第68話 そして、リアナへ
どうやって渡すか、ルークは夕方からずっと考えていた。
どう言い繕えば、この規格外の代物を怪しまれずに渡せるか。いや、使用感が異常なのは確定しているのだから、誤魔化しきれない前提でいかに完璧な口止めをするべきか。
頭をフル回転させた末、結局、夕食後に呼び出すことにした。
「リアナ、少し良いか」
「なに? 改まって」
リアナは首を傾げながら椅子へ座る。
ルークは静かに布袋をテーブルへ置いた。まるで爆発物でも扱うかのような、ひどく慎重な手つきだった。
「渡したいものがある」
「……なに、これ」
「石鹸だ」
リアナはぱちりと瞬いた。
「前に、皮膚病の治療で使われてた石鹸あっただろう」
「うん、なんか急に収まったやつ」
「あれを考えた人が、直接作ったものだ。だから出回ってるものより効果が段違いに出る」
半分本当で、半分嘘だ。
ただの『段違い』などという生易しいものではないことをルークは痛いほど知っていたが、これ以上上手い言い訳は思いつかなかった。
「え、そうなの?」
「作った人に迷惑が掛かる。だから絶対に口外しないと約束してくれ」
念を押すように低くした声に、リアナはルークの顔を見た。
いつもと違った。
いつもなら少しくらいからかえる隙があるのに、今日のルークにはそれがない。冗談の一つでも言えば射殺されかねないほどの、異様な緊迫感が漂っていた。
――たかが石鹸一つで、どうしてここまで思い詰めた顔をしているのだろう。
そう疑問に思いながらも、彼のあまりの真剣さに、リアナは小さく息を呑む。
「……分かった。約束する」
「ああ」
ルークは少し間を置いてから、最大の懸念事項を口にした。
「お前が俺のことを勘違いしていただろう。そのことがその人に伝わって、お詫びにとくれたものだ」
「え、彼女じゃないの?」
「そうだ」
ピシャリと否定し、ルークは内心で深く、深いため息を吐いた。
よし。これでひとまず最悪の誤解(恋人からの贈り物疑惑)は解けたはずだ。あとはこの規格外すぎる効能を、妹がどう受け止めるかだが……これ以上の予防線はもう張りようがない。
そんな兄のひそかな疲労感など知る由もなく、リアナは布袋をそっと手に取った。
ふわりと甘い花の香りが漂う。
「ざーんねん! でも……大袈裟だなぁ」
兄の必死すぎる様子がなんだか面白くて、思わず呟いた。
石鹸一個のために、そこまで真剣に話すことないじゃないか。
でも約束はちゃんと守ろうと思いながら、リアナは上機嫌でお風呂へ向かった。
◇
良い香り。
きめ細やかな泡立ちに包まれ、洗い流した後の肌は自分でも驚くほどつるつるになる感じがする。
癒される。ふわふわする。
なんだか気分まで良くなってきた。
リアナはのんびりそんなことを考えながらお風呂を上がり、洗面台の鏡へ何気なく目を向けた。
……あれ。
思わず顔を近づける。
もう一度、まじまじとよく見る。
「…………え?」
頬のニキビが、跡形もなく消えていた。
いつもこの時期になると出てくる、あの憎き頑固なやつが。
それだけではない。肌の色も、なんか違う。異常なほど透明感がある。
洗っただけで?
たった一回で?
リアナはしばらく、鏡の前で石像のように固まった。
そして。
猛烈な勢いでダッシュした。
◇
「お兄ちゃん!!」
バンッ!と蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで扉が開く。
ベッドで本を読んでいたルークは、微動だにせず、ゆっくりと顔だけを上げた。
「……なんだ」
「なんだじゃないよ!! これ、なに!?」
リアナは興奮しきった様子で、自分のつるつるの顔を指差した。
「石鹸使ったのか」
「そう! ねえ、ニキビ消えてるんだけど!! 一回で!?」
「……だから効果が段違いだと言っただろう」
「大袈裟だと思ってたのに!!」
大騒ぎする妹を前に、ルークは一切の感情を捨てた顔で、静かに本へ視線を戻した。
「約束は守れよ」
「……う、うん」
リアナはまだ興奮冷めやらない様子で自分の頬を触りながら、それでも少しだけ神妙な顔になった。
「……その人、すごい人なんだね」
「ああ」
「お礼、言いたいな」
「それは難しい」
「なんで!?」
「色々あるんだ」
「でも、すごいよ! すごいってば! ねえ、お兄ちゃん! その人紹介して!!」
「できるはずないだろう」
ルークは即答した。あの規格外の聖女に、このテンションの妹を会わせたらどうなるか。火を見るよりも明らかである。
「なんで!? お兄ちゃんなら絶対できる!」
「できない」
「一生のお願い!!」
「一生のお願いを軽々しく使うな」
「これ以上に使う場面ないもん! ねえ! お願い! 紹介して!!」
すがりついてくる妹を見下ろし、ルークは静かに本を閉じた。
――どう説明したものか。いや、もう何を言っても無駄だろう。
「……善処する」
「本当に!?」
「善処すると言っただけだ」
「やった!!」
リアナは満面の笑みで部屋を飛び出していった。
嵐が去った後の静寂の中、ルークはベッドに倒れ込み、しばらく天井を見上げた。
善処できる気が、全くしなかった。
◇
「……と、言うわけなのですが」
翌日。ルークは死んだ魚のような目で、静かに報告を終えた。
話を聞き終えたエリオは、しばらく無言だった。
「……そうなるよね」
「ええ」
「石鹸一個でそこまでならないよね、普通なら」
「ええ。普通じゃないので」
二人はひっそりと息を吐き、静かに顔を見合わせた。
「朝、家を出る時もわざわざ見送りに来まして」
「妹が?」
「『お兄ちゃん、絶対伝えてね』と念押しされました」
逃げ場のないルークの状況に、エリオは同情するように苦笑した。
「……セラの事だから、絶対『良いよ!』って言うだろうけど」
「そうですね。断る理由がないと言い出すでしょう」
「いや待て……でもまあ、セラだしな……」
エリオは少し悩むように唸ってから、やがて諦めたように軽く肩をすくめた。
「来週山へ行く時、連れてきたら?」
「よろしいんですか」
「まあ、セラのことだ。喜ぶだろう」
その言葉に、ルークは深く、心底安堵したように頭を下げた。
「ありがとうございます。妹に伝えておきます」
「ああ」
エリオは窓の外へ視線を向けながら、小さく息を吐いた。
「……また一人、増えるな」
「申し訳ありません」
「謝るな、お前のせいじゃない」
そう。どちらのせいでもなかった。
全部、セラが原因だ。




