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無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第3章:山の恵みは規格外編

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第55話 減り始めた患者

 教会の診療室は、妙に静かだった。


「……本日の受付は以上です」


 司祭の声が、どこか戸惑ったように響く。


 イザベラは書類から顔を上げた。


「以上?」


「は、はい……」


 司祭は困ったように視線を泳がせる。


「本日の診療希望者は三十二名のみでして……」


 三十二。


 つい数日前まで、百人近くいたはずだ。


 咳き込む声も。

 苦しげな呻きも。


 今日は随分少ない。


「流行が落ち着いてきたのでは!」


 別の司祭が明るい声を上げた。


「さすが聖女様です!」


「ええ、きっと聖女様のお力が街に――」


 口々に称賛が飛ぶ。


 イザベラは穏やかに微笑んだ。


「……そうなら、良いのですけれど」


 けれど。


 黒花は減っていない。


 むしろ街の各所で増え続けている。


 空気も変わらない。


 瘴気は今も、この街を静かに満たしている。


 それなのに。


 患者だけが減っていた。


「原因は分かっているのかしら?」


 イザベラが静かに問うと、司祭たちは顔を見合わせた。


 やがて一人が、おそるおそる口を開く。


「その……最近、治療院で使われ始めた薬剤があるようで……」


「薬剤?」


「は、はい。水を混ぜると泡立つらしく……皮膚症状への効果が高いとかで」


 その瞬間。


 イザベラの指先がぴくりと揺れた。


 けれど表情は崩さない。


「……素晴らしいことですわね」


 柔らかな声。


「病に苦しむ方が減るのなら、それが一番ですもの」


「さすが聖女様……!」


 感嘆の声が漏れる。


 イザベラは静かに微笑みながら、そっと目を伏せた。


 薬草でもない。


 聖水でもない。


 祈祷ですらない。


 それなのに、患者が減っている。


 理解できなかった。


「……どこから広まったものなの?」


 静かな問いに、司祭が慌てて答える。


「詳しくはまだ。ただ、ローエン家のエリオ様と、カーライル家のルシアン様が関わっておられるとか……」


 ローエン家。


 そしてカーライル家。


 イザベラの目が、わずかに細くなる。


 本来、深く関わるはずのない組み合わせだ。


 ましてルシアンは、あの婚約破棄以降、社交界でも必要以上に目立つことは避けていたはず。


 それなのに、なぜ今になって。


「そう」


 短く答えながら、イザベラはカップへ指先を添えた。


 胸の奥がざわつく。



 その日の午後。


 イザベラは静かな部屋で紅茶を口にしていた。


 向かいには、一人の侍女が立っている。


 アリシアだった。


「最近、あなたのいたローエン家が妙な薬剤を扱っているそうね」


 穏やかな声。


「皮膚病に効くとかで、治療院の方々が随分騒いでいるそうですわ」


 アリシアは小さく俯いた。


「……申し訳、ございません。存じ上げません」


 ローエン家でその様な話は聞いたことが無かった。


 最近では、エリオやルーカスが使用人達へ余計な詮索を禁じることも増えていた。


 何かを隠している。


 それだけは分かる。


 けれど、自分のような侍女に重要な話が降りてくることはない。


「……そう」


 イザベラは静かに紅茶を口へ運ぶ。


 そして、興味を失ったように淡く笑った。


「なら、仕方ありませんわね」


 その声音は穏やかだった。


 けれど。


「使えない者を置いておく理由もありませんもの」


「あ……っ、お待ちください、私は――」


 イザベラは静かにアリシアを見た。


 ただそれだけで、言葉が続かなくなった。


 アリシアの肩がびくりと震える。


 イザベラは優雅にカップを置いた。


「安心なさい。代わりなど、いくらでもいるわ」


    


 夕方。


 診療を終えたイザベラは、教会裏の路地を歩いていた。


 ふと、足を止める。


 黒花が群生していた壁際。


 そこには今も、黒い花が咲いている。


 むしろ数は増えていた。


 なのに。


 患者は減っている。


「……どういうこと?」


 小さく呟く。


 その時だった。


「見て! 前より赤くない!」


 子供の声。


 振り向けば、母親に手を引かれた少年が、嬉しそうに腕を見せていた。


 荒れていた皮膚は、確かに少し落ち着いている。


「最近、治療院で貰ったやつ使ってから痒がらなくなったのよ」


「うちもよ。今、みんな探してるらしいわ」


 楽しげな会話。


 イザベラは静かに目を細めた。


 最近、治療院で使われ始めたという奇妙な薬剤。


 それで確かに患者が減っている。


 理解できなかった。


 けれど。


 黒花は今も街に咲いている。


 空気も、瘴気も、確かに満ちている。


 なら問題ない。


「……もう少し」


 そうすれば、もっと力をいただける。


 もっと多くを救える。


 あの程度の薬剤など、いずれ意味を失う。


 そう思いながら、イザベラはゆっくりと踵を返した。

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