第70話 あっけなく決まった。
「お、おい何言ってんだお前!」
ルークは慌ててリアナの肩を掴み、引き剥がそうとした。
この規格外の少女とこれ以上関われば、妹の常識も平穏な日常も跡形もなく消し飛ぶ。それだけはなんとしても阻止しなければならなかった。
「ちょっとお兄ちゃん、邪魔しないでよ! 私、本気なんだから!」
「本気じゃない! 頼むから大人しく引き下がってくれ!」
「嫌だ! お願いです、あの石鹸の作り方とか、このお茶の淹れ方とか、私なんでもお手伝いしますから!」
必死で止める兄の手を振り払い、リアナは目をキラキラと輝かせてセラを見つめた。
完全に信者の目だった。たった一杯のお茶で、彼女はルークの引いた予防線をいとも容易く飛び越えてしまった。
「ええっと……弟子?」
当のセラは、二人のドタバタ劇をポカンと見つめていた。
「そんな大層なこと教えられないよ? ただ趣味で作ってるだけだし……」
「その趣味の次元が違うんです! どうか、私をそばに置いてください!」
「おいリアナ、お前本当に……っ」
「うーん……」
ルークの制止をよそに、セラは腕を組んで少しだけ悩む素振りを見せた。
頼む、断ってくれ。面倒だと、素人には教えられないと突き放してくれ。
ルークが内心で必死に祈りを捧げた、その時だった。
しかし、そんな兄の切実な願いなど知る由もなく、リアナは改めてセラへ向き直った。
そして、コホンと一つ咳払いをする。すると先程までの「熱狂的な信者」から、突如として「敏腕の商人」のような鋭い目つきに切り替わった。
「お師匠様! ただ弟子にしてくれとは言いません。私を側に置いていただければ、必ずお役に立ってみせます!」
「ええっと……お役にって?」
戸惑うセラの前で、リアナは身を乗り出して熱弁を振るい始めた。
「一番弟子にしていただいた暁には、あの香り付き石鹸の流通ルートを私が確立させます」
「……はい?」
「おいリアナ、お前何言い出して……っ」
慌てるルークを手で制し、リアナの口調はさらに熱を帯びる。
「あの石鹸の効能と香りは、確実に王都の貴族令嬢たちの間で社交界を席巻します。まずは限られた伝手で『知る人ぞ知る幻の美容石鹸』として口コミで価値を高め、ゆくゆくは季節に合わせた花の香りで種類を増やしていくのです。完全予約制の受注生産にすれば、どれだけ高値でも飛ぶように売れるはずです!」
「あ、種類ならもういくつか作ってあるよ?」
「……えっ?」
熱弁を振るうリアナの言葉を遮るように、セラはひょいっと立ち上がると、棚から木箱を一つ持ってきた。
コトリとテーブルに置かれた箱の中には、色とりどりの石鹸がずらりと並んでいる。
「これは肌荒れに効く薬草を練り込んだやつでしょ。こっちは見た目が可愛い色付き石鹸。あとは……リアナちゃんに渡したのとは別の、違うお花の香りのやつとかかな」
「す、すでにそこまでの品揃えを……っ!?」
リアナは箱の中身を見て、わなわなと震えた。
(私が提案するまでもなく、すでに顧客の需要を見越した商品展開を完了させている……っ! なんという先見の明、なんという商才! やはりこのお方、ただ者ではないわ!)
完全に誤解だった。
セラはただ『自分が使って楽しいもの』を趣味の延長で作っていただけである。
しかし、すっかり信者の目になっているリアナには、完璧に計算し尽くされた商人の戦略にしか見えなかった。
「石鹸を包む布袋にもこだわりましょう。可愛らしい刺繍を入れれば、贈り物としての需要も……」
「あ、小袋はまだ作ってないけど、刺繍なら得意だよ。ハンカチに刺したものならあるけど、こんな感じのどうかな?」
セラはそう言って、引き出しから一枚のハンカチを取り出した。
そこには、繊細で美しい花の意匠が、まるで芸術品のような滑らかな糸運びで縫い込まれていた。
「す、素晴らしい……っ! 王都の一流職人にも引けを取らない見事な刺繍です! これを包装に使えば、付加価値はさらに跳ね上がります!」
リアナはハンカチを両手で押し頂き、わなわなと震えた。
(私が提案するまでもなく、すでに顧客の需要を見越した商品展開を完了させ、さらには付加価値を高める技術まで持ち合わせている……っ! それなのに、ご自身の才能に全く無自覚だなんて。やはりこのお方、ただ者ではないわ!)
完全に過大評価だった。
セラはただ『自分が使って楽しいもの』を趣味の延長で作っているだけである。しかし、すっかり信者の目になっているリアナには、底知れない才能の塊にしか見えなかった。
「本当? よかったー。じゃあ今度、袋用の布にもチクチクやってみようかな」
「はい! 私が布の調達と販売ルートを完璧に整えてみせます、お師匠さま!!」
「でもお師匠様は大袈裟だってば~。普通にセラでいいよ」
「はい! セラ様!」
「様もいらないんだけどなぁ……」
苦笑するセラと、見事プレゼンを成功させてキャッキャと目を輝かせるリアナ。
すっかり意気投合してしまった二人の少女を前に、ルークはついに完全に動きを止めた。
――『また一人、増えるな』
昨日のエリオの言葉が、呪いのように脳内をリフレインする。
まさか、被害者が増えるどころか、自ら進んで底なし沼へとダイブしていくとは。
しかも『助手』などという最も抜け出せないポジションに自らおさまっただけでなく、あろうことかこの規格外の産物を王都へ流通させようと画策し始めている。
そしてその『完璧な隠れ蓑』として、否応なしに自分まで巻き添えにされる未来が確定してしまった。
エリオ様。
あなたの予言は、最悪の形で的中してしまいました。
ノクスが我関せずと退屈そうに欠伸をする傍らで、ルークは一人、二度と戻らない妹の常識と、確実に穴が開くであろう己の胃袋のために、胸の前でそっと祈りの印を結んだ。
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