作りの特訓に付き合わされているこっちの身にもなってください……」
本気で頭を抱える従者に、エリオは「まあまあ」と苦笑いで宥めつつ、ふと思いついたようにポンと手を叩いた。
「だが、これは我々にとっても好機じゃないか? 王都の貴族令嬢や夫人たちの間で『リアナの石鹸』が流行れば、彼女の商会はまたとない情報収集の拠点になる。イザベラが入り込んでいるルシアンの母親のサロンや、あの女を『聖女』と崇めて教会に出入りする貴族たちの動向まで、客の他愛ない噂話からまとめて探れるかもしれないぞ」
名案だと言わんばかりに少し身を乗り出すエリオに、ルークはジト目を向けた。
「確かにそれは助かりますが……俺一人で山からの運搬屋をやりつつ、王都で動き回るリアナの面倒まで見るのは、物理的に限界があります。あいつ、絶対に店の切り盛りで暴走しますよ」
「あぁ、それなら丁度いい。お前の冒険者パーティーの仲間だったゼインを、リアナの店の『手伝い兼護衛』として回そう。アリシアの見張りが終わって手が空いているからな。腕も立つし、店に置いておけば安心だろう」
「ゼインを、ですか? 確かにあいつなら……」
ルークは少し考え込み、かつての相棒の顔を思い浮かべた。
無愛想で口数は少ないが、剣の腕は超一流。そして何より――。
「……昔から、俺たちが無茶をしてやらかした後、文句一つ言わずに完璧に事後処理をしてくれていたのは、いつもあいつでしたね」
「そうだ。リアナが商売で暴走した時のブレーキ役兼、裏で黙々と厄介事の『尻拭い』をさせるには、あの男以上の適任はいない」
エリオは口元に笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「おまけに、あの顔だ。凄みのある無愛想な色男が奥で睨みを利かせていれば、質の悪い客や悪徳商会に対するこれ以上ない牽制になる。表向きはただの『やり手の平民の娘の店』として、存分に王都の覇権を握らせてやろう」
「なるほど……。ゼインが裏で店を回してくれるなら、少しはマシになりそうです。俺の精神的にも」
――それから数ヶ月が過ぎた頃。
王都の一角にオープンしたリアナの店で、無愛想に黙々と荷物を運び、客同士の小さなトラブルをため息一つで鮮やかに解決するゼインの姿が、「寡黙で仕事ができるミステリアスな色男」として貴族令嬢たちの間で密かな評判を呼ぶことになる。
リアナの商才と、ゼインの完璧な尻拭い。エリオの計算通り、この店が王都における最大の『情報収集の拠点』として機能し始めるまで、そう時間はかからなかった。
◇ ◇ ◇
一方、その頃。当のセラは――王都で自身の石鹸が覇権を握り始めていることなど露知らず、山で土いじりに精を出していた。
「よしっ! 灰を、こうして土に混ぜ込めば……ふかふかのいい堆肥になるはず!」
セラは麦わら帽子をかぶり、額の汗を拭いながら満足げに頷いた。
足元には、川から汲んできたばかりの冷たい水がたっぷり入った器が置かれている。
少し離れた大樹の木陰では、ノクスが、前足に顎を乗せたままその様子を気怠げに眺めていた。
(……阿呆が。ただでさえ異常な精霊の加護を受けているというのに、またあの灰を使っているのか。)
セラの『灰』とは、セラが作業する際に周囲の『火の精霊』たちが大はしゃぎして尋常ではない魔力を溜め込んだ特級のものだ。
それを無造作に土に混ぜ、あろうことか鼻歌交じりに川の水をバシャバシャと景気良く振り撒いている。水分に反応して、今度は『水と土の精霊』たちまでがお祭り騒ぎで集まり始めていた。
セラの目には「ちょっと水はけのいい普通の土」にしか見えていないようだが、神獣であるノクスの目には、大喜びの精霊たちが光の粒となって舞い踊り、畑の土がありえないほどの魔力を帯びて眩いばかりに輝いているのがはっきりと見えていた。
「よし、土はこれでバッチリ! 栄養満点になったよね!」
(栄養満点などという次元ではない。これから先、その畑にはいかなる害虫も寄り付かず、気候すら無視して、おぞましいほど完璧な味わいの野菜が育つだろうな……)
ノクスは呆れ半分で目を細めたが、決して口を挟むことはなかった。
この規格外の娘が、どこまで無自覚に奇跡を垂れ流すのか。今はただ、特等席からその滑稽な光景を傍観しているのが、彼にとって何よりの暇つぶしだったからだ。
王都で動き出しているキナ臭い陰謀劇も、己を取り巻く神話級の秘密もどこ吹く風。
セラの平和で忙しいスローライフは、今日も絶好調であった。
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