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無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第4章:広がる想いは規格外編

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序章(第二シーズン)

「――奇跡を、お見せしましょう」


 そう告げて手をかざすと、苦痛に顔を歪めていた男の表情がゆっくりと和らいでいく。


「おお……」

「さすが聖女様……!」


 感嘆の声が広がる中、私は静かに微笑んだ。


 傷は残っている。

 熱も消えていない。


 ただ、“痛みだけ”を消した。


 それだけで、人は勝手に奇跡だと信じてくれる。


「もう大丈夫ですよ」


 優しく声をかけると、男は涙を浮かべながら何度も頭を下げた。


 そのつむじを冷めた目で見下ろしながら、私は一人、ほくそ笑んだ。


 完璧だ。


 必要なのは本物であることではない。

 “本物に見えること”。


 聖女など百二十年も現れていないのだから、比較できる者など存在しない。ならば、それらしく振る舞えばいいだけだ。


 利用できるものは全部使う。


 教会も。

 この不気味な力も。

 聖女という肩書きも。


 そうして私は、“選ばれる側”へ上がってきた。


 最初からこうだったわけではない。


 名前も家も知らず、気づけば孤児だった。

 覚えているのは空腹だけ。寒さに震えながら、誰かに選ばれるのを待つ日々。


 だから、選ばれなければ終わるのだと、幼い頃から知っていた。


 教会へ拾われてしばらく経った頃だった。


 イザベラは、ある大神官の後を密かにつけていた。


 きっかけは些細な違和感だ。


 その大神官は、決まって夜更けになると一人で礼拝堂の奥へ消えていく。誰にも見られぬよう周囲を確認し、普段は決して使われない古い扉を開けるのだ。


 最初は好奇心だった。


 ただ、何があるのか知りたかった。


 選ばれる側の人間だけが知っている秘密が、そこにある気がしたから。


 冷たい石階段を、息を殺して降りていく。


 湿った空気。

 薄暗い地下通路。


 やがて大神官の背中が消えた先で、イザベラは思わず息を呑んだ。


「……きれい……」


 地下空間いっぱいに、白い花が咲いていた。


 白留花はくりゅうか


 淡く光を反射する花弁は、まるで星屑を地面へ散りばめたようだった。


 その中に時折、黒や灰色の花が混じっている。


 けれど、それすら不思議と醜くは見えなかった。


 静かで。

 冷たくて。

 なのに、なぜか心が落ち着く場所だった。


 大神官はその花畑の奥で祈りを捧げると、しばらくして去っていった。


 イザベラは気づかれないよう身を潜めたまま、長い間その景色を見つめ続けていた。


 それからだった。


 私が時折、そこへ足を運ぶようになったのは。


 孤児たちの騒がしさもなく、誰かに怒鳴られることもない。


 ここだけは静かだった。


 白留花に囲まれていると、不思議と“いらない子”ではなくなれた気がした。


 だから、その場所はすぐにお気に入りになった。


 ある日。


 いつものように地下空間へ降りたイザベラは、突然人の気配を感じて振り返る。


 誰か来る。


 大神官かもしれない。


 慌てて隠れる場所を探したイザベラは、花の奥に半ば埋もれるように地下に続く細い通路を見つけた。


「こんなの……前からあった?」


 躊躇いながら奥へ進む。


 空気が変わっていく。


 白留花の香りが薄れ、代わりに冷たい気配が肌へまとわりついた。


 そして。


 地下の最奥で、イザベラは“それ”を見つける。


 石台の上に、一人の女が横たわっていた。


 長い翡翠色の髪。透けるように白い肌。まるで眠っているだけのような、美しい女。


 なのに、その空間だけが異様に冷たい。


 怖い。


 そう思うのに、目を離せなかった。


 女の胸元で組まれた手。その指の間から、黒い石のついたネックレスが覗いている。


 その瞬間だった。


 ――おいで。


 頭の奥で、声がした。


 イザベラはびくりと肩を震わせる。


 誰もいない。けれど確かに聞こえた。黒い石が、微かに脈打っているように見える。


 心臓が速くなる。


 本当はいけない。触れてはいけないものだと、本能では分かっていた。


 それなのに目が離せなかった。


 まるで、自分を呼んでいるみたいに。


「……少しだけ」


 気づけば、手を伸ばしていた。


 恐る恐るネックレスへ触れた瞬間。


 ぞわり、と。


 冷たい何かが指先から身体の奥へ流れ込んでくる。


「っ――ぁ……!」


 声にならない悲鳴が漏れた。頭の奥を掻き回されるような感覚。


 耳鳴り。

 吐き気。

 焼けるような痛み。


 それでも、ネックレスから手を離せなかった。


『見つけた』


 誰かが笑った声がした。


 次の瞬間。


 ぱきり、と。


 地下空間のどこかで、何かが壊れる音がした。


 イザベラが顔を上げる。


 手に持った白留花が、じわりと黒く染まり始めていた。


「え……?」


 空気が冷える。


 けれど黒い変色はすぐ止まり、再び静寂が戻ってくる。


 荒い呼吸を繰り返しながら、イザベラは自分の手を見下ろした。


 指先から、黒い靄が漂っている。


 それはゆらゆらと揺れながら、まるで生き物のように彼女の指へ絡みついていた。


『力が欲しい?』


 また声がする。今度は、はっきりと。


 怖かった。


 でも、それ以上に胸の奥が熱かった。


 選ばれた。


 初めて、そう思った。


『選ばれる側になりたいのでしょう?』


 その問いに、イザベラは小さく頷く。


 空腹も。

 寒さも。

 捨てられる恐怖も、もう嫌だった。


 すると黒い靄がゆっくりと彼女の手を包み込む。


『ならば、与えてあげましょう』


 その声は、ひどく静かだった。


 ただ、獲物を見つけたことだけを確かめるような声。



 その日からだった。


 イザベラの“奇跡”が始まったのは。


 最初は、小さな痛みを消すだけ。


 けれど人々は涙を流して感謝し、教会は彼女を特別扱いし始める。


 その実感は、甘い毒のように彼女を満たしていった。


 ――だから最初は、気づかなかった。


 身体の感覚が少し鈍くなっていることにも。


 白留花の黒い花が、少しずつ増えていたことにも。




 私は祈り方を覚え、微笑み方を覚え、聖女らしく振る舞う術を身につけた。


 涙も笑顔も、必要ならいくらでも作れる。


 そうしているうちに、周囲は勝手に「聖女かもしれない」と言い始めた。


 滑稽だった。


 本物を知る人間など、もうほとんどいないくせに。


 でも都合は良かった。


 疑う者がいないなら、演じ切った者が本物になる。


 それからの私は順調だった。


 教会で立場を得て、貴族たちにも名が広まり、そしてついに――カーライル公爵家へ招かれる。


「お初にお目にかかります。イザベラと申します」


 重厚な応接室。公爵夫妻の視線を受けながら、私は完璧な礼を見せた。


 痛みに苦しむ少年へ、イザベラは静かに歩み寄った。


 カーライル家の次男――ノエルは、幼い頃から原因不明の病を抱えていると聞いていた。


 顔色は悪く、呼吸も浅い。

 胸を押さえる指先には力が入り、痛みを堪えているのが一目で分かった。


「無理はなさらず」


 柔らかな声でそう告げ、そっと手をかざす。黒い靄がゆらりと揺れた。その瞬間。


「……っ」


 少年の強張っていた表情が、ゆっくりと緩んでいく。


 苦痛に滲んでいた呼吸が落ち着き、震えていた肩から力が抜けた。


「痛みが……」


 信じられないものを見るように、自分の身体へ触れる。


「消えた……?」


 部屋の空気が変わった。


「まぁ……!」

「本当に……?」


 オリヴィア夫人が目を見開き、公爵も驚きを隠せない様子でイザベラを見つめる。


 そして少年自身が、ぽつりと呟いた。


「……こんなに楽なの、久しぶりです」


 その一言が決定打だった。


 公爵夫妻の視線が期待へ変わるのを、イザベラははっきり感じ取る。


 認められた。


 そう確信した、その時。


「精霊の気配がしないな」


 冷ややかな声が空気を裂いた。


 視線を向ければ、少し離れた場所にルシアンが立っていた。


 鋭い目だった。奇跡を見る目ではない。こちらの奥を探るような、冷静すぎる視線。


 一瞬だけ背筋が冷える。


「精霊にお詳しいのですか?」


 イザベラは笑みを崩さず問い返す。


 ルシアンは目を細めた。


「多少はな」


 短い返答。それ以上は追及してこない。


 代わりに、ベッド脇の少年が困ったように笑った。


「兄上は慎重すぎるのです。実際に痛みは消えているのですから」


 その言葉に、公爵夫妻もどこか同意するように頷いた。


 ルシアンだけが、静かに眉を寄せている。


 ――大丈夫。完全に見抜かれたわけではない。


 イザベラは内心で安堵しながら、優雅に一礼した。


 


 カーライル公爵家への出入りはその後も順調に続いた。


 最初は招かれる客として、次は当然のように。そして今では、門番も疑いを持たずに自然と通してくれるようになっている。

 

「よく来てくれたわね、イザベラ」

 

 出迎えるオリヴィア夫人の声は柔らかく、一礼する私を見る瞳にはすでに疑いの欠片もなかった。

 

 ある日の茶会でのこと。私は香り高い紅茶を一口含み、さも世間話のついでといった様子で、ずっと狙っていた話題を切り出した。

 

「そういえばオリヴィア様。ルシアン様にはご婚約者の方がいらっしゃると伺いましたわ」


「そうなのよ。ローエン家の長女で、セラちゃんというの。いずれあなたが公爵家に仕えてくださるなら、彼女とも関わることが増えるでしょうから覚えておいて損はないわね」

 

 夫人はそう言ってセラのことを語り始めた。活発で良い子だが、貴族令嬢としての型にはまらず少し危なっかしいのだという。彼女を嫌っているわけではないが、その奔放さを明確な「不安」として抱えているようだった。

 

 ならば、その不安を「確信」に変えてあげればいい。私は柔らかく微笑んで、まずは相手の肯定から入る。

 

「素敵な方なのですね。けれど、オリヴィア様がそれほどまでに案じられるとは。まだお若いようですし、立派な公爵家を支えるお立場になるにあたって、少しサポートする者がいればより安心かと思われますわ」

 

 心配する聖女という完璧な仮面を被り、夫人がわずかに首を傾げたタイミングを見計らって自然な流れで次の石を置く。

 

「実は私に、とても信頼しているメイドがおりますの。ご婚約者様の教育を少しばかりお手伝いするという形で、侍女としてお側に置いていただくことはできませんか? 私の片腕とも言える子ですので、必ずお役に立てるかと思います」

 

 押しつけず、あくまでも慈愛からの提案を装う。私を信じきっている夫人にとって、それは願ってもない助け舟に映ったようだ。

 

「そうね。確かにその方が安心かもしれないわ。イザベラ様がそれほど仰ってくださるなら、ぜひお願いしたいわね」

 

 決まった。悟られぬよう静かに息を整えながら、私は内心で嘲笑う。お馬鹿さん。私の駒があなたの隣に立つことも、それが誰を追い出すための牙になるかも、これっぽっちも疑わないなんて。

 

 それから少しずつ、屋敷に潜り込ませた侍女から「報告」が届くようになった。些細な出来事、小さな失敗、危うい行動。どれも嘘ではないが、悪意を持って切り取り方を変えただけのものだ。

 

「本日も、庭で高い木に登られておりました。足を滑らせかけ、周囲の制止も聞かずに、とのことです」

 

 静かに読み上げられる報告を聞く公爵夫妻の表情が、心配から不安へ、そして「公爵夫人には不向きである」という明確な苛立ちへと少しずつ変わっていく。

 

「やはり、危険だな」

「悪い子ではないのだけれど……。公爵家としては、このままでは難しいわね」

 

 夫人の口からついにその言葉が出た時、私は初めて深く静かに目を閉じた。地道に積み重ねてきた悪評は、そう簡単には覆らない。

 

 カーライル公爵家を後にして数日が経った頃。

 

 私は教会の一室で、静かに報告書に目を通していた。公爵夫妻の反応は申し分なく、ルシアンも警戒はしているが明確な拒絶はしていない。流れはできている。あとはもう一歩押し込むだけだ。

 

「イザベラ様。カーライル家より、通達が届いております」

 

 扉の外からの控えめな声に、来たわ、と思わず早足で向かう。神官から差し出された封を受け取ると、厚みはなかったが、その中身はもう十分に分かっていた。

 

 届けられたばかりの封書に指をかける。上質な紙からは、オリヴィア夫人が好む淡い薔薇の香りが漂ってきた。

 


『親愛なるイザベラ様

 先日は、あなたが信頼されているという侍女のアリシアを紹介してくださり、本当にありがとうございました。

 彼女からの報告を受け、こちらでも改めて状況を確認いたしました。残念ながら、公爵家としての判断を下さざるを得ない事実が明らかになりました。

 本日、セラ・ローエンとの婚約を解消する運びとなりました。

 落ち着きを取り戻した折には、またぜひお招きしたいと思っております。


 オリヴィア・カーライル』



「ふふっ、お疲れ様」


 読み終えた手紙を机に置き、私は鏡に映る自分に向かって微笑みかけた。送り込んだ侍女が期待通りに動いた、ただそれだけのことだ。


 再調査なんて笑わせる。私の息がかかった侍女が差し出す証拠を、自分の目で見つけたと思い込んでいるだけだ。信じたいものだけを見る。貴族とはみなそういうものだ。


 私にとって、セラの行動などどうでもいいことだった。ただ彼女は公爵家という「椅子」に座るのに邪魔だったから、自分の駒を使って公爵夫人の手で掃除させたに過ぎない。


 あんな無能を嫁に迎えるなんて、この家もどうかしていたのだ。でもこれでようやく、ふさわしい人間が座るべき場所が空いた。


 婚約解消を告げる「不適格」という三文字を愛おしげに指でなぞる。そこに喜びも高揚もない。綿密に組んだパズルが完成した、ただそれだけの話だ。


 手を開く。指先から黒い靄が静かに揺れた。


 その瞬間。


 ふと、ティーカップを持つ指先の感覚が薄いことに気づく。


 最初はほんの少し痺れるだけだったのに。次に味覚が鈍り、最近ではこの紅茶の熱すらもうっすらとしか感じられない。


 でも、問題ない。この程度で止まるなら、とっくにやめている。


 カーライル公爵家。あの場所にさえ手が届けば、もう自分の身を削る必要すらなくなる。


 本物の聖女である必要などない。


 必要なのは、周囲が"本物だ"と信じることだけ。


 だから私は迷わない。


 黒い靄が、ゆらりと揺れる。


 ――その奥で、蛇のような"何か"が静かに笑っていたことに、私はまだ気づいていなかった。

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