第66話 朝の光を浴びて
山頂への道を、ノクスの背に揺られながら進む。
夜明け前の空は深い藍色で、星がまだはっきりと見えた。
「来たよ来たよ! 念願のプチ旅!」
「……旅と呼ぶには短すぎる」
「細かいことは気にしない!」
ノクスは短く息を吐いた。
「だいたい、何故夜明け前から動き出す必要がある」
「山頂で朝日を見たいから!」
「それだけのために叩き起こされた」
「起こしてないよ。ノクス、寝ててもすぐ起きるし。いつも私より早く起きて狩り行ってるよね」
「…………」
反論できなかったらしく、ノクスは黙った。
セラはノクスの首元へしっかり掴まりながら、冷たい夜風に頬を撫でられて思わず笑みを零す。
速い。
なのに、不思議と怖くなかった。
大きな身体は驚くほど安定していて、揺れも少ない。
眼下を流れていく森を見下ろしながら、セラは思わず声を上げた。
「すごい……! 本当に空飛んでるみたい!」
「飛んではいない」
「気分の話!」
さらに思わず、首元の毛並みに顔を埋める。
「あとふかふか!」
「……こそばゆい。やめろ」
口ではそう言いながらも、ノクスの尻尾は不機嫌さとは裏腹にゆったりと揺れている。
「えー」
念願だった!
エリオとルークさんが乗せてもらったと聞いた時から、実はずっと「私も!」と憧れていたのだ。
びゅんびゅんと風を切って進むから空気はひんやり冷たいけれど、それがたまらなく心地いい。
むしろ、澄み切った空気をいっぱいに吸い込むと、胸の奥まですっきりして最高に楽しい!
「わ、見て。星すごい」
「山は空気が澄んでいるからな」
「街だとこんなに見えないもんねぇ……」
前世でも、こんな空を見た記憶はあまりない。
夜でも明るい場所ばかりだった。
だからこそ、今見えている景色は少し不思議だった。
静かで。
広くて。
世界に自分たちしかいないみたいで。
「落ちるなよ」
「落ちないよ!」
「さっき身を乗り出していただろう」
「ちょっとだけ!」
ノクスは呆れたように息を吐いた。
だが速度は少し緩んでいた。
◇
山頂へ着いた頃には、空の端がわずかに白み始めていた。
まだ暗い。
だが夜と朝の境界が、ゆっくり世界へ滲み始めている。
「寒っ!」
「当たり前だ」
セラはマントへ慌てて包まりながら、マジックバッグを開けた。
「でも準備は完璧!」
「……何をする」
「昨日から煮込んでおいたスープがあるから、温め直すだけ!」
「……準備が良いな」
「でしょ!」
セラはさっそく鍋を取り出し、焚き火の準備を始める。
だが火をつけた瞬間、すぐに気づいた。
「あれ?」
火が弱い。
ぱちぱちと頼りなく揺れるだけで、なかなか勢いが出ない。
「あ、そっか。高いところは酸素が薄いんだった」
「酸素?」
「えーと、空気?」
「曖昧だな」
「前世知識だから!」
ノクスは半眼になった。
セラが時々口にする“前世知識”というものは、未だによく分からない。
だが妙なところで役に立つのも事実だった。
セラが焚き火の前で「あれぇ?」と悩み始めた頃。
ふわりと風の流れが変わる。
「風を抑えた」
「ありがとう! でも火力自体が弱くて」
「……鍋を避けてくれ」
ノクスは僅かに目を細め、焚き火の周りの風の流れを操った。
空気が送り込まれ、火がじわりと勢いを増していく。
「おおっ!」
セラは目を輝かせた。
「すごい……! ノクス、風魔法ほんと便利!」
「大したことではない」
「いや絶対便利!」
火が安定し、鍋から少しずつ湯気が立ち始める。
セラは満足げに頷きながら、次は包みを開いた。
「サンドイッチもあるよ」
「随分持ち込んだな」
「山頂ピクニックだから!」
「だから何故そうなる」
ノクスは呆れていたが、セラは気にしない。
こういうのは雰囲気が大事なのだ。
「ノクスの分も作ってきたよ」
「我は食べない」
「はいはい」
どうせ後で食べるくせに、と思いながら、セラは黙って皿を置いた。
◇
空が、少しずつ色を変え始めた。
藍色だった空へ、淡い赤が滲んでいく。
セラはそわそわしながら空を見上げ始める。
「来るよ来るよ……!」
「何がだ」
「朝日! もうすぐ!」
ノクスは特に興味なさそうにしていた。
そして地平線の向こうが、じわりと赤く染まり始めた瞬間。
「きた!!」
セラは勢いよく立ち上がった。
山頂よりずっと低い場所に、白い雲の海が広がっている。
その向こうから、ゆっくりと太陽が顔を出した。
赤く滲んだ空が、少しずつ橙へ変わっていく。
やがて溢れた金色の光が、雲海の上を滑るように広がった。
「うわあ……!」
思わず声が漏れる。
光が動いている。
世界が少しずつ目を覚ましていくみたいだった。
「ノクス見て見て! 雲が下にある!」
「見ている」
「すごくない!?」
「………」
ノクスは答えなかった。
ただ、雲海の向こうへ静かに視線を向けている。
冷たい風が吹く。
けれど、不思議と寒さは気にならなかった。
セラは湯気の立つスープを両手で包み込み、小さく息を吐く。
「なんか、世界って広いね」
「今更だな」
「でも、山来てから知らなかったこといっぱい知れてるから!」
空も、山も、こんな景色も知った。
セラは隣へ視線を向ける。
「ノクス、楽しい?」
「…………」
「ノクス?」
少し間を置いてから。
「……悪くない」
絞り出すような声だった。
セラはぱっと顔を輝かせる。
「でしょ! 来て良かったでしょ!!」
「騒がしい」
「だって嬉しいもん!」
ノクスは短く息を吐いた。
だが視線はまだ、雲海の向こうへ向いたままだった。
何百年も生きてきた。
山も、空も、朝日も見慣れている。
それなのに。
こんな風に誰かの隣で眺める景色は、少しだけ違って見えた。
セラは笑いながらスープを一口飲む。
温かい。
空気は冷たいのに、胸の奥は妙にぽかぽかしていた。
山頂の朝ごはんは、きっとこれから何度でも来たくなる。
そう思えるくらいには、最高だった。
「さて」
セラは大きく伸びをしながら立ち上がった。
「今日は何をしようかな!」
せっかくの静かな余韻をあっさりとぶち壊す、底抜けに明るい声。
ノクスはゆっくりとセラを見上げると、ひどく深く、呆れ果てたようなため息を吐いた。
「……もういい。帰るぞ」
「えっ!? なんで!?」
ちなみに、息抜きに(?)
初めてTSラブコメ短編を書いてみました!
「誰が鬼ですって? 〜王妃と入れ替わった王様、可愛すぎる自分の妻に理性がもちません!?!?〜」
外では最強、内ではバカップルな夫婦のお話です。
※TS(入れ替わり)・夫婦の甘々イチャイチャ強めなのでR15設定にしています。
もしご興味ありましたら覗いていただけると嬉しいです!




