第65話 春がきた?
王都での騒動がようやく落ち着き、久しぶりに実家へ顔を出した日のことだった。
――とはいえ、ここ最近はエリオ様の付き添いだ何だで走り回っていたせいで、まともに帰れていなかったのだが。
「ただいま」
玄関を開けた瞬間。
「あらやだ! また急に帰って来て!」
母の声が飛んできた。
ぱたぱたと台所へ向かいながら、慣れた手つきで料理を温め直していく。
「悪い」
「本当にもう。食べるわよね?」
「ああ」
冒険者を辞めてから、生活は大きく変わった。
今はエリオ様の従者として動くことが多く、以前より安定はしている。だが、その分慌ただしい日々が続いていた。
だからこそ、こうして実家で食卓を囲む時間は少しだけ気が抜ける。
漂ってくる料理の匂いに、ようやく少し肩の力が抜ける――そう思った時だった。
何故か、妙に視線が痛い。
……嫌な予感しかしなかった。
「ねえねえ」
妙にテンションの高い声。
視線を向ければ、栗色の髪を揺らした二つ下の妹・リアナが、にやにやしながら近づいてきた。それも小声で。
「……なんだ」
「彼女できた?」
「は?」
あまりにも唐突な一言に、ルークは真顔になった。
リアナはじーっと兄を見つめてくる。
「最近帰って来るたび変なんだけど」
「何がだ」
「前はあんなに沈んでたのに、最近は妙に生き生きしてる」
「…………」
「急に安定した仕事に就いたし」
「それは縁があったからで」
リアナはじっとルークを見る。
「……誰かいる?」
「は?」
「だって最近、雰囲気違うもん」
そして、すん、と鼻を鳴らした。
「なんか良い匂いする」
ルークは無言で固まった。
それに関しては思い当たる節しかない。
きっとセラ様の石鹸だ。
山へ行くたび、「次、これ試してみて」と押し付けてくる石鹸。
「あと肌綺麗」
……それも石鹸だ。
「気のせいだろ」
「前より疲れた顔してない」
それも心当たりがあった。
最近では、「日持ちしやすいパンを作ってみた」と、ラスクという食べ物まで持たされている。
セラ様と関わってから生活の質が、明らかに変わっていた。
「気のせいだ」
「その反応、怪しい」
リアナは確信したように目を輝かせた。
「やっぱり彼女だ!」
「違う」
「でも女の人でしょ?」
「…………」
「わぁ」
リアナの顔がぱっと明るくなる。
「兄ちゃんに春が来た……!」
「来てない」
「最近、お兄ちゃんのこと良いって言ってる子もいるんだよ? だから隠さなくても大丈夫! 応援するから!」
「だから違う」
ルークは深く息を吐いた。
だが、リアナは止まらない。
「どんな人!? 可愛い!? 美人!?」
「落ち着け」
「手とか繋いだ!?」
「繋いでない!」
「え、じゃあこれからってこと!?」
「何故そうなる!」
普段より少し強い口調に、リアナは一瞬だけぴたりと止まった。
そして数秒後。
「……つまり、気になる人はいるんだ」
「違う」
「えー! 絶対そうだよーー」
ルークは思わず顔をしかめる。
「二人とも、そこで何こそこそしてるの?」
台所から戻ってきた母が、不思議そうに首を傾げた。
リアナはぱっと振り返る。
「なんでもなーい!」
「怪しいわねぇ」
そう言いながら、湯気の立つ皿を机へ並べていく。
「ほら、冷める前に食べなさい」
「ああ」
ルークは短く返事をしながらナイフとフォークを手に取った。
だが隣では、リアナがまだにやにやしている。
「……なんだ」
「別にー?」
全然別にではなかった。
絶対に後で続きを聞き出す気の顔だ。
ルークは深く息を吐く。
「その話は後だ」
「やっぱり何かあるんじゃん!」
「違う」
ルークは黙って食事を続けた。
しばらくは食器の音だけが続いた。
「随分仕立ての良い服ね」
母が、ルークの上着をしげしげと眺めた。
「やっぱりお貴族の元で働くとなると、全然違うわねえ」
「まあ……制服とは別に、外出が多いから一式揃えてもらった」
山のことは、さすがに言えなかった。
「まあ」
母は目を細める。
「良い方に仕えてるのね」
「凄く良くしてもらってる」
何気なく返した一言だった。
だが隣で、リアナがぴくりと反応したのが分かった。
視線を向ければ、にやにやの圧が増している。
「……なんだ」
「べっつにー?」
全然別にではなかった。
「良くしてもらってる、かあ」
リアナはわざとらしく呟く。
「うん、良かったじゃない。ねえお母さん」
「そうね、安心したわ」
母は素直にそう言って、ルークの椀に追加でよそった。
ルークはひたすら料理を口に運んだ。
余計なことを言った気がした。




