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無自覚聖女から始まる辺境山暮らし 〜婚約破棄されたけど、神獣と精霊に愛されています〜  作者: なな日々
第3章:山の恵みは規格外編

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第53話 広まり始めた、白い泡

 数日後、カーライル家の研究棟へ行くと、ルシアンはすでに比較結果をまとめていた。


 机の上には、石鹸と、それぞれの条件で洗浄した結果を記した資料が並んでいる。


「凡そ結果が出たよ」


 ルシアンが振り返る。


「聖水で泡立てて聖水ですすいだ場合と、普通の水で使った場合。やはり差はある」


「どのくらいですか?」


「聖水を使った方が明らかに洗浄力が高い。ただ」


 ルシアンは資料を指で叩いた。


「普通の水で使っても、続ければ十分な効果が出そうだ。症状の改善に時間はかかるが、悪化は確実に抑えられる」


 エリオは静かに頷いた。


 だが内心では、別のことを考えていた。


 ルシアンに渡した石鹸は、ルシアンと共同で作った濾過装置の聖水を使って自分が作った石鹸だ。


 セラが作ったものとは、全く違う。


 あの石鹸は、一度使っただけで赤みが引いた。確実に数回で完治する。


 ルシアンが今手にしているものは、確かに効果はある。だが、本物には遠く及ばない。


(せめて、少しでも近づけるために)


 だから洗う水にも聖水を使う方向を試した。それだけでも、効果の差は出る。


 本物の代わりにはならない。


 だが、今できる最善だった。


「聖水は量が限られる。普通の水でも効果が出るなら、そちらを広める方が現実的だ」


「そうですね」


 ルシアンがペンを走らせながら続ける。


「聖水版は重症患者に限定して。普通の水での使用を広く普及させる。二段階で展開しよう」


「材料は灰と脂だから、調達は難しくないですね」


「作り方さえ広まれば、各地で自前で作れるようになる。むしろそれを目指すべきだと思う」


 エリオは静かに頷いた。


「分かった。普及の準備を進めてくれ」


「任せて下さい」




 それから二週間ほどが経った。


 エリオは王都の一角にある治療院を訪れていた。


 以前来た時とは、明らかに空気が違った。


「最近、だいぶ落ち着いてきましたよ」


 治療院の神官が、疲れた顔に僅かな安堵を滲ませながら言った。


「石鹸を使い始めてから、症状の悪化が抑えられているようです。新しい患者も以前ほど急増してはいません」


「完治は」


「時間はかかります。ただ……確実に良くなっている者が増えています」


 エリオは静かに頷いた。


 廊下の奥では、神官が患者の腕を丁寧に石鹸で洗っている様子が見えた。


 白い泡が、ゆっくりと患者の赤く爛れた皮膚を包んでいく。


 患者が、ほっとしたように目を閉じた。


(……効いている)


 エリオは静かにその光景を見つめた。


 だが、頭の片隅にあの光景がよぎる。


 セラが作った石鹸を使った時、一度で赤みが引いた、あの船員の顔。


 これは、あれとは違う。


 時間がかかる。少しずつしか良くならない。


 それでも。


(今できることを、やるしかない)


 エリオは静かに踵を返した。




 治療院を出ると、ゼインが待ち構えていた。


「エリオ様」


「何かあったか」


「ルシアン様からです」


 手渡された短い書状を開く。


『黒花の新たな発生地点が三箇所増えている。水辺ではなく、今度は街中だ』


 エリオは静かに書状を折り畳んだ。


 石鹸が広まり始め、患者が減り始めた。


 だが、黒花は止まっていない。


 むしろ、広がり続けている。


(……根本は、何も変わっていない)


 エリオは静かに空を見上げた。


 夕暮れの王都は、こんなにも穏やかに見えるのに。


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